第五章 椎根にて(二)
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この当時の鍍金技術は焼付け鍍金法と呼ばれるもので、金と水銀の合金、いわゆる水銀アマルガムを用いる技法である。作業の下準備として、金は薄く叩き伸ばし、細かく切る。金は柔らかい金属であるため、薄く伸ばしてしまうと菜でもきざむように簡単に切ることが出来るのである。鍍金を施す銅器の方は、金が乗りやすいよう、梅酢で丹念に拭って表面の細かな汚れを除いておく。
細かく切削した金を水銀と共にるつぼに入れ、五瀬は炭火にかけた。ヘラでもってそっとかきまぜると、金の薄片はたちまち、水銀の中に吸い込まれるように溶け消えた。あたかも沫雪がみなもに落ちたような速やかさである。水銀は金属と容易に結合して合金を形成する性質を持つのだが、中でも金とは非常に相性が良いのである。
「これは不思議な眺めだ」
るつぼを覗いて三船が思わず声を上げた。五瀬は頷いてみせた。鍍金の仕事は工房で数えきれぬ程やって来たが、この、金が水銀に溶けて行く様は、五瀬も、幾度見ても不思議な幻術を見せられている心持ちがする。
均一になるまで入念にすりまぜたら、水に浸して不純物を洗う。しかるのちに皮に包んで搾り、耳たぶ程の硬さになるまで余分な水銀を除けば、合金は完成である。
これを銅仏の表面に塗って行くのだが、ヘラで、しかも塗りむらの出来ないように一気に塗らねばならない。鍍金の行程において最も難しい作業であるが、しかし同時に職人の腕の見せどころでもある。
そして乾くのを待ち炭火で焙りつけて水銀を蒸散させる。刀の柄飾りのような小さなものであれば、鉄板の上に置いて下から焙るのだが、今回の仏像は大きい上に動かせないため、焼けた炭を鍍金した部分にかざして、水銀を飛ばすことにした。
塗布面が、水銀の色である銀から金色に変化したら、ひと通りの工程は完了となる。ただし一度の加工で黄金色になるわけではない。始めは黒金色に仕上がる。そこで今述べた作業を何度か繰り返し、金の層を少しずつ厚くして行き、更に研磨を行ってようやく、美しく輝く金銅仏が出来上がるのだった。鍍金作業を何度行うかはその時の条件によって異なるが、父親の供養のためということであれば、通常よりも多少多く行い、出来るだけ美しく仕上げたい。少なくとも十回くらいは必要であろうと、五瀬は見当をつけていた。
五瀬を手伝って一年近く精錬にたずさわって来た経験がものを言ったのか、三船は初めての鍍金の仕事にもすぐ慣れた。最初の一日目こそ手を取るようにして教えたものの、翌日からは合金を煮るのも、炭火で水銀を飛ばすのも、五瀬の指示はほとんど必要がなかった。五瀬が銅仏に合金を塗布する間に、三船が次に使う合金を作っておいてくれるおかげで、仕事は予想していたよりもずっと速やかに流れた。
「思ったよりも早く済みそうだ」
大分黄金の輝きを帯びて来た釈迦如来を眺めて、五瀬は言った。鍍金作業はちょうど四回を数えたところであった。
「半月待たずに鶏知に戻れるかな」
「うん、まあ、そうかもしれぬが」
五瀬の口が渋くなった。鶏知に帰る、それを考えただけで、今の五瀬には気が重い。戻ったら、あの郡衙の倉に積み上げられた砂金を精錬すべく、再び試行錯誤を繰り返す日々が待っている。しかし正直なところ、精錬を成功させられる自信は五瀬にはもはやなかった。積み重ねてきた数知れぬ失敗の中で、試すべきことは全て試したように思われる。一体、まだ見落としている何かがあるのか、それとも失敗の原因は全く違うところにあるのか、いずれにせよ、闇夜の川で砂粒を手さぐるような話であった。腹に砂金を呑み込んで高くそびえる正倉の大きな影が黒々と心にのしかかって、五瀬は息がつまる思いがした。
