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第三章 任那の面影(一)

 地面をくぼみ状に掘った炉の中に、五瀬(いつせ)はじっと顔をうつむけている。炭火が薄く静かに躍り、五瀬と、向かい側に座って共にふいごを吹く三船の顔の上を、炎の波が行き過ぎた。うつむいた顎先から汗がしたたった。炭火にあぶられて、石皿に一つまみ程の金属が溶けている。融解した赤い塊を五瀬は凝視していたが、もうよかろうとつぶやいて、火ばしで石皿をつかみ炉から下ろした。紅蓮の色が次第に冷め、黒い金属の塊が皿の上に残った。


 五瀬は、それを小さなるつぼに入れ、再び炉中に置いた。二方からふいごで風を送るうち、やがて塊はるつぼの中で溶け始めた。


 この塊は貴鉛(きえん)と呼ばれる、金と鉛の合金である。金を精錬するために鉛を用いることは既に触れた。精錬の工程は、まず砂金と鉛を混ぜ、溶かしてこの貴鉛を作ることから始まる。


 貴鉛が出来たら、るつぼに入れて再び溶かし、湯(※)を作る。この貴鉛の湯には、金、鉛、そして砂金に含まれる砒素や珪素といった不純物の、三つが溶けている。貴鉛が湯になったところで、次は湯面に風を送り、鉛に酸化を促して行く。この時、送り込む風は、ごく弱くなくてはならない。精錬に用いるるつぼは凝灰岩を球に近い形状にくり抜いたものだが、手のひらに収まってしまう程小さく、かつ薄い。少しでも強い風を当てると湯が冷め、酸化が進みづらくなるためだった。


 酸化した鉛、酸化鉛は、二つの、精錬には不可欠の性質を持っている。すなわち比重が他の金属よりも軽いこと、そしてもう一つは表面張力が非常に弱く、土や砂などに容易に染み込むことが、それである。


 比重が軽くなるために、鉛は酸化するそばから他の不純物ぐるみ浮いて行き、湯の表面に集まることになる。そして、浮いた酸化鉛はそのまま、るつぼの肌に染み込んで行く。るつぼの材質が凝灰岩であることは述べたが、これは表面に無数の穴のある多孔質の岩石であり、液体を容易に含む性質を持っているのである。


 不純物が鉛と共に酸化し、るつぼに染み込む一方、金は空気に触れても酸化することはない。また溶けた金は酸化鉛とは逆に表面張力が非常に強いため、るつぼに染み込むこともない。こうして加熱を続け、鉛が不純物と共にるつぼに染み込み、また一部は蒸散してなくなってしまうと、最後に、るつぼの底には金だけが残ることになるのである。これが錬金の仕組みであった。


 ちなみにこれは、中世に石見銀山などで盛んに用いられた灰吹法と呼ばれる精錬法と全く等しい技法である。ただ後世の灰吹法においては、るつぼの底に骨灰を厚く塗り固め、そこに鉛を吸収させるよう改良がなされている。いくら吸水性を持つとはいえ、溶けた金属を石に吸い取らせるのは、効率が悪かったであろう。るつぼに吸収させるのと温度を上げて蒸発させるのと、半々というのが実状であったかもしれない。


 るつぼの底で湯の周囲が黒ずみ始めた。熱せられた酸化鉛が石肌を灼きながら染み込んでいるのである。五瀬は目で、三船にもう少し炎を強めるよう合図した。金属は、合金を形成すると低温度で融解する性質がある。金の場合は鉛と結びつくと三百度程度の低温で溶けてしまう。これを今度は、本来の金の融解温度である千度あたりまで加熱し、鉛を飛ばし切らなくてはならない。こうした一連の作業を二度、三度と繰り返して純度を高めて行き、ようやく一粒の純金が得られる。実に根気の要る作業であった。錬金とは、繁忙とは逆の意味で時間との戦いであり、金鍛冶に求められるのは何より岩の如き我慢強さだった。


 陽が山向こうに落ち始めた頃、ようやく炉の火が消えた。五瀬は待ちきれぬように火ばしでるつぼをつかみ上げた。あちこち動かしながら日に透かすようにしてじっと底を見ていたが


「また、だめだな」


 湿ったため息と共にるつぼを地面に放り出した。下草がじゅっと小さな音を立てて焼けた。火ばしを受け取り三船もるつぼを拾って覗き込んだ。底には鉛の染み込んだ跡が黒く残るばかりで、金らしきものは毛ほども見当たらなかった。


 対馬金の精錬は難航していた。湯から金が上がらないのである。これまで、まがりなりにも金と呼べるものが得られたのはただの一度、それも砂粒のようなものだけで、あとは、金と鉛の分量、比、炎の強さなどの条件を等しくしたり、または逆に様々に変えたりして試したが、金は一向に得られなかった。るつぼの底に金粉の痕跡らしきものでもうっすらと残れば良い方で、大抵は今のように何もかも蒸散してしまうのだった。


「五瀬、今日はもう終いにしよう」


 三船が炉から炭の燃えがらをかき出し始めた。


「分からぬなあ」


 山の背から夕闇が指を伸ばしていた。空を浸して行く薄闇を眺めながら、五瀬は絞るようにつぶやいた。疲れた目を閉じると、るつぼの底で赤く溶けていた鉛の姿が、ぼんやりとした影になってまぶたの裏に残っていた。火ばしが炉の底をかく音が耳にわびしく響いた。


