第四章 持統の思い(三)
雑然とした中に、暖かくなり始めた陽を慕うように窓ぎわの文机に座り、傍らの者と何事か熱心に言葉を交わしている五十がらみの官人の姿を見つけ、忍壁はそちらへ歩を運んだ。
「これは」
人の気配を感じて、その人は顔を上げた。相手が忍壁と気づき、立ち上がって深々と一礼した。粟田真人である。大宰府の長官を長く務めた経歴を持ち、現在は民官(※1)の長官を務めている。のちに、彼は遣唐使として唐に渡るのだが、唐の正史「旧唐書」はその人物を、
「好く経史(古典・歴史)を読み、属文(作詩・作文)を解す。容止(風貌・挙措)温雅なり」
と記している。
総裁に任じられた忍壁が自らの補佐役としてまず真っ先に加わってもらったのがこの粟田真人であった。持統太上天皇からは、編纂事業は二年をかけずに成すようにと厳命を受けている。一から作成するのではなく、今まで施行されてきた飛鳥浄御原令を修正し手を加える形で進められるとはいえ、今後数十年、もしかしたらそれ以上の期間の施行に耐え得る律令を突貫作業で編纂せよというのであるから、大変な難事業になろう。無論、動かさねばならぬ官人の人数も膨大なものになる。この粟田真人という人の、知識、政の経験の豊富さ、人あたりの穏やかさといった徳は、事業を動かしていく上で必ずや大きな助けになると、忍壁は見込んでいた。
忍壁は作業の進み具合を訊いた。真人は問われるまま手元の木簡に覚書きされた幾つかの名を示した。
「伊余部馬養殿には加わっていただく所存でございます」
真人は言った。
「律令の条文を作るには文筆に長けた者がどうしても必要です。彼の者なら適しておりましょう」
伊余部馬養は文人として著名な人で、その能を買われて皇太子時代には文武帝の教師も務めた。また地方官として丹後に赴任した際には、土地に伝わる物語を筆録したことなども忍壁は聞いていた。ちなみにこの時馬養が筆録したのは水江浦嶋子の物語といい、後世浦島太郎として広く読まれることになる民話の原型である。
「成程」
この人選には、忍壁はすぐにうべなった。それから彼は机上の木簡を手に取り、記された名に一つずつ、目を通した。
調老人。十年程前、馬養と共に歴史の美談集を編纂したことがある。土部甥。唐に十数年も留学していた有識者である。その他にも、留学生や学問僧として唐の文化、学問に通じた者の名が並んでいる。良い人選であった。
「編者は何名くらいになる」
「左様でございますな」
真人は、新しい律令の全体像を、既に漠然とではあるが描いていた。巻数は、飛鳥浄御原令とほぼ同等、二十巻前後になると思われる。令は二十五から三十本、律は十本程になる。それらを幾つかに分け担当者を定めて編纂をさせる。だいたい二十名が適当ではないかと真人は答えた。
「皇子も経験がおありでございましょうが、こうした仕事は人が多くても少なくても滞りまする。少なければ手が足りず、多ければ混乱致します」
「確かにそうだ。二十名、うむ、わしもそのあたりで良いと思う」
「ああ、しかしこれはあくまでも私の考えでございます。中納言殿は如何様に考えておられるかは存じませぬ」
真人は部屋の隅へ目を転じた。文机の周りに書物、資料の類をうず高く積み上げ、傍らに助手も置かずにひとり一心に、藤原不比等が書類をめくっていた。
彼は律令編纂事業の副総裁であった。持統が忍壁共々、直々に任じたのである。しかし、副総裁とはいうものの、忍壁は皇親の代表者として、不比等は諸臣の代表者として、それぞれ抜擢されたと考えると、忍壁と不比等、二人の立場や権限はむしろ同等と言って良かった。
真人に誘われて忍壁も不比等を見た。作業の具合を尋ねるべきは、本来は真人ではなくまず副総裁の不比等である。が、忍壁はちらりとそちらを見たきり、そばへ寄ろうともしなかった。仕事に没頭する不比等に気をつかったのでは無論ない。この男の顔つきや口吻、人を見る時の目つきなどの、如何にも才知に長けた官人といった風を、忍壁は本能的に嫌っていたのである。
* * * * *
不比等は現在四十二。この一大事業の頭を務めるには少々若輩過ぎる感があり、事実、左大臣の多治比真人といった朝廷の長老をおさえての抜擢である。持統の、不比等に対する信頼の厚さが窺える。
不比等は、かの中臣(のち藤原)鎌足の次男であった。鎌足といえば、天智帝の股肱であり生涯の盟友であった人だが、自身の娘を天武の妃に入れたりなどして、その晩年には天智のみならず天武からも大きな信頼を勝ち得ていた。父、鎌足に、天武と持統が寄せた信頼が、そのまま息子の不比等への厚遇へとつながったことは想像に難くない。
ただ、不比等は天武朝においては目立った働きはしていない。年若かったこともあるし、また、同族である中臣氏は近江朝で要人を務めていたのだが、壬申の乱のあおりで朝廷から一掃されてしまい、その影響もあった。しかし代が変わり持統が即位するや、不比等は政の表舞台に華々しく登場して来る。飛鳥浄御原令の施行に伴い判事に任命されたのである。年はこの時、三十一。位階は既に直広肆(※2)である。早い出世であった。