「金が錬り上がる日が来るようには、おれにはとても思えぬ」
夕刻、向かい合って飯を噛みながら、五瀬はこぼした。
「ふむ……。しかし、だからと言うてやめるわけには行かぬのであろう?」
「そういうことだ。上も下も分からぬというのに、泥の中でただ、もがき続けていなければならぬ」
五瀬はいまいましげに舌打ちした。ふた月ばかり前、視察に来た国衙の役人に股ぐらを蹴り上げられた時には、金を上げられぬ咎で首を刎ねられるのが恐ろしかった。しかし心労が積もりに積もった近頃では、むしろ朝廷の役人が刀を片手に怒鳴り込んで来た方が楽かもしれぬと、そんな思いが、半ばやけくそ気味に心の隅に顔を出すのだった。
鍋をかけていた後には、まだ火が残っている。休む前に疲れた体を温めておこうと、二人は残り火にあたった。
「お主がいなかったら、おれはとっくに、海に飛び込んでいるな」
火にかざした手をもみながら、ぽつりと五瀬は言った。
「何のことだ」
「いや、そのままだよ。お主に、――お主の気がねのない心安さに、おれはどれ程助けられておるか分からぬのだ。腹立たしいことや、苛立つことがあっても、こうしてやって行けるのは、お主のおかげだ」
「……」
「そういえばお主は、会った始めから、おれに物怖じや遠慮をしなかったな。奴婢のくせにふてぶてしいと呆れたこともあったが、だがそれがなければ、おれはお主とこうして心安くはなれなかった。ありがたいと思うておるのだ。もしも、それこそ主と奴婢の間柄であったら、この毎日はつらいよ」
そう言って、五瀬は笑って見せたが、しかし五瀬の笑顔に三船は応えなかった。むっつりと押し黙った顔が、うつむいた。燃えさかる火に炙られて眉が焦げそうだった。しばらくそうしていたが、
「それは違う」
急に、三船は首を振った。声に苦さがあった。
「違うのだ、五瀬。――五瀬、わしはお主にすまぬと思うておる」
妙なことを言い出した。しばらく気まずそうに言いよどんでいたが、鶏知に来るすぐ前のことだ、と話し出した。
「あの時、役人に呼びつけられ、都から参った金鍛冶の手伝いに、鶏知へ行けと言われた。話を聞いてわしは嫌で仕方がなかった。国衙を見れば分かるように、都の人間は威張りくさってろくなことをせぬ。そういう者と二人きりで、何やら仕事をせねばならぬとは、全く気の重い話であった」
「国衙の役人の乱暴なことは、おれも村の連中から聞いた。しかし……」
「いや、話したいのはそこではない。厳原を発つ直前、仲間の一人が、何処からかお主のことを聞いて参ったのだ。その鍛戸は、都人とは言うても雑戸という身分だと。奴婢ではないが奴婢とさほども違わぬ卑しい者であるらしいとな。
わしはしめたと思うた。これからわしの主となるその雑戸に、たとえどんな目に遭わされようとも、所詮わしと変わらぬ賤民ではないかと、心の内に蔑めばよいと、気が軽うなった。――それゆえ、お主と初めて口をきいた時、良民ではなかったかと言われて、わしは腹の底が冷えた。お主はわしを、殴りつけも蹴りつけもせなんだのに、わしはずっとお主を蔑んでおった。それを見透かされた思いがした。蔑まれる辛さをずっと舐めて来たわしが、蔑むべきではない者に蔑みを向けてしもうた。詫びて済むものではないが、すまぬと思うておるのだ。あの頃のことに触れられては、心苦しい」
「――」
五瀬は咄嗟に返す言葉がなかった。三船は再びうつむき、しばらく火にあたるそぶりをしていたが、そういうことだ、と一言つぶやき、立ち上がってそのまま自分の小屋へ行ってしまった。小屋といっても名ばかりの、御堂の傍らに立つ大木の幹に木をもたせ草でふき、屋根と壁にしただけのものである。草のすれ合う音がして、五瀬は沈黙の中に置き捨てられた。
