第42話【黒幕はお前だ!】 不敬の聖水散布と聖女の慈愛。物語の修正力(ごつごうしゅぎ)に翻弄される男
【前回までのあらすじ】
魔獣ガルムを討ち取ったセブンは、王妃の前室を守り抜き、事件の収束を静かに待つ。
だが、ヴァルステイン卿の逃走劇と王妃の“完璧すぎる”振る舞いに、セブンの疑念は深まっていく。
そしてついに、忠義の仮面を脱ぎ捨て、王妃に問いかける――「あなたは本当に、私たちの知る殿下ですか」。
「王妃殿下……あなたは本当に私たちが知っている殿下でしょうか」
現場の空気が凍り付く。
全員の目が点になる。
「わかってしまったんです……真実が……」
一世一代の大勝負だ。ただの近衛兵にはありえないシチュエーションだが、
”物語”が俺を王道ストーリーに誘導するならば……これはあり得ないルートではない。
むしろ今はこれこそが真実だと確信している。
俺は王妃殿下に指をさして吼えた。
「エリザベート王妃殿下!あなたが黒幕だ!!」
びしーっと決める。もう後戻りはできない。
皆の反応を見る余裕もない。やり直しのできない選択だ。
「ヴァルステイン卿は王妃殿下!あなたの陰謀を身を挺して止めようとしていた!」
全員が口を開ける。顎の力が抜ける。
「 つまり、ヴァルステイン卿は、陰謀を企てるどころか!
この国で唯一、あなたという猛毒を排除しようとした忠臣だったんです!!」
言い放った瞬間、王妃の私室は、深海のような圧死しそうな沈黙に包まれた。
リオの顔から完全に血の気が引き、ガルド隊長の喉が小さく鳴った。
ライエルはもはや剣を抜くべきか、親友であるセブンの頭を叩き割って正気に戻すべきか測りかねている。
そんな絶望的な無風の逆風のなか、俺はエア・メガネをくいっと押し上げ、逃げ場のない視線で王妃を射抜いた。
(言ってしまった……これが真実でなければ不敬罪。 俺は近衛兵を引退して、田舎でつつましやかに暮らすしかない)
「……セブン」
王妃殿下が、小さく唇を震わせた。
「わたくしが……王を、この国を……? ヴァルステインは、わたくしを葬るためにガルムを……?」
その瞳からは、一滴の涙がこぼれ落ち、白い頬を伝う。
「殿下、惑わされないでください!」
叫んだのは、侍女のエリシアだった。
彼女は王妃を庇うように前に躍り出ると、セブンを烈火の如き勢いで睨みつけた。
「セブン様、あなたはどうかしています! 殿下が毒を盛られた事件でどれほど心を痛められたか、その側で看病していた私が一番よく知っています! 」
「それを……! ヴァルステイン卿が忠臣? ガルムで殿下を?私たちを殺そうとしたあの怪物が!?」
「ああ、そうだ。そこだよエリシア。お前が『一番よく知っている』。それが問題なんだ」
俺は冷徹に言葉を重ねる。
「毒を盛られたとき、一番近くにいたのはお前だ。そして、今回真っ先に昏倒して、真っ先に目を覚ましたのもお前だ。……王妃殿下が黒幕だと言ったが、訂正しよう」
俺はもう自分を止められない。
「殿下が『自分の意志で』動いているのなら、まだマシだった……」
俺の指先は、次はエリシアへと向けられた。
「王妃殿下に毒を盛り、殿下を精神的に衰弱させ、ヴァルステイン卿という邪魔者を排除するために殿下の口から『卿は黒幕だ』と言わせた。……本当の術者は、お前なんじゃないのか? エリシア」
エリシアの表情が、凍りついた。
「な、何を……」
「お前の手首の揺らぎ、見せてもらうぞ。ヴァルステイン卿が監視魔法で見張っていたのは、王妃じゃない。お前だ。お前という『化け物』が、殿下の影に潜んで国を食い荒らすのを見ていたんだよ!」
覚悟の特大ハッタリ。もういい。
もうこの物語の思い通りにさせてやるものか。
犯人を一人に絞るならまだしも、いい加減な予想でエリシアにまで広げてやった。
もうどうにでもなれ。こうなったらすべてぶち壊して隠居するまでだ。
「隊長! ライエル! こいつを捕らえろ! 殿下を操っているのは、この女だ!!」
「…………え?」
一同の困惑が止まらない。
「そして王妃殿下は悪魔に乗っ取られている!」
もうやけくそだ。
王妃殿下は黒幕エリシアの思惑で悪魔に乗っ取られ王国を乗っ取ろうとした。
この二人を止めるためにヴァルステイン卿が捨て身の計画を立てた。
そういうあらすじだ。
そういうストーリーだと俺が決めた。
しかしただの無謀な無計画ではない。
俺の考えたストーリー通りにこの物語は進む。
俺は完全なハッタリで空気のゆらぎを”監視魔法”と見破り、その術者がヴァルステイン卿であると言い当てた。
それはある意味、言い当てたのではなく”物語”が俺の選択に合わせてきたのだ。
つまり、今回も俺の選択が正しい!ということになる。
俺は近衛兵に配られている聖水の小瓶をポケットから取り出す。
これは近衛兵として王宮に入る際、儀式で教会から配られるお守りである。
そして……
膝をついた姿勢から一言。
「殿下、失礼いたします」
といって小瓶のコルクを抜き、王妃のつま先に聖水をかけた。
コトコトコト……
「ヒィッ…」
王妃の唇から漏れたのは、あまりに間の抜けた、純粋な困惑の声だった。
