第41話【黒幕はこの中にいる】 凍りつく謁見、微笑む聖女。美しき被害者が隠し持つ「二つ目の顔」
【前回までのあらすじ】
王妃の前室に迫る魔獣ガルムを前に、セブンは香油と火花を用いた機転で迎撃態勢を整える。
ヴァルステイン卿を追うガルド隊長たちの背後には、さらに“黒い影”の存在が浮かび上がり、事態は混迷を極めていた。
王妃を守るため、セブンは一人、燃え上がる前室で魔獣の急所を穿ち、静かに勝利を刻む――。
「仕留めたんですか……あのガルムを、一人で……」
リオの声が震えている。無理もない。近衛兵数人でかかっても無傷では済まない古代の魔獣を、目の前の男は地形と、香油と、ただ一振りの剣で沈めてしまったのだ。
「一人じゃない。お前たちが王妃を守り、囮をこなしたからだ」
セブンは、腰に下げた布で剣を拭い、カシャンと音を立てて鞘に収めた。その動作には一点の淀みもなかった。
「ロルフ、伝令を。ガルム一頭を前室にて撃破。王妃殿下、エリシア、リオ、および俺。全員無事。……それと」
セブンは少しだけ言葉を切り、遠く廊下の先――隊長たちが向かった重臣区画の方角を見据えた。
「『後始末は済んだ。恥の上塗りをせず、さっさと首謀者を連れてこい』と、ライエルに伝えろ」
「は、はいっ!」
ロルフが弾かれたように駆け出していく。
セブンは再び、壊れた扉の前に背を向けて立った。足元には横たわる魔獣の死骸。
そしてその後……
「え……近衛兵一の剣士と隊長殿が揃って、杖ついたじじいと一頭の犬に逃げられたってのか?」
セブンの言葉には、隠しきれない呆れが混じっていた。 ガルムの巨体を一人で沈めた直後の彼からすれば、その報告はあまりに「物語の都合」が良すぎるように聞こえたのだ。
ガルド隊長は苦渋に満ちた表情で視線を逸らし、ライエルは屈辱に肩を震わせる。
「……面目ない。封印庫通路は魔術的な干渉が強く、視界も精神も乱される。奴はその地形を熟知していたようだ」
隊長の弁明がつらい。
「ヴァルステイン卿が封印庫へ逃げたのなら、奴の狙いはもはや王妃の命じゃない。封印庫にある『何か』か、あるいはそこから外へ逃げ出すための算段だろう。王妃の匂いを追っていたこの個体さえ仕留めれば、前室の脅威は去ったも同然だ」
セブンは、扉の奥で不安げにこちらを見ているエリシアと目が合った。 彼女の意識が戻っていることに、心の中で小さく安堵する。
「ライエル。お前の仕事は、あそこで震えてる女の不安を取り除くことじゃないのか? 」
セブンの言葉は、混乱した現場に冷や水を浴びせるような冷静さを持っていた。
「リオ。お前は予備の扉を手配してこい。大工を叩き起こしてでも、明け方までにここを元通りにするんだ。俺は――」
セブンは、前室の隅にある無事だった椅子にどっかりと腰を下ろした。
「ここで交代の時間まで座らせてもらおう。一歩も動けん。報告書には『セブンは前室から離れず任務を全うした』とだけ書くよ」
俺は目を閉じ、腕を組んだ。
ヴァルステイン卿が何を企もうと、王宮の裏でどんな陰謀が渦巻こうと、「前室の近衛兵」という一線を越えるつもりはない。
ライエルはしばらく呆然としていたが、やがて何かを吹っ切れたように笑い、エリシアのもとへと駆け寄った。ガルド隊長も、セブンの徹底した「脇役の美学」に毒気を抜かれたのか、短く笑って指示を出し始める。
前室には、再び静寂が戻ろうとしていた。 魔獣の死骸という、あまりに騒がしい残骸を足元に置きながら。
「そういえばロルフお前たちが解放されているということは……罪には問われなかったのか?」
セブンの問いに、ロルフは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
床に横たわるガルムの巨体、ひび割れた石壁、そして血の匂い。
そんな地獄のような光景よりも、セブンの”控の間”の記憶のほうが、彼には恐ろしかった。
「……、俺……その……」
ロルフは視線を泳がせ、震える手で自身の近衛兵の紋章に触れた。
「司法官のところへは行ったんだ。自白もした……。”ヴァルステイン卿は俺たちに『誰のいう事も聞くな。王妃を外に出すな、守れ』”と命じたと」
嘘を言っている様子はない。
「そして司法官から直々に待機命令が出たんだ。”ヴァルステイン卿の罪が確定するまではお前たちも留保だ”と。そしてガルド隊長が『今は一兵でも人手が欲しい。沙汰があるまでは近衛兵だ』って……。だから、俺たちは……」
「……なるほどな。隊長の温情か」
