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梅色ごよみ  作者: 風速健二
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梅の実の生る頃

 先日までの爽やかな風がここ数日は僅かだが湿り気を感じさせるようになって来た。梅雨が近くなって来ているのだと感じた。五月の末になると庭の梅の木に沢山の梅の実がなる。我が家では毎年、それを採取して梅酒を漬け、梅干しを作っていた。ここ数年、梅酒は庭の梅で漬けているが、梅干しは買った梅で作っている。

 以前は祖母が、そして数年前までは母が、その役目をしていた。今ではわたしがその役目をするようになった。

 夫の転勤で実家に住まいを移して数年。子供達も環境に慣れたみたいだ。

「緑が多いのは良いけれど、都心から時間が掛かるのは勘弁して欲しい」

 長女は、そんなことを言っている。彼女は今年から社会人になったので通勤や何かで、一層その感じが強いのだろう。

 下の大学生の長男は大学に近いから通学に関しては便利だと感じているようだが、都心まで遊びに行くには「不便だ」と姉と同じようなことを言っている。

 そんな子供達を見ていると、いつの間にか都会の子になっているのがおかしかった。だって、生まれてからずっと田舎で育って暮らして来たのだから。

 

 木からもいだ梅の実を丁寧に水洗いして、綺麗な布巾で良く水気を拭き取る。ホームセンターなどで売っている大きめの広口の梅酒を漬ける瓶を用意する。他にはホワイトリカーを一升、最近は二リットルの紙のパックを売っている。それに氷砂糖を一キロ。我が家は本やネットに出ている分量よりも氷砂糖が多い。それは、甘いのが好きと言う事もあるが、浸かった梅の実を数年後取り出して食べるからだ。それには甘い方が楽しい。

 瓶に梅の実を入れてその上に氷砂糖を乗せるように入れる。そして最後にホワイトリカーを全て注ぎ込む。それだけで作業は終わる。後は、しっかりと蓋をしてテープで埃などが入らないように密封する。そして今日の年月日を書いた紙を貼り付けると物置の奥にしまう。こうして梅の実と氷砂糖とホワイトリカーは「梅酒」になるために長い眠りに就くのだ。数年後、琥珀色になった梅酒を家族で飲むのも楽しみだ。



 実は数年前に漬けておいたものは、既に取り出してある。夫が飲み開けた焼酎の瓶に琥珀色の液体が入っていて、タッパには皺になった梅の実が甘酸っぱい香りをアルコールの匂いとともに発している。ひとつ摘んで齧ると「カリッ」とした感触と共に芳醇な梅の香りが口いっぱいに広がる。アルコールの刺激も心地良い。

 そんなわたしの仕草を見ていた母が

「いい出来みたいね。わたしにもひとつ頂戴」

 そう言って手をだした。

「好きなのを取って」

 タッパごと渡すと母は皺の無い梅の実を取り出した。

「皺になったのは美味しさを搾り取られているから、固くて美味しく無いのよね。こうしてふっくらとした方が美味しいのよ」

 母は毎年、そう言って皺になっていない琥珀色になった梅の実を選ぶ。わたしは、それを知っているから、あえて皺の方を選んだのだ。

「あんたは歯が良いから固くても平気なのね。わたしは歳だから駄目」

 そう言いながらも、美味しそうに食べる母は嬉しそうだ。

「夕食の時にお酒の方も少し飲みましょう」

 そう母に勧めるとニッコリとして

「氷だけを入れて、水で薄めないでね。わたしは、あんたと違って沢山呑める方だから」

 そうなのだ。それも母の楽しみにひとつなのだ。

「ねえ、梅干しは何時漬けるの?」

「来週になると八百屋さんに青梅じゃなくて赤く熟した『南高梅』が店頭に並ぶから、それを買うわ。庭の梅は全て梅酒にしてしまったしね」

「そう、わたしの頃は何本も梅の木があったから、買う事は無かったけど仕方ないわね」

 梅干しを漬けるのは梅酒よりも大変で、しかも毎年良いのが出来ると言う訳でもない。

「その家に異変があると梅干しは綺麗に浸からないのよ」

 母が良くそう言っていた。母は姑の祖母から、そう教えられたのだと言う。

「本当なのだから」

 それは、わたしも経験した。母に教わり梅干しを漬け始めてから三年後、順調だった梅干しが黒く変色してしまったのだ。その年、患っていた父が鬼籍に入った。我が家の伝説はこの時も生きていたのだ。



 八百屋に頼んでおいたので、質の良い「南高梅」が手に入った。やはり良く洗って水気を切ると梅の実の重さの二十パーセントの塩を入れる。塩で赤い梅の実を覆いつくすようにする。重石をして暫くそのままにしておくと二~三日で梅酢が上がって来る。この液体を舐めると体が震えるほど酸っぱくて塩辛い。

 それから、大きなザルを用意して、天気の良い日を選んで梅の実を取り出してザルに並べて天日干しするのだ。

 片面がお日様の光で干しあがれば、一粒ずつひっくり返して

さらに天日干しをする。これを三日繰り返すのだ。

 ここまでで梅干しらしくなって来ているが、我が家ではこれに紫蘇を一緒に漬けるのだ。祖母や母の若い頃は紫蘇も自分で漬けて作っていたが、わたしは八百屋で「梅干し用」の赤紫蘇を買って来てこれを使う事にしている。この時に梅干しの色が変わってしまったのだ。でも、我が家では紫蘇で漬ける事をやめない。なぜなら、それが我が家の伝統だからだ。

「今年はちゃんと出来ると良いねえ」

 母が梅酒のオンザロックを飲みながらつぶやく。それは我が家に異変が無いようにと言う母の気持ちなのだ。

「大丈夫よ。ちゃんと作るから」

 わたしは、水割りにした梅酒に口を付けながら答える。

「おばあちゃんは一度も失敗しなかったのかな?」

「そうねえ、お義母さんは上手だったわ。でも何回かは駄目にした年もあったそうよ。そんな時に姑さんに謝ると『いいわよ。こういう年もあるのだから、それよりも何があっても狼狽えるのでは無いのよ』と言われたのだって。優しい姑さんだったそうよ」

 それを聴いて、わたしの曾祖母になるのかなと考えた。そうか、連綿と続くと言う事は、そう言う事かと納得した。

 「カラン」とグラスの氷が溶けて行く。わたしは二杯目を作って口に入れたのだった。

「飲みすぎないようにね」

 どうやら、母にとってわたしは何時迄も子供みたいなのだろう。 

「このぐらい平気よ。お母さんの子だからね」

 玄関で夫が帰って来た音がした。わたしは少しだけ赤い顔をして出迎えにむかった。月が綺麗な晩だった。


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