第六章 金の正体(一)
予定していた十回の鍍金が、ようやく終わった。あとは鍍金の表面をならす、へら磨きの作業が残るばかりであった。合金は粘土のように固いために、水銀を飛ばしたあとの鍍金面には大小の凹凸がどうしても残ってしまう。それを鉄のへらでもってなでつけ、美しい光沢が出るよう、なめらかに磨き整えるのである。
磨きをほどこすのは額や頬など広い面ばかりではない。宝冠のような細工の細かい部分まで、小さなへらを用いて一つずつ、根気良くならして行く。御堂にこもり、五瀬は一日中、磨きをかける作業に没頭した。
鍍金面をじっと凝視しへらを動かし続けていると、五瀬の目と心はしだいに金の中に埋没した。椎根も鶏知も、砂金も都も、仏の姿そのものすら、金の色の下にうずもれてしまう。この世の全てが消え去り、そうして決まって心を訪うのは、あの、新羅の若者の顔であった。仏像のおもてが輝きを増すほどに、切り抜いたように大きな目や、鋭く彫った鼻梁、濡れたような黒髪は、ありありと眼前に鮮やかさを深めた。村人をぐるりと見渡した時の顔が浮かぶこともあった。鞍上の兵士を見上げた、怒りに燃えた顔のこともあった。そしてじっと空を見上げた死顔が眼前を訪れることもあった。異国で命を奪われた盗賊のために、五瀬は一心に金仏を磨いた。法要を控えているはずの広兄の亡父のことは、心の中から忘れ去られていた。
日に二度、朝夕の飯は三船が知らせてくれた。へら磨きの作業には技が要る。こればかりは三船も手伝うというわけには行かないため、代わりに飯の仕度を受け持っているのである。
金の海に呑まれて死者の世をさまよっていた五瀬の心は、三船の顔にうながされて、生者の世界に戻って来る。三船の目には、五瀬の様子がどこか尋常でないのが分かったのだろう。
「五瀬、あまり根をつめぬ方がよい」
幾度か忠告した。しかし五瀬がなかなか耳を貸さぬために、どこからかノビルを摘んで来て、仕事の合間に食えと言って差し入れてくれた。
なめし革で最後のつや拭きを行い、ようやく鍍金は完了した。
「おう、これは見事だ。まこと釈迦如来が降り参らせたようではないか」
知らせを受けてやって来た広兄は、御堂の薄闇を払って燦然と輝きを広げる金銅仏の尊顔に、感じ入って声を上げた。香炉に香木をくべ、うやうやしく如来像の前にぬかずいた。広兄の妻子や縁者、家臣らも続々と御堂を訪れた。皆が出来映えに驚き、感嘆して口々に褒めそやすのを、五瀬は少し離れた所に立ち、夢から覚めたような表情で聞いていた。広兄が差し招いた。
「都の鍍金の腕をしかと見せて貰うた。これは褒美だ」
広兄は衣をくれた。見れば珍しい綿布の衣であった。五瀬はありがたく頂戴した。
五瀬は仕事場を引き払った。道具をまとめ、炉を埋め、御堂とその周りを丁寧に掃き清めた。あとは、再び船に乗り鶏知に帰るばかりだった。広兄に最後の挨拶を済ませ、三船と、付き添って来た家人らと共に、五瀬は村を出た。船着き場が見えて来た。潮の香の中に船が波に洗われていた。一行の姿を認め、船頭が立ち上がった。
と、五瀬の足が止まった。
「どうした」
気づいた三船がいぶかった。家人も不思議そうに立ち止まって振り返った。皆の視線の先に五瀬の表情は少し硬い。
「――すまない」
口早に言った。
「皆、すまないがここで待っていてくれぬか。すぐ戻るゆえ」
仕事道具などの入った包みを慌しく三船の手に押しつけるなり、五瀬は皆が呆気に取られている前を奔馬のように駆け出した。
「ああ、お主。家部宮道はおるか」
村へ駆け戻り、五瀬は最初に目に止まった村人を捕えて聞いた。
「宮道? 奴なら家におったはずだが」
「呼んで来てくれ。手数をかけるが、頼む」
宮道はじきに来た。
「お主、初めに金を見つけた時、小指の爪ほどの粒があったと語っておったな」
声低く五瀬は訊いた。宮道は五瀬のただならぬ視線に気圧されて、無言で頷いた。
「その砂金の粒、石の下で、ばらばらにつぶれた、と言うたな」
「ああ、そのとおりじゃ」
「その、金がつぶれた様をよく聞きたいのだ。砂金は――」
五瀬は思いついて、足元からちょうど爪くらいの大きさの土くれを二つ拾い上げた。一方を唾で湿し、二つを手のひらに並べた。宮道の見ている前で、五瀬はまず唾で湿した方の土を指でつぶして見せた。水気を含んで粘土状になった土は餅のようにべったりと平たくひしゃげた。次に乾いた方を押しつぶした。こちらは指の下でもろく砕け、細かな土の粒になって崩れた。