隊長の判断は合理的だ。反逆の意志がないと分かっている経験者を、この非常事態に牢へ放り込んでおくのは資源の無駄でしかない。
「しかし、ヴァルステイン卿が『王妃を守るため』と言った? それを信じて軟禁に協力しただと?」
セブンは、床に転がった香油の空き瓶を蹴飛ばした。カランカランと虚しい音が響く。
「王宮で一番の古狸が、そんな殊勝な理由で動くわけがない。実際にガルムを放っている。『自分が助けに来た』という自作自演の英雄劇でも演じるつもりだったんだろか。……あるいは、ガルムを使って自分以外の邪魔者を皆殺しにするつもりだったか」
ロルフは言葉を失い、ただ口をパクパクさせている。
俺はガルド隊長に向き直り、きっぱりと言い切った。
「ヴァルステイン卿が術者であり、黒幕。おそらくこれは揺るぎない。
奴が封印庫へ逃げたのは、俺や隊長、ライエル……計算外の『脇役』たちが、奴の描いたシナリオをめちゃくちゃにしたから、逃げ場を失っただけです」
ガルド隊長は深く息を吐き、納得したように頷いた。
「……なるほど。セブンの言う通りだ。奴は自分の支配下に王妃を置こうとしていた。だが、我々近衛兵の抵抗が予想を超えていたため、強行手段に出た……というわけか」
ライエルが苦々しく付け加える。
「そして、その強行手段が『ガルムの解放』か。もはや言い逃れはできん」
俺は再び腕を組み、壊れた扉の前に立つ。
「さて、状況は整理できましたね。……隊長。封印庫への追手はもう出したんでしょう? なら、俺の任務はここを守ることだけ」
俺は、”物語”が「別の術者」などというミステリーの二段構えに発展するのを、その現実的な意見で未然に防いだ。この事件を「ただの汚い権力争い」として終わらせようと。
「果報は寝て待て。ヴァルステイン卿が捕まるか、野垂れ死ぬかの報告を、俺は待たせてもらいます」
俺は再び、一兵卒としての「待機」に戻った。
(しかし万が一……卿が本当に『別の術者』を炙り出そうとしていたのなら……その術者は、卿がガルムを放ってまで逃げ出さなきゃならないほど、卿にとっても手に負えない相手だったということになる)
俺の思考は加速する……だがこの思考は”物語”の燃料になりかねない。
危険だ。しかし考えてしまう。
俺を冤罪に陥れた者。 王妃に毒を盛った者。 前室の警備を、音もなく一瞬で昏倒させた者。
(……ヴァルステインは、監視魔法で前室を覗いていた。だが、奴はそこで『自分以外の誰かが警備を倒す瞬間』を目撃したんじゃないのか?)
俺は、奥の部屋でエリシアに支えられながら座る王妃を見つめた。
(毒を盛った実行犯は、まだ特定されていない。王妃の身近にいた者にしか不可能……。だが、俺が冤罪で捕まっていた間、王妃の周囲を一番近くで守っていたのは誰だ?)
「ロルフ、お前たちが軟禁していた間、王妃の部屋に『食事』や『着替え』を運んでいたのは誰だ。ヴァルステイン卿か? それとも、卿が連れてきた別の誰かか?」
(”物語”は「ヴァルステイン捕縛」という単純なゴールへ向かうのを許さないのか?)
( もし、本当の毒の主がまだ野放しで、しかもこの混乱に乗じて「善意の第三者」の顔をして王妃のそばにいるとしたら)
「ロルフ、お前たちが扉を固めていた間、中に入った人間をすべて言え」
俺は、ただの近衛兵だ。 だが、その視点は今、王宮の誰もが「敵は外へ逃げた」と信じ込んでいる隙間を突こうとしていた。
「リオ、王妃殿下は……殿下を保護しているか?」
セブンの低く、しかし鋭い問いに、リオが弾かれたように王妃の部屋の扉に手をかけた。
「は、はい! リオ、王妃殿下および侍女エリシア殿の身辺を保護しております!」
セブンは頷き、ガルド隊長とライエルを引き連れて、壊れた扉の先へと足を踏み入れた。
部屋の奥、豪華な天蓋付きの寝台の傍らに、王妃は静かに座っていた。その背を支えるのは、先ほどまで昏睡していたはずの侍女エリシアだ。
部屋の空気は、前室の血生臭さとは無縁なほど清涼な香りに満ちていた。
だが、その静謐さが今はあまりにも「出来過ぎた舞台」のように感じられた。
(……毒を盛られ、冤罪を生み、魔獣に襲われた。その被害者であるはずの殿下が、どうしてこうも落ち着いていられる?)
俺の脳裏に、最悪の仮定がこびりついて離れない。
もし、ヴァルステイン卿がガルムを放ったのが”王妃を害するため”ではなく、王妃に潜む「何か」を王宮から引き剥がすための、狂気じみた最終手段だったとしたら?