聖水が高級な絹の靴を濡らし、絨毯へと染み込んでいく。
もし王妃が、あるいは王妃に憑りついた何かが「悪魔」や「不浄な存在」であったなら、今ごろそこからは黒い煙が上がり、王妃は断末魔を上げてのたうち回っているはず。
「さぁ、王妃殿下に取り憑いた邪悪な悪魔め!!聖水の苦しみで、その正体を現せ!!」
「…………」
「…………」
「…………」
現実は――。
「……セブン? 今、何を……?」
王妃は、濡れたつま先と、跪いて頭を下げるあなたを交互に見つめ、ただただ困惑していた。
そこには邪悪な魔力も、隠しきれない殺意も、聖水への拒絶反応も、欠片ほども存在しなかった。
あるのは、信頼していた部下に急につま先へ水をかけられた、一人の女性としての深い「困惑」だけだ。
「…………」
「…………」
気まずいまでの沈黙。
ガルド隊長は天を仰ぎ、ライエルは顔を覆った。
リオはもはや魂が抜けたような顔をしている。
(……よし、不浄な反応はナシ。混じり気なしの、ただの美しく心優しい王妃様だ)
俺は心の中で、自分自身の『ハッタリ』に終止符を打った。
(……さて。俺の人生、これにて終了)
「セブン様……今の、一体……?」
エリシアが、震える。彼女の目にも、敵意というよりは「この人、本当におかしくなっちゃったの?」という憐れみの色が混じり始めている。
俺は、清々しいほどの開き直りを起動させた。
「……どうやら、私の勘違いだったようです。俺が悪魔に正気を奪われていたようです」
「…………」
「聖水は、その、殿下の無実を証明するための、でして……ええ。
これで殿下が聖女のように清らかであることが、証明されました」
そこにいるのは、ただの”とんでもない不祥事”を起こしたやばい男だった。
物語は、この奇行によって、かつてないほど「変な空気」になっている。
……謝罪だけはしなければ。
いくら俺が馬鹿だとは言え、それが王妃に不敬を働いていい理由にはならない。
俺は石張りの床に額をこすりつける勢いで、謝罪した。
そして次の瞬間、スッと立ち上がり、装備の汚れを掃う。
「……よし。さて、勤務に戻るか。処分されるまでが近衛兵だ」
もう俺は生きたボロ雑巾だ。
何の価値もない。
だからこそ最後に背筋を伸ばして立たなければ。
……王妃殿下は放心。
ガルド隊長は額に手を当てて動かない。
ライエルは口を半開きにしたまま固まっている。
王妃の部屋の内側では、エリシアが絶望し、
リオだけが「流石セブン殿、切り替えが早い!」こちらを見ていた。
ロルフに至っては空気がおかしくなった後姿を消している。
「お前……本気か? この状況で警備を?」
隊長の呆れ混じりの問いに、答えた。
「隊長。ガルムを倒し、殿下の潔白も確認しました。ならば、今の俺の任務は『次の交代時間まで前室を守ること』です。壁がなかろうが、扉が外れていようが、俺がどんなくそ野郎だろうが、ここが前室であることに変わりはありません」
「……お前は」
隊長から次の言葉が出ない。それほど俺はやばい男だ。
「それと隊長。厳に処分をお願いいたします」
王妃エリザベートは、壊れた扉の隙間から、セブンの背中をじっと見つめていた。
彼女の瞳には、まだ先ほどの涙の跡が残っていた。
だが同時に、この理不尽な世界で唯一「変わらないもの」を見つけたような、穏やかな色が宿っていた。
「……セブン」
小さな、囁くような声。
俺は、聞こえていないふりをして、ただ真っ直ぐに廊下の先を睨み続けた。
(……極刑あるかも……な)
「……リオ、突っ立ってないで掃除の準備しろ。この犬っころの死体、片付けるの大変だぞ」
「は、はいっ! すぐに!」
そのとき、
王妃殿下が後ろから近づいてきた。
「…セブン。あなたがどれほど疑い、どれほど悩んでいたのか……今、ようやくわかりました。」
「ですが……どうか……これ以上、わたくしを悲しませないでください……あなたの行いをすべて許します……あなたの忠義を誰が罪に問えましょうか」
ガルド隊長が目頭を熱くしている。
「で、殿下……」
なんだこの空気は……
「なんてお優しい……殿下……」
エリシアもライエルも感動している。
「ここに私は宣言します。セブンを罪には問いません。そして国を守る事に忠実な近衛兵として、私の部屋の前室警備に戻ることを許可します」
部屋の中が王妃の恩情で暖かい空気に包まれる。
まさに聖女の行いである。
これは……
やはり”物語”の修正力だ……
ここまで話をぶち壊してもまともなストーリーに戻そうとしている。
普通の近衛兵が王妃に聖水をぶちまけるなど…生きてて良いわけがない!
混乱してやりすぎた俺も俺で普通ではないが、それを飲み込む”物語”も大概だ。
なんなんだこれは……こっちが混乱してきた。
俺は王妃殿下に最大限の敬意を表した。
”物語”の力がどうであれ、あの行いは反省するべきで、命拾いしたという事になるだろう。
そして混乱する頭を冷やすため、皆に頭を下げ前室警備に戻った。
あれだけのことをしておきながら何食わぬ顔で警備に戻るのもどうかと思うが、もうこうする以外に何をしたらいいのか判断ができなかった。
『…………………ヴン』




