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第一章 三田五瀬(一)

 工房で働く三田五瀬(みたのいつせ)の元に客があったのは、厚く垂れ込めていた雲が数日ぶりに吹き払われ、色あせた空が寒々と凍てついた朝のことだった。


 客とは、三田の氏上(※1)で、二里余も離れた忍海郡の村から、わざわざこの飛鳥まで出向いて来たのだった。


「何でも、お主に話があるらしい」


 氏上の来訪を告げた職人仲間が、襟をくつろげながら言った。ひさしぎわの土間に炉が八つも炎を上げているために、壁板がないにも拘らず作業小屋は季節を間違えたように熱かった。炉はそれぞれ小ぶりのるつぼを抱いている。るつぼの中には銀色の、粘土状の物がどろりと溶け、これは鍍金(ときん)に使用する金と水銀の合金である。小屋の真ん中には銅の金仏が鍍金を待って鎮座している。三田氏は、こうした鍍金、つまり金のメッキ加工から、金細工、金鉱の精錬といった仕事を代々の業として来た鍛戸(かぬちへ)の一族であった。


 五瀬は様子を見ていたるつぼから、顔を上げた。何であれやりかけた仕事を中断されるのを彼は好まなかった。来客と聞いた時は、どうでも良さそうな相手ならば居留守を決め込もうとも咄嗟に思ったのだったが、氏上ではそういうわけにはいかない。手にしていた道具を傍らに置き、五瀬は立ち上がった。(おさ)は、下の井戸の所で待っていると言う声を背中に聞きながら、顔の汗を拭いつつ、小屋を出た。


 表には朝の陽を浴びて既に雑然とした光景が繰り広げられていた。屋根掛けしただけの簡素な小屋が乱雑にひしめき、中では職人たちが、ある者は炉に向かい、ある者は道具を磨き、各々の作業に没頭している。建て込んだ小屋の間には石やら土くれやらが積まれ、ただでさえ狭く入り組んだ空間を殊更に複雑にしていた。その狭い中を、職人たちの行き来がせわしかった。


 ここは朝廷直轄の巨大工房だった。蘇我馬子の建立とされる古刹、飛鳥寺の南方に、二つの尾根に囲まれて緩やかな谷あいが南北二町(二百m)に渡って伸びている。そのほぼ全体を使って工房が営まれ、金銀を始めとする金属の鋳造、細工や、瑠璃(ガラス)、瓦の製造などが、役人の指揮の下で大規模に行われていた。この地に工房が置かれたのは五十年前、大化改新を行った天智帝とその弟天武帝、この両帝の母である斉明女帝の御世に遡る。当時女帝は、飛鳥に大掛かりな都城を築くべくもくろんでいた。都の造営には瓦などの建材を始め様々な物品が大量に要りようになる。そうした品々を迅速に生産し、かつ納めさせるため、女帝は都から程近いこの谷あいを選んで整地し、職人を集めたのだった。いわばこの谷地は官営の一大工業地と言ってよい。


 小屋や人の間を縫いつつ斜面を下りきると、そこは小さな広場になっている。共用の井戸が設けられ、石を敷きつめた井戸端に、水を汲んだり汗を拭ったりする屈強な男たちに交じって、岩に腰かけた氏上の、しなびた茸のような姿を五瀬は認めた。


典鋳司(いもののつかさ)の役人に呼ばれて、明け方着いたばかりだ」


 五瀬の姿を見るなり、氏上は愚痴った。典鋳司とは大蔵省の被官で、金属の鋳造、瑠璃・(ぎょく)の製造などを司る。三田氏も金を扱う一族であるから、当然この典鋳司の配下に置かれていた。


「今日の昼頃行くようにするとわしは言うたのだが、昼は繁忙ゆえ朝一番に来いとぬかしおってな。仕方がない、膝に鞭打って夜歩きして来たわ。あいつら、己の都合しか考えよらん」


「長、おれに話とは何だ」


 氏上の愚痴は放っておけばいつまでも続きそうだった。話を早く済まそうと、五瀬は氏上の口を遮って訊いた。


「おう、そのこと、そのこと」


 促されて、氏上は本来の用事をようやく思い出した。膝を手のひらでぽんと打つと、


「そのことだが五瀬、お主対馬へ行って来い」


 唐突に告げた。


「――ツシマ?」


 呆気にとられて五瀬はおうむ返しに訊き返した。


「対馬と言うたか」


「ほれ、(あずま)より男どもが防人に行っておろうが。あそこだ」


「いや、それはおれも知っているが」


「金を錬る者が欲しいそうだ。なんでもその対馬で金が出たのだとか」


 氏上によると、ひと月ばかり前のこと、対馬の嶋司(※2)より、彼の地で金が発見されたとの報が、都にもたらされたのだという。


 この国には金は存在しないというのが、歴史始まって以来の、人々の共通の認識だった。確かに川底の砂から砂金が採取されることもないわけではなかったが、しかしその量となると、お話にならぬほど微々たるものだった。金細工など宝飾に用いる金は、これまで全て、大陸との貿易で賄って来なければならなかったのである。


