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梅色ごよみ  作者: 風速健二
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神無月の風

「神無月」日本中の神様が出雲に出向いて縁結びの会議をする。だからこの月だけは神様がいないので「神無月」と呼ぶのだそうだ。逆に出雲では「神在月」と言うそう。

 尤も、わたしも本で読んだりして正式に調べた訳ではない。色んな人が言っていたのを耳にしたり、小説や映画の中で語られていたのを覚えていただけだ。でも、今までそれで間違っていると言われた事が無いので、そんなに外れては無いのだと勝手に思っている。

 以前は十月ともなると秋も深まって来た感じがあったものだが、今では「やっと涼しくなった」と実感させてくれる。それでも、庭にある秋の草花はちゃんと季節を判っている様で、可愛い花を咲かせている。

 今月からは、わたしの住んでいる街では「後期高齢者」の健康診断が行われる。勿論母もその対象になっている。

「大腸の検査は?」

 用紙に記入するのは、わたしの役目

「いいわよ。癌になっても歳に不足はないしね」

 ここ数年の母の言葉だ。昨年だったか、夫が

「お義母さん、でもやっておいた方が」

 そう言ってくれたが、全く取り合わなかった。

「いいのよ。癌になっても、それで死ぬより老衰の方が早いから」

 その言葉に夫も半分呆れたのだった。

「じゃあ、今年もパスね」

「うん。そうして頂戴」

 こうして母は掛かり付けのお医者さんで「健康診断」を受けた。

 その診察の時だった。心電図を見て、心音を聴いたお医者さんが

「少し『狭心症』の可能性がありますね。一度きちんと調べた方がいいですね」

 そう言って、近くの大学病院に紹介状を書いてくれた。血液検査が帰って来て正式な検査結果が出るのはひと月後だが、これはそれと別だ。

「全然、心臓なんか苦しくないのだけどね」

 母はそう言って笑っていたが、その言い方に多少覚えがある感じがした。



 その紹介状を持って予約してくれた日に大学病院に向かった。勿論わたしが運転して行く。大学病院は隣街との境にあり、この辺りでは一番大きな病院だった。

 紹介状を出して、手続きをする。予約してあるとは言え、かなり待たされて検査をする。血管が良く映る造影剤を入れてレントゲンを撮るのだ。それを診察の時に見て判断する。

 検査が終わっても、母の場合は腕の肘からカテーテルを入れたので三時間は安静になっていなければならない。結局全てが終わったのが午後になってからだった。

「検査でこんなに掛かるなら、これだけで具合が悪くなりそう」

 母がそう言ったが、全くだと思う。検査の結果と診察は一週間後だと言う。それの予約をして帰途についた。

「お腹空いちゃった。何か食べて帰りましょうよ」

 母は今朝から何も飲まず食わずと気がついた。

「そうね。わたしもお腹空いたし。何処かに寄りましょう」

 結果、帰り道にある国道沿いのレストランに入った。

「何食べる?」

 写真付きのメニューを母に見せながら問うと

「和定食って言うのが良いじゃない。色々と入っているから」

 そう言うので「和定食」の写真を見ると確かに色々な食材が使われているようだ。

「わたしもそれにするわ」

 同じものを二つ頼んだ。ドリンクには母はレモンティー、わたしはブレンドにした。

「食事には紅茶が合うのよ。コーヒーなんて」

 母が何と言おうがわたしはコーヒーが好きなのだ。こればかりは変える事は出来ない。

 程なく、頼んだものが運ばれて来た。母は目を輝かしながら

「お腹が空いているから、天ぷらもお刺身も、本当に美味しそうに見えるわ」

 嬉しそうに言う。まるで子供みたいだと思った。わたしも子供の頃にはレストランに連れて行って貰って目を輝かせていたのだろう。それは今の母の比では無いと思った。

 母が箸の先で小鉢に入っている酢の物を指した。そこにはわたしと母にとって想い出深いものが入っていた。



「わたし、この菊の花びらの酢の物が好きなの。あんたは余り好きじゃ無いから最近は余り食べなくなったけど、昔は良く買って来て茹でで食べたわ」

 そうだった。母は食用菊を買って来ると、よくわたしに花びらをむしらせた。萼と花びらを分けて、花びらだけを酢を入れたお湯で茹でたのだ。

 さっと茹でて笊に開けて冷水で晒す。それを固く絞ってから胡瓜や和布と一緒に合えたりして食べさせてくれたが、正直わたしは菊の香りが鼻について、余り好きでは無かった。蛸等が添えられるとそればかり食べていた。

 目の前の小鉢に入った菊は、しらすや大根おろし、それに胡瓜が合えられた上に少しだけ鎮座していた。母は美味しそうに菊だけ食べてしまった。わたしは、自分の分の菊を箸で摘むと母の小鉢に移した。

「わたしの分も食べて」

「あらいいの? 嬉しいわぁ」 

 母は本当に美味しそうに菊を口に運ぶ。愛おしそうに食べる様子を見て、今度近いうちに買って来て食べさせてあげようと思った。今度の事で、わたしは、今更ながら母が何時迄も生きてはいないと言う事を実感したのだった。嬉しそうな母を見て、その思いは更に強くなった。


 一週間後の診察ではお医者さんが

「心臓に繋がっている三本の血管のうち一本がやや狭くなり始めています。今直ぐには必要ありませんが経過を見て進むならステントを入れましょう」

 と言う事だった。そして半年後の三月の末に経過を見る為にまた検査をすると言う事だった。

「何回も面倒臭いわね。何時お迎えが来ても良いのよ」

 帰りの車でそう言う母に

「今夜は菊の酢の物よ。わたしは苦手だから全部食べてから行ってね」

 そう憎まれ口を利くと母は笑いながら

「あら珍しい。じゃあ、それを全部食べないと駄目ね」

 そう言ってわたしの方を見た。その顔がとても母らしく穏やかだったのが印象的だった。

 秋の午後の長い日差しが、車の中にまで入って来ていて、二人の影を拵えていた。

「きっと直ぐ寒くなるわよ」

 そう言った母の言葉が何時迄も耳に残った。


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