「金は、どのようにつぶれた」
五瀬のするのを見守っていた宮道は、考え込む様子もなく指を上げた。指先は黙って、細かい粒に砕けた土くれの方を示した。
船着き場で待つ一行のもとへ、五瀬が戻って来た。
「何事かと思うたぞ。あのように慌てふためいて戻ったところを見ると、さてはおなごか」
家人の苦笑いに、五瀬は困ったような作り笑いを返し、そそくさと船に乗り込んだ。やはりそうか、と、家人と兵士は笑い声を立て、笑いながら船べりをまたいだ。最後に三船が乗り込んだ。櫓が鳴り、船がすべり出した。
家人と兵士とは船に乗ってからもしばらく、女のことでしきりと五瀬をからかったが、五瀬ははぐらかしてばかりいた。二人はじきに飽きて、若い時分、村娘のもとへ通っていたという思い出話に花を咲かせ始めた。質問ぜめから解放されて、五瀬はほっと船べりにもたれ遠方へ目を注いだ。船の景観を愉しんでいるようだったが、しかしその目は行き過ぎる島影をまるで追っていなかった。まばたきも忘れ、ただ宙の一点を凝視していた。唇は血の色がさめ、時折思いつめたようにかすかにわなないた。
浅茅浦を渡り、船は鶏知に帰り着いた。帰参の挨拶に屋敷を訪うと、国麻呂は用があって厳原の国衙へ出かけているとのことで、留守であった。五瀬は屋敷裏の自分の小屋へ戻った。
奴婢小屋へ戻ったと思った三船が、小屋の傍らに立って待っていた。
「五瀬、何があったのだ」
三船が訊いた。五瀬は歩み寄って来た。唇をじっと食いしばったままやおら、三船の腕をつかんだ。
「――三船」
咽がうめいた。
「船に乗った時からおかしいと思っておったのだ。五瀬、何があった。何のために村に戻った」
三船の手が肩を揺すった。五瀬はぐっと眉を上げた。見上げた目が血走っていた。三船、対馬の金は、血を絞り出すような声が歯の間から洩れた。
「三船、対馬の金は、樫根で掘っておるあれは、金ではないぞ」
「何――」
驚くあまり大声を上げそうになり、三船は咄嗟に自分で自分の口をふさがなければならなかった。
「分からぬ。金ではないとは、どういうことだ」
声を押し殺した。
「話すより先に、あの倉に積み上げられた金を調べてみなければならぬ」
二人は樫根から運ばれた砂金が保管されている倉へ向かった。途中、五瀬は道端から手のひら程の平たい石を二つ、袂に拾った。倉番に鍵を開けさせ中に入った。日はまだ充分に高いが、窓というものがない正倉の中は冷たく暗い。五瀬は箱から砂金の粒を幾つか、つまみ出した。三船に明かりを持たせておいて、床に石を置きその上に金を一粒乗せた。石が打ち下ろされた。鋭い音がしたと思うと、黄金色の砕片がぱらぱらと床にこぼれた。五瀬はもう一粒、同じように石で打った。これも細かな屑に砕けた。次のも、その次のも、箱から取り出した砂金は皆、石に打たれ無残に砕けこぼれた。
五瀬の唇から太い息が洩れた。三船には何のことか分からなかった。
「金は、砕けたりはせぬ」
一言、五瀬は答えた。床にこぼれた金の細片を指でつまみ上げ、じっと凝視するまなざしが、苦しげであった。
「三船、鍍金をやった時、金を薄く叩き伸ばしてから削ったのを覚えておろう。柔らかいのが金だ。打ち据えれば平たく伸びねばおかしい。このように細かく砕けるわけはない」
絶句して、三船は苦しげにゆがむ五瀬の顔を見つめるしかなかった。やがて砕けた金の粒をつまみ、明かりにかざした。塵の如く砕けてなお、研ぎすまされた、針のような光を放っている。
「そう言われてもにわかに信じられぬ。わしには金にしか見えぬ。金でないとすれば、一体これは何だ」
「分からない」
五瀬はがっくりと声を落とした。
樫根で大量に採掘された金とは、黄銅鉱であった。銅と硫黄が結合した硫化鉱物で、銀鉱脈の中に銀と共に含まれていることが多い鉱物である。美しい黄金色とつややかな光沢を持ち、一見しただけでは見分けがつかない程、金とよく似ている。
金が発見された場所はまさに、銀山の下流部であった。恐らく銀山の鉱脈に含まれていたものが雨などで洗い出され、長い年月のうちに佐須川底の砂中に堆積したのであったのだろう。
三田一族はあくまでも金の加工技術に特化した職能民である。錬金や鍍金の知識はあっても、砂金やその採掘にかんしては、ほとんど何の知識の蓄積もない。ましてや砂金とよく似た鉱石が存在するなど知るはずもない。金と黄銅鉱との区別が五瀬につかなかったのも、無理からぬことであった。