表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/33

第六章 金の正体(二)

「しかし五瀬」


 三船は食い下がった。


「るつぼの中には一度きりだが間違いなく金が上がった。あれはどういうことだ」


「もはや憶測するしかないが」


 苦い口調で五瀬は答えた。


「全てがまがいものというわけではなく、掘った中には本物の金も多少混じっているのだと思う。そしてあの時取り出した粒には、たまたま金の方が多かったのだ。釈然とはせぬがそうとしか考えられぬ」


「真偽が混じっておるのか。真はどのくらいと思う。半々といったところか」


「いや、あれ以外は金の影も見えなかったところを見ると、ほんのわずかだろう。これから調べてみようと思うが、どのみち都に献上出来るような代物ではあるまい。――しかしこうなってみると、あの時たまさか上がった金が逆に恨めしくてならぬ」


 五瀬は低い笑いを洩らしたが、それは暗くうわずっていた。


 二人は、先程まで金であった砂粒を箱からつかみ出しては、石で打ち砕き始めた。ほとんどの粒は虚しく砕けたが、しかしごくまれには、砕けずに平たくつぶれるものも、五瀬の予想したとおり混じっていた。


「椎根の村に行ったその日、村の者らがおれを酒宴に呼んでくれたろう」


 興奮が少しおさまった五瀬は、砂を叩きながらとつとつと話し出した。


「そこに、家部宮道という者がおって、金を見つけた時の話を語ってくれたことは、話したな」


「聞いた」


「うん。それで、これは話しておらんかったが、宮道はこのようなことを言っておったのだ。一番始めにすくったものの中には、小指の爪ほどの大粒の金があった。が、誤って石の下じきにして、ばらばらにつぶしてしもうた、とな」


 また一つ、五瀬の手の下で砂粒が細片になった。五瀬は手のひらに集め、傍らの箱に捨てた。


「それを聞いた時、おれは何か妙な気がしたものだった。だが何を妙だと思うたのかは、おれにもよく分からなかった。村を去る段になってようやく気がついた。宮道の言うた、ばらばらに、という一言が、ずっとひっかかっておったのだ。お主らを待たせて村へ戻ったのは、砂金の粒がつぶれたというその様を、宮道にくわしく問いただすためだ。思ったとおり、平たく伸びたのではなく、小さな破片に砕けたと言うたよ」


「――それでお主、その男には明かしたのか」


「奴が見つけたのは金ではないとか? いや、言わぬ。話していた時の得意気な顔を思うと、とても言えなかった」


 全ての砂を調べ終えた時には、日は夜を越えて早暁を迎えていた。五瀬の手には、ほんの一つまみばかりの砂金が、選り分けられて残った。


 工房に戻り、五瀬はそれをるつぼにかけた。金と鉛が溶け、赤く灼けた。るつぼの底を焼きながら染み込んで行くところもこれまでと変わらなかった。しかし、


「おお」


 ふいごを手にるつぼを見守っていた三船が、驚愕の声を上げた。わずかに残った湯の底から、まるで火の衣を脱ぎ去るようにして金色の粒が忽然と現れた。錬り上がった金は真円である。焼けた石肌の上に黄金色の真珠が横たわったように美しかった。


 次に、五瀬は粉々に砕けた砂をかき集め、同じようにるつぼにかけた。結果は言うまでもない。鉛も何も全て蒸散してしまい、残ったのはるつぼの焦げ跡だけだった。


「これではっきりした」


 五瀬はつぶやいたが、声は重苦しかった。成程これまで錬金が成功しなかったそのわけは突き止めることが出来た。しかしそれは同時に、朝廷の期待を一身に負った金の精錬事業が完全に頓挫(とんざ)したということでもあった。脂汗をじっとりと額ににじませ、二人は黙然と顔を見合わせた。


