第一章 三田五瀬(二)
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大化改新以前、社会には部民と呼ばれる人々が存在した。朝廷や皇族、豪族の私有を受けた隷属民である。皇族の部民は名代、子代という。豪族の部民は部曲である。共に直轄地の耕作などの労役を担った。また職業部民と称される人々は、主に朝鮮など大陸から渡来した職業集団であった。鍛冶や陶作りといった手工業の技能を有し、朝廷に属して生産物を貢納した。
その部民制が解体されたのは大化元年のことである。時の孝徳帝は詔を発し、国の土地、及び民はただ帝のみに属すると定めた。豪族に土地や民の私有を禁じた法令であり、これにより名代、子代、部曲ら私有民はその隷属的身分から解放されることとなった。しかし、この法令の意図したものは、部民に自由を与えることでは決してなかった。豪族に民の所有を禁じる一方、朝廷は一部の職業部民を改めて組織し、自らの管理下に置いたのである。これが雑戸の民であった。
この時雑戸に組み入れられたのは、甲作、弓削、または馬飼といった、武器製造や軍事に関わる技術を有した人々だった。大化改新と呼ばれる一連の政治改革で孝徳帝と皇太子中大兄皇子(のちの天智帝)が目指したのは、唐のような律令国家の確立であった。すなわち各豪族の力を削ぐことでそれまで有力豪族の集合体であった国のあり方から脱却し、代わって皇家が強大な権力の下に国を治めるという、中央集権型の国造りである。
力でもって並み居る豪族を押さえつけるためには軍事力の独占が不可欠となる。既に述べたように職業部民には百済や新羅など技術の進んだ大陸からの渡来人が多かった。つまり軍事の職業部民を掌握することはそのまま大陸の新鋭の軍事技術を占有することであり、朝廷の目指す国造りには欠くべからざる要素だったのである。
しかしそのために、雑戸の民は差別的な束縛を強いられねばならなかった。職業は世襲のもの以外に就くことは許されなかった。戸籍は一般良民とは区別され、「雑戸籍」という特殊な戸籍の下で身柄を厳しく管理されていた。一般民なら有し得るはずの様々な自由が、雑戸民にはなべて許されなかった。社会制度上でこそ、雑戸は奴婢でも賤民でもなくあくまでも良民に入れられていたものの、しかしその身分の実態は良民の中でも最下層に位置づけられており、在り様は奴婢と変わるところはなかった。
こうした奴婢同然の隷属を雑戸民が受けるに至ったのは、血の賤しさゆえでも、罪の穢れゆえでもなく、ひとえに身につけていた技術が権力者にとって有益であったからに他ならない。しかしそうした認識は雑戸自身も含め誰も持ってはいなかった。人々の目には長年に渡り雑戸が社会の最下層に置かれ隷属民に甘んじて来たという事実のみがあった。そしてその純然たる事実が、雑戸民の中には卑屈さを、取り巻く人々の中には蔑みを、深く植え付けて来たのだった。
五瀬もまた、自らの成り立ちについて知ることもなく、三田一族も含めた雑戸民が、何故に下層民に貶められているかも考えたことはなかった。彼はただ繰り返される日常の中で、人々が自分たちへ向ける侮蔑を肉体でもってじかに受け取っただけであった。
五瀬の中に一つの記憶がある。その記憶は少年の五瀬の心に深く染み透り、今も古い血のように黒く凝ったまま胸の底に沈んでいた。それは五瀬が十五を迎えた持統天皇七年(六九四)のことで、夏の日射しがそろそろ弱まりだした晩夏であった。鳥を獲る罠の様子を見に出かけた五瀬は、山に向かう途中の道すがら、折悪しく隣村の穴見の少年たちに出くわした。彼らは五瀬を見つけるや、猿のように群がって来て、取り囲んで道をふさいだ。
「五瀬、何処へ行く」
頭領格の磐来という少年が仁王立ちに立ちふさがった。五瀬はむっつりと突っ立ったまま口をきこうとしなかった。三田村の子供たちは幼い頃より、良民の子供――つまり雑戸ではない村の子供ということだが――とは厄介を起こすな、腹の立つことがあっても言い返してはならぬ、まして喧嘩などしてはならぬと厳しく言われていた。それに五瀬は、この同い年の少年の、小石を二つ置いたような表情の乏しい目を以前から嫌悪していた。五瀬がちらと浮かべた表情を敏感に読んだのか、磐来はやおら手を伸ばし五瀬の衣をぐいと鷲掴みにした。
「おい、奴婢がこんなものを着ていいのか。つるばみと決まっておろうが」
「黙れ、おれは奴婢ではない」
奴婢と言われて五瀬はかっとなった。大人たちに言われたことも忘れて怒鳴り返した。
ちょうどこの年の一月、朝廷より衣服令が出され、百姓は黄の衣を、奴婢はつるばみ(※1)の汁で染めた黒衣を、それぞれ着用することが定められたばかりだった。黒とは凶服(※2)の色であり、穢れを象徴する色でもあるから、黒色をまとうとは、奴婢が穢れを負う者であることを意味する。