 一度きりとはいえとりあえず金は得られているのである。精錬には問題はない。そうだとすればあとは砂金に混じり物が非常に多いということが疑われて来るのだが、しかしこれもまた、五瀬には考えづらかった。純度の低い砂金は赤みを帯びていたり、または黒みがかっていたりするが、対馬の砂金は見たところ美しい黄金色を持っている。それに、そもそも銀鉱や銅鉱と違い、砂金は金の含有率が高いものなのである。蒸散してしまうような砂金など、五瀬は今まで見たことがなかった。


 いたずらに積み上がるばかりの失敗の理由も分からず、かと言って一度きりの成功の理由もまた分からず、ただ時ばかりが費やされた。泥の中でもがくような焦燥の日々を送るうち、追い討ちをかけるように、厳原から国衙の役人が鶏知を訪れた。無論、精錬の進み具合を視察するためである。仕方なく、五瀬は鉛が黒く焼けついただけのるつぼを役人の前に示した。


「何も進んでおらぬとは如何なることか」


 役人は顔色を変えて五瀬につめ寄った。


「湯から金が上がらぬのです」


 五瀬はうなだれながらありのままを報告した。


「手順に誤りはありませぬ。砂金の方にもおかしなところはないように思われるのですが」


「ですが、何だ。ならば何が悪くて金が上がっておらぬ」


「――分かりませぬ」


「たわけが」


 はらわたをぶちまけるような剣幕で、役人はわめいた。


「分かりませぬで済むか。金がまだ一つも上がっておらぬ。何故かも分からぬ。左様な報告を都へ持って行けと申すのか。おい、雑戸」


 青ざめて這いつくばる五瀬の衣を役人はわしづかみにし、手荒に引きずり上げた。


「三日だけ待つ。三日のうちに何としても金を上げよ」


「無茶を申されまするな」


「やかましい」


 分厚い手が襟をつかみ、布地が首に食い込まんばかりに揺さぶった。


 使いの役人の苛立ちは、そのまま厳原の国衙にいる嶋司、田口東人の苛立ちであった。東人としては一日も早く大掛かりな金精錬の工房を建て、人数を動員して、朝廷に納める金の鋭意生産にかかりたいのである。しかし肝心の五瀬がなかなか成果を上げないために、計画の何もかもに見通しが立たず、東人もまた焦燥の中にあったのだった。


「お主がここへ来て幾月経ったか存じておるのか。知らなんだら教えてやろう。六月じゃ。半年じゃぞ。半年もただ飯を食らうて寝ておったくせに、どの口が無茶などと申すか」


 耳元で言いたい放題に怒鳴り散らされて、さすがの五瀬も腹に怒りがこみ上げた。一枚しかない衣が裂けるのも構わず、彼は力任せに役人の手を振りほどいた。


「貴方様は、金を錬るということを何もご存知ない」


「何だと」


 五瀬は地面からるつぼを拾い上げ、役人の目の前にぐいと突き出した。


「錬金には時がかかるのです。このるつぼに金と鉛をつめ、鉛が全て飛ぶまで焼かねばなりませぬ。この一度が成功か失敗か、それが分かるまでにも、幾刻もの時が要るのです。向こうに打ち捨ててあるたくさんのるつぼを御覧下され。この鍛戸は何とか金を上げようと努めて参りました。怠ったがために未だ上げられぬなどとそしりを受ける覚えはございませぬ」


 刃のような沈黙が、二人の男の間に落ちた。目をむいて五瀬を見ていた役人の顔に、憎悪の色が滲み上がった。雑戸めが、唇が動いた。いっとき、右手があがくように腰の刀をまさぐり、彼は柄を握りしめてすさまじい形相を五瀬に向けた。が、雑戸とはいえ朝廷の命で派遣された者を、小役人の一存で斬り捨てるわけには行かぬ。全身を震わせ彼は柄から手を引きもぎった。次の瞬間、沓先が五瀬の股ぐらを思いきり蹴り上げていた。


「十日ののちに再び参る」


 下草に顔を突っ込んでうめく五瀬に、役人は唾を吐きかけわめいた。


「それまでに何事か報告出来るようにしておけ」


 草を荒々しく踏み散らす音が遠ざかり、入れ替わりに三船が駆け寄って来た。


「おい、大事はないか」


「玉が腹にめり込んでそのまま口から出たかと思うたわ」


 下腹部を押さえたまま五瀬は切れ切れの息の下で首を振った。三船は吹き出した。


「そうやって(ひょう)げる余裕があるなら安心じゃ」


「莫迦、剽げておるのではない」


 三船の肩を借りて五瀬はよろめきながら小屋に戻った。三船は五瀬を座らせると患部を冷やすための水を汲み、林に入って行った。しばらくして何か見慣れぬ草を手に戻って来た。


「五瀬、無茶はせんでくれよ」


 打ち身に効くというその草を石で叩きながら三船が言った。


「憤りは分かるが、あれでは命が幾つあっても足りぬ。わしは陰で見ておって生きた心地がせんかった」


「ああ。いや、おれもいつもああではないんだが……」


 五瀬は、丸裸の下半身に、絞った布だけを股間に乗せた滑稽な有り様を晒しながら、力なく答えた。彼は滅多に感情を露わにすることのない男だったが、まれに憤るとそれは必ず己の身の上にてきめんに災いをなした。磐来といさかったあの時もそうであったと、五瀬は苦々しく思い出した。


 磐来との時も、先程も、五瀬は自分の怒りは正当なものであったと信じていた。が、そんなものは所詮虫けらの正義に過ぎぬ。虫けらとて、理不尽な目に遭わされれば人を噛むが、しかしそこに正義を見る者はない。そして噛んだ虫の方はきっと、足の下に踏み潰されて殺されることになる。怒りにすら貴賤があるのかと、思い巡らす程に五瀬は情けなかった。

※溶けた金属のこと

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