陽が、西の山の端に隠れた。水に没して行くように、闇が徐々に地に下りて来る。水と違うのは、光が失われるにつれ、風に運ばれて種々の匂いが満ちて来ることである。潮の匂いや魚の生臭いにおい。――これは盆地に生まれ育った五瀬には今もって、異国情緒をかき立てる匂いであった。芽吹きつつある草木の匂い、岩板の隙間を選ってわずかに開かれた畑で、土が起こされているのか、新鮮な黒土の匂いも、切れ切れに入りまじって届いた。
匂いが鼻先を行き過ぎるのにまかせながら、五瀬は、膝元に並べてあった小枝を取り上げ、火に投じた。もう一本、さらに一本、枝を呑み込むたび、火は息を吹き返したように明るく炎を躍らせた。五瀬の目はしかし、火を見ていなかった。といって、三船をも見ていなかった。見ていたのは故郷にいた奴婢の姿であった。
郡司の館などには大勢の奴婢が使われており、村の周りでも時折姿を見かけることがあったのだった。彼らを見かけると、子供の五瀬は日頃自分たちが受けている以上の嘲弄をありったけ、つるばみをまとったその背に浴びせた。相手が自分と同じ子供であったりすると、泥の玉や時には石つぶてまでぶつけ、衣の裾に大事そうに包んだ木の実を取り上げては、面白がった。
どんなむごい目に遭っても、奴婢たちは何も言わなかった。ただ目を伏せ、道の端をうなだれて歩いて行くばかりだったが、しかしその中には、今しがた三船が吐露したのと同じ感情、雑戸なぞは奴婢と変わらぬではないかという侮蔑が、強く刻まれていたに違いない。そうしてみると、それを裏づけるようなことは、確かに思いあたるのだった。
考えるうち、五瀬は御堂の隅に敷いたわらの中に倒れ込んだ。うとうとと浅い眠りを漂い、目を開けた時もまだ、頭はあれこれとものを考え続けていた。
閉め切った扉の隙間から、糸のような朝の光が淡くにじみ込んでいた。手を伸べると染み入るように温い。五瀬は御堂の扉を押し開いた。静まり返った地面を石英のような朝日が流れている。
「三船」
声をかけてみた。
「朝げを炊こう。手伝うてくれ」
やがて草が動いて三船が顔を出した。顔色が少しすぐれないところを見ると、三船もまた、五瀬と同様に昨夜はよく眠れなかったらしい。
炉の周りに、二人は顔を集めた。五瀬が小枝を組み上げ、三船が火をおこした。その間に五瀬は米を洗い、鍋に仕込んで、火にかけた。型どおりの、昨日までと寸分も形変わらぬ、飯仕度の眺めである。枝をくべるうち、ふたの隙から湯気が上がり始めた。杓子を取り上げ、五瀬は二つの椀に粥をよそった。いつもよりも、多くも少なくもない。椀の一つを三船に出した。見慣れたしぐさで、三船が椀を受けた。
「のう、三船よ」
ぽつんと、五瀬が言った。
「うん」
「お主は、おれの友だよ」
友と、三船に向かって初めて、五瀬は口にした。
「おれにとって、大事なことはそれだけだよ」
昨夜、閉め切った闇の中で五瀬は、人を蔑むことの暗さと醜さとを初めて噛みしめた。憂さ晴らしに奴婢をいたぶった自分も忌まわしいが、密かに雑戸民を蔑み、慰みとした奴婢どももまた、忌まわしかった。殴られようが足蹴にされようが相手を蔑んでおれば腹も立たぬという、三船の抱いた感情もまた、忌まわしいと思った。侮蔑とは人の心が抱えるうちで最も醜い闇であった。がしかしだからこそ、その憎むべきもののために、三船との間に築いて来た友の情を穢されるべきではなかった。
三船は初めて顔を上げた。
「わしのような者を、友と呼んでくれるのか」
「うん。お主も、おれを友と呼んでくれぬか」
三船は椀に顔を伏せた。小さく、鼻をすすり上げる音がした。