奴婢の身分は古くからあったが、しかしこれを穢れとみなすようになったのはそう昔のことではない。それは天武天皇十年(六八一)宮中にて行われた大祓に遡る。この時は帝の穢れを払い長寿を祈る祭儀が行われたのだが、災気や罪穢を移す形代として、豪族より納められた奴婢が用いられたのだった。奴婢を賤、穢れとする観念が社会に明確に形作られたのはこの神事に端を発するのである。のち、持統天皇三年(六八九)に頒布された「飛鳥浄御原令」では、奴婢の身分を賤民とすることが明文化された。黒衣着用の法令とは、奴婢に身分標識を負わせることであったが、同時に、穢れを担う、人ならぬ者としての立場を更に明確にしたものとも言える。
奴婢にとって衣服令は屈辱的だったが、雑戸の子供たちにとってもまた腹立たしい法令だった。嘲弄されるねたが一つ増えたためであった。他村の子供は雑戸を見つけると容赦なく、奴婢が来た、奴婢は黒衣を着けよと言って嘲った。そうして奴婢と呼ばれることは、雑戸の民にとってこれほど忌まわしく厭わしいことはなかった。自らも虐げられる立場にありながら、雑戸民の内には奴婢に対する如何なる同情もなかった。あるのは、たとえ下層民でも自分たちは良民であり、賤民の奴婢とは違うという優越であった。そして自分たちに向けられる以上に激しい、奴婢への侮蔑と嫌悪の感情であった。
「黙れ。おれは奴婢ではない」
五瀬は怒鳴り返したが、その途端、目の前に黒いものが飛んだ。磐来が足元からすくって投げつけた泥だった。それを合図に取り囲んだ少年たちは一斉に、磐来にならって泥を投げつけ始めた。背にも胸にも足にも、体中に泥が飛んだ。誰かが手のひらいっぱいの泥水を頭から浴びせた。払おうとして振り上げた腕を押さえつけられ、顔中に泥がなすりつけられた。目をふさがれ抵抗出来なくなった五瀬を少年たちは寄ってたかって捕え、歓声と共にぬかるみに突き倒した。
「これで奴婢らしゅうなったわ」
衣どころか全身を泥で真っ黒にしてぬかるみから顔を上げた五瀬に、磐来は冷笑した。
「分かったか、奴婢はつるばみを着よ。今度おれたちと同じものを着ているのを見つけたら……」
みなまで、五瀬は言わせなかった。泥を蹴散らして跳ね起きるや磐来に飛びかかった。不意を突かれて磐来は後ろへよろめき、二人はもつれ合って足元のぬかるみに倒れこんだ。取り巻きの少年たちは驚いてわっと逃げ出した。五瀬はもがく磐来に馬乗りになり、顔を泥の中にざぶりと押し込んだ。
「磐来、見よ」
五瀬はわめいた。
「泥の黒衣を着た己の様を見よ。おれが奴婢ならお主も奴婢であろうが。どうだ、良民の磐来、お主も奴婢であろうが」
取っ組み合ううちに、穴見の村の大人が先程の少年たちと共に駆けつけた。大人たちの手が五瀬を荒々しく捕えて引き離した。ぬかるみから磐来が助け起こされるのが見えた。それから皆の目が、風になびくように一斉に五瀬の方へ向いた。無数の目が体を射、まだ荒い息をつきながら五瀬はその目を見て動けなかった。やがて手が五瀬の腕をつかみ、近くの林へと引き立てて行った。そして林の奥で、五瀬は大人たちに暴行を受けた。
五瀬は叫んだが、しかしそれは体を殴打する杖や棍棒が恐ろしかったのではなかった。恐ろしかったのは地面に転がされた五瀬をぐるりと取り囲んだ目だった。磐来たちの目には嘲りがあった。だがこの大人たちの目にはそれすらなかった。それは侮蔑も残虐も、およそ感情の波立ちというもののない目だった。あたかも土を耕し草を刈るように、大人たちは黙々と五瀬を打ち据えた。そして、手入れの済んだ田を眺めるような平穏な目で、血を流してもがく五瀬を見下ろした。雑戸とはいえ人を一人殴り殺そうとしていながら、大人たちの意識は穏やかな日常の中にとどまっているのだった。そしてそうであるならば、宙に散らばる無数の目には、五瀬の血は見えていないのに違いなかった。この木暗い林の中では何事も起こっていないのに違いなかった。五瀬は恐ろしさに叫び声を上げた。
虐待の手から逃れることが出来たのは、ただ恐怖ゆえであった。夢中で腕を突っ張ると、体の下に草が朱に染まっているのが見えた。背に棍棒が振り下ろされた。新たな血が滴るのも構わず、五瀬は目の前にいた男の腰めがけて思い切り体をぶつけた。人垣が裂け五瀬の体は草の中に勢いよく放り出された。あとは獣のように土をかきむしりながら、遮二無二林の奥へと遁走した。足が進まなくなり灌木の藪を見つけて這い込んだ。顎が震え歯が鳴った。気づいて慌てて衣を噛んだ。胸が早鐘のように鼓動した。殴打された体中の骨が軋んだ。こんなかすかな音すら、聞きつけられはせぬかと恐ろしかった。芋虫のように体を縮めて五瀬は月が天頂にかかるまでそこに潜んでいた。血と泥にまみれ真夜中に戻って来た息子の有り様に両親は驚いたが、何を問われても五瀬は答えなかった。
※1 ドングリ
※2 喪服