不比等という人物を語るには、父鎌足のことと共に、妻、犬養三千代のことにも触れておかねばならない。三千代は文武の乳母であり、文武が長じてのちは養育係も務めた。その拘わりで、持統からは厚い信頼を寄せられていた。
この三千代に、不比等が近づいたそのきっかけは、自らの娘、宮子を、文武の即位にあたって妃に入れようと画策したことに始まる。既に持統の信を得ていた不比等だったが、宮子入内をより確実なものにするため、後宮の勢力を後ろ楯にし搦め手からの工作ももくろんだ。そうして目を止めたのが、奥で隠然たる発言力を持つ、三千代だったのである。三千代もまた、権力欲求の強い婦人であった。鎌足の血を引く才知溢れた野心家と、後宮を動かす権力指向の女性と。二人の結びつきは必然であったと言ってよい。
二人の尽力で宮子の入内は成功した。そしてこれは間違いなく、持統を通じて三千代が糸を引いたのであろうが、文武は即位後も皇族から妻を娶らなかった。従って文武には皇后はおらず、第一夫人の宮子が、事実上の皇后である。あとは宮子が皇子を産みさえすれば、不比等は帝の外祖父として強大な権力を手に出来ることになるのだった。ちなみに宮子入内を機に不比等と三千代は互いの配偶者を離縁して夫婦となっている。そして皇家は、宮子が産んだ聖武帝のもとに、三千代が産んだ光明子が皇后として入内するという流れとなって行く。
そんな不比等である。無論今回の編纂事業の副総裁という人事も、三千代の影響が全く無関係ではなかった。
筆にたっぷりと墨を含ませ、不比等は木簡に力強く、候補者と思う者の名を書きつけた。忍壁が部屋に入って来たのも、真人と人選に関して語っているのも気づいていたが、彼はわざと知らぬふりを決め込んでいた。忍壁が不比等を好いていないように、不比等もまた同様に、忍壁に好印象を抱いているとは言い難かった。確かに、皇子は愚人ではないかもしれぬ。が、物事の考え方が、不比等に言わせれば忍壁は万事、夢想的、熱情的であった。政にも、またこの律令編纂事業の総裁として人を動かすにも向いていないと、自らをもって現実主義者と自認する不比等は、そのように評価していた。
総裁である忍壁や、粟田真人が如何様な名を編者に考えているかなど、彼には関心が薄い。自らの人選にまさるものはないという心づもりが、筆跡に表れていた。
朝廷の人々が自分について何を囁いているか、不比等はよく知っている。編纂事業の人事に三千代の口添えがあったことは既に周知であるし、そもそもこの夫婦の成り立ち自体が清らかなものではないことも、皆々暗黙のうちに了解済みである。中納言は自らの栄達のために人の妻を盗ったと、陰で遠慮もなく言い合っていることも彼の耳には入っていた。
しかし当の不比等は、そうした陰口は毫も意に介してはいなかった。
不比等は己の才をよく自覚していた。かつまた、己の才を愛してもいた。自らの持つ才覚にふさわしい仕事を与えられることは、若い頃から抱いて来た切望であった。持統が任じた判事の職に不満があったわけではないが、しかしもっと大きな仕事がしたい。一国を動かすような大事こそが、自らの才覚にはふさわしいのだという強烈な自負があった。
しかしそのためには出世しなければならぬ。位階が低い下級役人が、如何に才があろうともどうやってそれを発揮し得ようか。誰でも好きに陰言すればよいのだ。自分が栄達を求めたのはあくまでも、才をふるう場を得んがためである。それにひきかえ、あの口さがない官人どもは所詮、関心事といえば冠の色のみではないか。
新たな木簡を取り上げ、不比等はもう一つ、名を書きつけた。本格的な律令を編纂し、律令国家の礎を完成させるとは、まさに不比等が望んだとおりの大事業だった。この事業を動かすにふさわしいのはただ自分だけであると、そこまで不比等は信じている。妻の口添えで抜擢されたとて、それは些事に過ぎぬ。
――三千代のこともだ。誰も何も分かっておらぬ。
筆先をちょっと止め、不比等は口元に薄く冷笑を浮かべた。
確かに、三千代に近づいたのは後宮の後ろ楯のためであったことは間違いない。がしかし、それが理由の全てであったと言えば誤りになる。不比等に言わせれば、三千代は、藤原不比等という男を誰よりも理解する者であった。三千代が、前夫の美努王を凡夫に過ぎぬとして切り捨て不比等と一緒になったのも、その才と、将来における栄達を見抜いていたために他ならない。
それは一方では、もしも不比等に栄達の道が閉ざされた場合には、今度は不比等が、塵か芥のように三千代に捨てられるということでもあるが、だがそうした緊張感のある夫婦関係があってもよいと、不比等は思っている。
要は、不比等にとって三千代とは、利用価値の非常に高い女性であるのと同時に、非常に魅力的な女性でもあったのである。欲得ずくだけで男と女が夫婦をやっておれるものかと、彼は世人の俗な噂を腹の内で大いに嘲笑した。
(第四章・了)
※1 民政一般を担当する省
※2 従五位下




