第六章 金の正体(三)
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数日ののち、五瀬は国麻呂に呼び出され、金の一件を誰かに洩らしたかどうか、問いただされた。
「誰にも話してはおりませぬ」
「広兄や、その家部宮道とやらはどうだ」
五瀬は首を振った。国麻呂はとりあえず興奮は鎮めたらしく、深山の古木の如き落ち着きを取り戻してはいたが、五瀬に向けられる目の冷たいことは相変わらずであり、それが嫌さに五瀬は国麻呂の顔を見ぬようにしていた。
「椎根に付けてやったわしの家人や兵に、ちらとでも怪しげなことは言わなんだか。よくよく考えよ。ついうっかり忘れたでは済まぬぞ」
「確かに申しておりませぬ。――ただ、あの、三船は存じておりますが」
思い出して五瀬は答えた。三船と名を聞いても、国麻呂は何者か分からぬ様子であったが、工房を手伝っている奴婢と知ると、そうかと、関心がなさそうに頷いた。
「追って沙汰する」
五瀬は部屋から追い出された。
国麻呂から二度目の呼び出しがあったのは、それから半月あまりたったある日であった。家人が訪れた時、五瀬はちょうど小屋の修理をしていた。屋根の一隅から雨が入るようになったため、三船に手伝わせて萱をふき直していたのだった。
「あとはわしがやっておこう」
三船は五瀬の手から道具を受け取った。
「すまない」
家人がせかすために、五瀬はそんな簡単な一言だけを言い置いたきり、屋敷へ向かった。案内された扉を開けて、五瀬はぎょっとして立ちすくんだ。部屋の奥に、狐のように細長い顔が立っていた。嶋司、田口東人であった。国麻呂はと見れば、隅の方に立っていた。両腕を後ろ手に組み、こちらに向けた横顔には表情がない。自分がどのような状況に置かれたのか、五瀬はそこからは読み取ることが出来なかった。音を立てて、背後に扉が閉ざされた。
そっと、五瀬は部屋を見回した。四人の人間が、五瀬を取り囲んでいる。田口東人と国麻呂、それから背後には兵士が二人、刀を帯びて扉を固めていた。東人が床を踏み鳴らした。はっと向き直った五瀬に
「工房を厳原に移す。今すぐ仕度せい」
短く、東人は命じた。はらわたをつかまれるような、底力のある声だった。
「工房――」
命じられたことの意味が呑み込めず、五瀬は思わずおうむ返しに訊き返した。対馬では金が産出されないことが分かった以上、精錬事業は破綻したはずである。いまさら工房を動かすことにどのような必然性があるのか……。問うような視線をちらと国麻呂の方へ送ったが、彼は憮然として、硬い表情の横顔を見せているだけである。
戸惑い、しかし次の一瞬、肉体の芯の部分に、刃が貫いたような戦慄が走った。
「あ、貴方様は」
突っ立ったまま、五瀬は咽を震わせた。
「まさか、偽りの金を帝に」
「口を慎め、雑戸」
東人が怒鳴った。部屋がびりっと震えた。
「お主に許された返答は首を縦に動かすことだけじゃ。余計な口をきくことは許さん。ましてや否やなど許さぬ。厳原で、献上する金を錬るのだ。これはわしの命ではなく、言うなれば大納言、大伴御行様の命と思え。大納言様に逆らうことになるのだぞ」
大納言がどういうものかなど五瀬は知るはずもない。しかし、飛鳥の工房で、典鋳司の役人に何かといってはおどされ、殴られ、また鞭打たれて来た五瀬の体には、朝廷というものへの恐れが深く刻み込まれている。大納言とやらに逆らうことになるのは、確かに恐ろしかった。しかし大納言、ひいては帝をたばかるのは、それ以上に恐ろしかった。ひきつった息の音が部屋に流れた。肩が大きくあえぎ、冷たい汗が胸をつたった。長い時が流れ、五瀬は恐る恐る、重い口を開いた。
「で、出来かねまする。我には、左様に、大それたことは……」
答えた途端、兵士が背後から飛びかかり、五瀬は床に突き倒された。二人がかりで床に四つん這いにさせ、両手を押さえつけた。東人が歩み寄って来た。手を伸ばし、兵士の腰から刀を抜き放った。刃先で五瀬の蒼ざめた顎をすくい上げ、上を向かせた。
「殺すと思うたか。案ずるな、殺しはせぬ。否やと申すのであれば、この場で両の手首を斬り落としてくれる。手がなくなってはもはや鍛冶の仕事は出来ぬ。田畑を耕すこともままならぬ。乞食になって一生、投げ与えられたものを犬のように這いつくばって食い、生きることになる。それを望むか」
東人は笑った。おどすというより、地を這いずり回る五瀬の姿を描き、愉しんでいるようであった。