「五瀬、これはもはやお主の仕事ではない」


 やがて三船が重い口を開いた。五瀬はため息と共に頷いた。


「そうだな。金でない以上、おれには何とも出来ぬ。国麻呂様が戻りしだい、報告せねばなるまい」


      * * * * *


 翌日、国麻呂が屋敷に戻った。


 五瀬から事のしだいを聞いた国麻呂は、驚倒(きょうとう)するあまり魂が吹き飛んでしまったようだった。


「何だと」


 大声を上げたつもりであったが声は出ず、魚のようにぱくぱくともがく口から、いたずらに息の音ばかりが洩れた。


 国麻呂の前に、五瀬は二つのるつぼを差し出した。一つは黒く焦げただけの空のるつぼである。もう一方には底に丸い金が転がっている。これまでの経緯を、五瀬は順を追って語った。


「つまり、この対馬で出た金は、金とよく似たまがいものであったと、お主はこう、申すのだな」


 話を全て聞き終え、国麻呂はしゃがれ声を絞った。唾を飲み込んだ咽がごろりと鳴った。


「はい」


 五瀬はうつむき、声を落とした。対馬の金は、金ではなかった。それは誰が責められることでもなかったが、しかし五瀬は国麻呂の顔をまともに見るのが苦しかった。


「正倉の中の砂を全てあらためました。実を申せば本物の砂金も混じっておりました。しかしそれはごくごくわずかでございました。あれほどの中に、たったひとつまみ、このるつぼに転がっておるのが、全てでございます。とても帝に献じられるものでは――」


「……たわけたことを!」


 いきなり、気が違ったように国麻呂はわめいた。


「たわけたことを申すな!」


 気づくのが、一瞬遅れた。目の前に(くつ)の先が見えたと思った時には、五瀬の体は蹴り飛ばされ後方へもんどりうって転がった。


「この、恥知らずめ」


 わめく声と共に、背や頭に両腕の殴打があられのように降りそそいだ。


「金ではないなどと、よくも左様なことを。左様な恥知らずなことを、涼しい顔で」


 年老いた爪が、腕でかばいきれぬ頬や額をかすめ、無数の掻き傷を作った。


「聞け」


 床に突っ伏している五瀬の髪を、国麻呂はわしづかみにつかんだ。すさまじい勢いで頭を引きずり上げ、ぐいと顔を寄せた。見下ろす目は黄色く濁り、小刻みに震えていた。どす黒くなった唇の端から唾液がしたたった。


「厳原の国衙に、朝廷の使いが参ったのだ。使いの申すには来年、宮中にて献上の儀が執り行われる」


「――」


「金は、その儀に間に合わせ献上せねばならぬ。朝廷の厳命じゃ。何としても献上せねばならぬのだぞ。それを、今になって、樫根のあれは金ではございませんでしたなどと、左様なことがとおると思うてか」


 声はしだいに甲高い金切り声となり、終わりの方はほとんど聞き取ることすら出来なかった。国麻呂はいっとき、ひきつけのように体を震わせたと思うと、汚いものを捨てるように、五瀬の体を突き飛ばした。


「わしは、死罪じゃ」


 咽を痙攣(けいれん)させ国麻呂は低いうめき声を発した。


「いや、わし一人では済まぬ。朝廷をたばかったのじゃ。謀反の刃を向けたに等しい。一族ことごとく、死を賜わることになろう。対馬県の家は終いじゃ。――雑戸」


 両の目を燃え立たせ、国麻呂はその言葉を憎しみと共に吐きかけた。


「――雑戸、お主のような者とかかわったばかりに、わが一族はついえねばならぬ。雑戸はやはり賤じゃ。(けが)れと災厄の宿る者じゃ。出て行け。その卑しい顔を二度とわしの目に晒すな。今すぐに出て行け」


 ぼんやりと、五瀬は立ち上がった。命ぜられるまま扉を両腕で押し開け、屋敷を出るとあとは訳も分からずに走った。気がつくと、屋敷裏に広がる叢林の奥に呆然と立ち尽くしていた。


 衣の胸元が血で汚れていた。顔に手をあててみるとべっとりと鼻血がついた。蹴られた時に沓先が当たったのだった。衣を脱ぎ、そばに流れていた細流に浸した。水をすくって顔を洗った。蹴られたはずの鼻は痛まなかった。その代わり、国麻呂の口から吐きかけられた、雑戸、という一言が耳に鋭い爪のように食い込み、全身が切るように痛んだ。頬に手をあてて、五瀬は両の目から涙がつたっていることに、初めて気がついた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