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梅色ごよみ  作者: 風速健二
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秋祭りの季節

 九月になると、あの八月の猛暑も一段落する。昨今は十二分に暑いのだが、それでも幾分か柔らかくなったお陽様だった。

 今月の中旬にはわたしの住んでいる地域でも秋祭りが開かれる。元は農業中心だった場所だから、このお祭りは「収穫祭」でもあったのだ。だが今は、以前の農地は宅地化され、都会から新しい住人が移り住んでいる。その人達に取っては、街のお祭りと言う感覚なのだろう。それでも構わないと神主さんは言う。

「皆さんが参加してくだされば、それで良いのです」

 今年のお祭りの打合せに夫が睦の一員として参加した時に言ったのだそうだ。

 わたしが住んでいる地域にはお祭りの睦が二つあり、それぞれ神社を境にして南北に別れている。

 わたしの家があるのは南の地域で、代々南の睦の世話人をしている。今は夫がやっているのだが、以前、父が元気だった頃は神社の氏子総代もやったのだ。まあ、家が古いので、このような役目が廻って来るのだろう。氏子総代は何かと物入りなので母が

「だからウチは貧乏なのよ」

 とよく冗談を言っていた。

 お祭りには「本祭り」と「陰祭り」があり、三年に一度「本祭り」が開かれる。この時は神社から大神輿が出され、各地から大勢担ぎ手が集まる。静かだった街が活気を取り戻す。

 神社の大神輿、南北の睦の神輿、それにそれぞれ子供神輿に子供の山車が出る。もう街は何処へ行っても「わっしょい」とか「せいや」と言う掛け声で溢れかえっている。

 子供の頃は、わたしは女の子だったから子供神輿は担げなかったが、山車は良く引いた。最後まで引くと睦の神酒所でお菓子などをくれるので、それが楽しみだった。今から思えば駄菓子の詰め合わせなのだが、当時は宝物のように感じたものだ。毎日少しずつ取り出して食べて、暫く楽しんだものだった。

 ある年、大きな梨をくれたことがあった。恐らく近所の農家が寄付してくれたのだろう。わたしは子供心にもそれが嬉しかった。落とさない様に大事に持って帰って母に剥いて貰った。秋とはいえ炎天下に置いてあったのだ。今なら冷蔵庫で冷やしてから食べるのだろうが、その時はそんな事は考えもしなかった。

 


 母は大きな梨を八つに切り分けてくれた。急いでそのひとつを口に入れると甘くて少し酸っぱい味が口いっぱいに広がった。そのみずみずしさで喉の渇きも癒やされた。

 半分食べて一息ついて、そこで思いついた。

『母の分も……』

 わたしは自分の事しか考えていなかった。お祭りだからと浴衣を縫ってくれた母。帯を買ってくれた祖母。お祭りは自分だけでは無かったと。

「半分あげる」

「もういいの? 全部食べても良いのよ」

「大きいから、もうお腹いっぱい。お母さん食べて」

「そう、じゃあお祖母さんと半分こしましょうね」

 母はそう言って祖母と二個ずつ口にした。

「甘いわねえ」

 祖母の言葉に少し自分が恥ずかしくなった。

 今思うと、あの梨は本当に美味しかったのだろうか? わたしの記憶の美化だろうか? 今でも時々お祭りになると思い出す。梨の記憶。

 あれ以来、もっと美味しい梨を沢山食べているのだろうが、記憶に残らないのだ。あの温かった梨がわたしの基準。



 今年は「本祭り」なので、お祭は盛大だ。普段、眠った街が興奮状態になる。

 その晩、夫がお祭りの手伝いから帰って来て、

「戴いたんだ」

 と梨を三つ置いた。夫は睦のお神輿の交通整理をしたのだという。その時に未だ近所の梨農家の人から貰ったので、皆で分けたのだと言う。

「冷やして後で食べよう」

 夫の言葉にわたしは

「そうね、食べましょう。でもお祭りの梨は冷やさない方が美味しいのよ」

 そう言うと怪訝な顔をした。それを母が見て、どうやら昔を思い出したようだ。

「あんた、未だあんな頃の事を覚えているのね、感心するわ!」

 思わず二人で笑ってしまったが、間に入った夫だけが訳が判らず困惑している。今夜にでも枕元で話してあげよう。

 夕食後に冷蔵庫にしまってあった梨を出して皮を剥く。切り分けてガラスの器に盛り付け、爪楊枝を添えると夫と母の手が伸びて来た。

「シャリ、シャリ」

 二人が梨を口にする音が聞こえる。遠くで祭り囃子が鳴っていた。わたしも手を伸ばして梨を口にする。

「シャリ」

 冷たくて甘い感触が口に広がる。そう言えば、あの時火照った体に口にした梨は甘かったがもっと酸っぱかった。でもそれが心地よく感じたと思い出した。

「何を考えているんだ?」

 夫が不思議そうに見つめるので

「昔は梨ももっと酸っぱく感じた。と思ったのよ」

「今とは品種も違うからな」

「それもあるけど、昔は何も無かったから、それでも美味しく感じたのよ」

 母が庭の先の祭り囃子が聞こえる彼方を眺めながら呟く。

「そうだな、俺も神輿や山車を引っ張って色んなものを貰たな。それが楽しみでさ」

 誰かが祭りの夜空に打ち上げ花火を上げた。その光を見ながら、時間がゆっくりと過ぎて行くのを感じていた。


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