五瀬の全身が震えた。しかしそれは恐怖ではなく湧き上がった怒りのためだった。食いしばった奥歯がぎりぎりと音を立てた。この男はどこまで人を貶めれば気が済むのか。ならば手を斬らせてやる。五瀬は首を精一杯にねじって東人の目を見据えた。だが、この男の望むように這って生きはせぬ。手がなくとも自らの命を絶つ術は幾らでもあるのだ――。五瀬の目に、すさまじい憎悪がにじみ上がった。東人の顔から笑いが消えた。その時
「五瀬」
いきなり、肩に手がふれた。不意を突かれ、五瀬ははっとそちらを見た。国麻呂であった。ほんの少し前まで、国麻呂は五瀬をこうして名で呼び、親しみ深く語らってくれたはずであった。しかしその記憶は五瀬の中で既に遠い。思いがけず名を呼ばれて、五瀬の心は動揺した。
「――五瀬。黙って、命に従え」
国麻呂の手が、なだめるように肩をさすった。
「金の献上は、もはやわしらだけではどうにもならぬところまで進んでおる。樫根の金が偽物であったとて、それを正直に語って済むことではない。そしてお主と、わしと、嶋司様と、この三人が口をつぐめば事は決して露見はせぬ。咎を受ける恐れはない。頼む、命に従って、金を作ってくれ」
国麻呂の口調には、五瀬を蹴りつけ雑戸とののしった時のすさんだ色はなかった。聞き慣れた静かな声が耳に染みた。
五瀬はじっと国麻呂を見た。国麻呂の、偽りの心を見た。五瀬には分かっていた。今まで国麻呂が示して来た温情はことごとく偽りであった。国麻呂が親しみを向けて来たのは五瀬そのものではなく、五瀬の手が生み出す金であり、金の献上によって朝廷から与えられる褒美であった。
しかし、五瀬はこの鶏知で初めて、人らしい扱いを受けた。しかも村人ばかりではない、郡司というれっきとした身分の国麻呂までもが、五瀬に人として接してくれたのだった。その厚情に対する恩義の思いは、五瀬の心を深い所までむしばんでしまっていた。国麻呂の、あたかも以前と変わらぬ穏やかな声にふれ、それが装った温もりと知りつつも、張りつめていた五瀬の心はばらばらと崩れた。五瀬は唇を噛みしめ、力なくうなだれた。
五瀬が使っていた小屋や工房は、国麻呂の方で取り片づけるという。とにかくすぐさま身の周りのものをまとめ、まとめしだい厳原へ向かうようにと、五瀬は命ぜられた。
戻ってみると、小屋には既に国衙の兵士が来ていた。が、萱を直しているはずの三船の姿はどこにも見えなかった。先程五瀬が手渡した道具が地面にぽつんと置かれてあった。
「おい、ぼんやりするな。さっさと荷を造ってしまえ」
五瀬の顔を見つけるなり、兵士がどやしつけた。
「ここに奴婢が一人、おったはずですが」
「おったとも。それが如何した」
「あの、その者は、何処へ」
「お主は知らんでもよい。無駄口をたたく暇があったら仕度をせい」
「お待ち下され。工房を移すのであれば、あの奴婢も伴うて参ります」
五瀬は慌てて訴えた。
「あれは我の助手にございます。金の仕事には、いりような者です。それに、あの三船と申す奴婢は嶋司様よりお借り致したものでもございまするゆえ、粗略には出来ませぬ。何卒、今一度ここへ」
「やかましいぞ。口をつぐまんか」
兵士はいらいらと怒鳴った。
「お主にわざわざ言われんでも承知しておるわ。あの奴婢の処分は館様より下知されておるのだ。お主ごときが気をまわすことではない。よいか、言うのはこれきりじゃ、口を閉じて荷を造れ」
斬りかからんばかりの剣幕に、五瀬は取りつく島もなかった。仕方なく、黙って小屋に入り身の周りをまとめ始めた。持ち物といってもわずかなものである。仕事道具が一式、手斧や釿の類、広兄から貰った綿布の衣、椀や鍋などの食器。長いこと、飯は共に済ませる習慣であったため、三船の椀も置いてある。椀を手に五瀬はやるせなくため息を洩らした。三船に一言の別れも言えぬままに発たねばならぬのが、あまりにも心残りであった。
包み一つを手に小屋を出ると、急に起こった騒ぎを聞きつけた屋敷の者たちが、裏口からこわごわと顔を覗かせていた。その中に、折から親しくしていた家人の顔を見つけ、五瀬は大急ぎでその者をそばに差し招いた。
「お主」
早口に囁いた。
「おれは嶋司の命で急に厳原に行くことになった。三船が戻ったら伝えてくれ」
「鍛戸殿、あの者は……」
家人は何事か言いかけたが、兵士のいらだった手が後ろから五瀬の腕をつかみ荒々しく引き離した。こわばった家人の顔が遠のき、声は断ち切れた。咎人のように兵士に両脇を固められ、五瀬は郡衙を出た。厳原に向かう船に押し込まれて慌しく鶏知を去っていく五瀬を、海辺に散らばった驚きと好奇の目が見送った。
(第六章・了)