 その、存在しないはずの金が発見された。この思いがけない吉報に、朝廷は文字どおり沸き返った。


 発見された地が対馬というのも、人々の高揚を後押しするものだった。対馬とは日本で初めて銀が発見された地なのである。遡ること二十数年前のことで、時の帝、天武帝は、開闢以来の吉事であると喜んだ。銀を献じた嶋司、忍海造大国おしぬみのみやつこおおくには小錦下の位を授けられるという栄達を得、また神事なども盛大に執り行われた。その時の興奮を覚えている者も今の朝廷には少なくない。銀の発見された島で、今また、銀よりもさらに尊い金が発見された。藤原京の人々がそこに、人知を超えた神の啓示を見出したのも無理はない。朝廷はすぐさま、金を精錬させるため職人を対馬へ遣わすことを定めた。責任者は大納言大伴御行(おおとものみゆき)が任じられた。


「しかし……」


 どう答えたものか、五瀬は言いよどんだ。朝廷を覆っている歓喜も高揚も関心の外である。氏上の話に彼はただ当惑を覚えただけだった。はたちを迎える今日まで、五瀬は大和を出たことはもちろん、虐待を恐れてよその郡にすら足を踏み入れたことはない。生まれ育った三田の村と、労役のため通うこの谷の工房とが世界の全てと言ってもよかった。そんな彼であるのに、いきなり、そもそも何処にあるのかも知らぬ対馬とやらに行けと言われたのである。


「長――」


「お主は腕が良い」


 氏上はしかし、五瀬に何も言わせなかった。既に役人の方には、五瀬を推挙してしまっている。


「それに体が丈夫ゆえ船旅にも耐えられよう。左様なわけだ、工房を片づけてすぐ村に戻って来い。出立の仕度をせねばなるまい。よいか、わしはお主に伝えたぞ」


 頭を押さえつけるように言い重ねられて、五瀬は渋々頷かざるを得なかった。


「おれが抜けた分はどうなる」


「そうさな。糟麻呂あたりを明日にでもよこすとしよう。皆はよくやっておるか」


 飛鳥に来たついでにと、氏上は工房にも顔を出して行きたい様子であったが、五瀬は今は鍍金の仕事をしていて年寄りには毒だからと、氏上を止めた。


 鍍金は前述のとおりメッキの作業である。金をかぶせたい金仏などに、あの、るつぼで溶けていた金と水銀の合金を塗る。冷え固まったのちに炭火であぶるとやがて表面は銀色から金色に変わる。合金のうち沸点の低い水銀が先に蒸散し金だけが残るというのがその仕組みなのだが、しかし水銀を蒸気にして飛ばすのだから、職人はそれをそのまま吸い込むことになる。危険の伴う作業であった。


「ふむ、そうか」


 氏上は頷き、蛙のようにたるんだ咽を上下にひくつかせて足元に痰を吐いた。


「なら、わしはこのまま帰るとしよう。皆にはお主から言うておいてくれ」


 それだけ言って、氏上は背を向け来た道を戻って行った。冬の乾いた土の上に、痰の塊が妙な白さでへばりつき、残された。坂道をとぼとぼと行く老いた背の上に五重塔が、朱塗りの体に黒い甍を幾重にもまとって天を衝いている。飛鳥寺の五重塔であった。


 五瀬は塀越しに飛鳥寺の境内を見たことがあった。広い境内は隅々まで下草が払われ平らにならされ、そのため五重塔などは特に、地中から唐突に生え出たかのようだった。五重塔と三つの金堂を回廊が整然と囲み、五瀬が見た時はその掃き清められた石だたみを一人の僧が歩いていた。それはまだ少年の僧で、年の頃は恐らく五瀬と同じ程であると思われた。僧衣の裾を柔らかく乱し、しかしその眼は何ものにも乱されず凛々とした歩みを運んで行く様は、求道と悟りの空間に如何にもふさわしく映った。


 場所こそ接していながら、五瀬の働く工房の猥雑さとは何という違いであっただろう。まさに別世界だと五瀬は思い、しかしすぐに、いやそうではないと思いをひるがえした。


『別世界なのはむしろ、おれがいるこの谷あいの工房の方だ。おれたち雑戸(ざっこ)は、良民であって良民ではない。人でありながら人ではない。そんな連中の集う場所が当たり前の世であろうはずがない。いわば美しい都の中にぽっかりと開いた異形の世に他ならぬ』


 工房が置かれたのは数十年の昔だとは、五瀬も聞いたことがある。その時からずっと、雑戸の民はこの谷で労役に明け暮れて来た。多くの人間が集まり喧騒が溢れているというのに、ここには市のような華やかさはない。常にどこか空々しい静けさが漂っているのは、労役に駆り出された者たちの苦痛が、目に見えない沈黙となってうず高く積もっているためではあるまいか。


 五瀬は高みからこちらをじっと睥睨(へいげい)する五重塔へ目を上げ吐息を洩らした。見上げるまなざしの中に、若い血のたぎりと澄んだ陰鬱とが不器用に交じり合った。

※1 うじのかみ・一族の長

※2 しまのつかさ・国司と同意

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