「……セブン。そしてガルド、ライエル。大義であった」
王妃の鈴を転がすような声が響く。
彼女の瞳には一点の曇りもなく、むしろ慈愛に満ちた光さえ宿っていた。
「前室での激闘、聞き及んでいます。セブン、あなたがガルムを討ち取ったと。
一介の近衛兵でありながら、この王宮を救ったあなたの功績、決して忘れません」
ライエルと隊長が感極まったように膝をつく。だが、セブンだけは、近衛兵としての儀礼的な礼を尽くしながらも、その視線は王妃の影、あるいは彼女を支えるエリシアを冷静に観察していた。
「もったいなきお言葉。……殿下、一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「何なりと聞いてください。あなたは、命の恩人なのですよ」
「ヴァルステイン卿についてです。奴は封印庫の闇へと消えました。……殿下は、あの老卿がなぜ、このような暴挙に出たとお考えですか?」
あえて「黒幕」と決めつけず、その印象を問う。
王妃はわずかに伏せ目になり、悲しげに微笑んだ。
「……ヴァルステイン卿は、長くこの国を支えてきた忠臣でした。
けれど、老いゆえか、あるいは増大する魔術への野心ゆえか……私を『守る』という名目で、この部屋に閉じ込めようと。歪んだ愛着が、彼を狂わせてしまったのでしょう」
淀みのない答え。完璧な筋書き。 だが、俺の胸のざわつきは収まらない。
(ヴァルステイン卿が『歪んだ愛着』で王妃を軟禁した? ならば、なぜ彼は俺を牢に入れた。俺のような末端の兵士一人を排除して、何を得るつもりだった?)
俺は主人公ではない。だが、だからこそ、物語の「主役」たちが用意した美しい台詞の裏側にある、薄汚れた帳尻合わせに気づいてしまう。
「……なるほど。承知いたしました」
俺は深く頭を下げた。 これ以上は踏み込めない。踏み込めば、このバランスを壊してしまう。そしてそれは、俺自身の破滅を意味する。
王妃の視線が、ふとセブンの腰の剣に留まった。
「セブン。その剣、ガルムの血で汚れてしまったようね。エリシア、後で彼に新しい剣と、相応の褒賞を」
「かしこまりました、殿下」
エリシアが静かに一礼する。
王妃の部屋には、不自然なほどの静寂が満ちていた。 ガルド隊長は王妃の無事に胸を撫で下ろし、ライエルは目を覚ましたエリシアの手を、壊れ物を扱うように握っている。リオは自分の手柄を誇ることなく、セブンの指示を待って扉の側に控えている。
セブンは、一人ひとりの表情を、彫像のように冷徹な眼差しで読み取っていった。
(ガルド隊長は忠義の塊だ。ライエルは情に厚すぎる。彼らにとって王妃は守るべき正義そのものだ。だが……)
俺の視線は、王妃の柔和な微笑と、その横で慎ましく控えるエリシアの間を行き来する。
『もし、ヴァルステイン卿がガルムを放ったのが”王妃を害するため”ではなく、王妃に潜む「何か」を王宮から引き剥がすための、狂気じみた最終手段だったとしたら?』
またよからぬ考えが浮かんでしまう。
仮説は毒のように思考を侵食する。だが、それを口に出した瞬間、彼は「王妃への不敬」どころか「国家転覆の徒」として、今度こそこの世から消されるだろう。
「セブン? 顔色が優れないようですが……怪我をなさいましたか?」
王妃の気遣わしげな声が、静寂を破った。 その慈愛に満ちた瞳に見つめられ、セブンは一瞬だけ背筋が凍るような感覚に襲われた。
「いえ……失礼いたしました。ガルムとの立ち合いで、少々息が乱れました。お気になさらず」
俺は深く頭を下げ、その表情を隠した。ただの近衛兵として。
そしてこの”物語”の最も単純なルートの整合性を守り通す。それが、一番の生存戦略だ。
「隊長。殿下の安全は確保されました。ですが、ヴァルステイン卿が逃走中である以上、警戒を緩めるべきではありません。私は……前室へ戻ります」
「あ、ああ、そうだな。無理はするな。お前は今日、誰よりも働いた」
隊長の労いを受け流し、俺は部屋を出ようと踵を返した。
その際、すれ違いざまにエリシアと目が合った。彼女の瞳は澄んでいたが、その奥にある何かが、俺の存在を――“観測”しているような気がした。
前室に戻ると、そこにはまだガルムの死骸が転がっていた。 血の臭いが鼻を突く。この惨状こそが、美しい私室よりもずっと「現実」に近い場所に思えた。
(信じるべきは王妃だ。近衛兵という立場上それは変わらない)
だが……だが、もし”物語”が難解なミステリーを企てていたとしたら?
俺たち近衛兵の王室、王宮への忠義はどうなってしまうんだ。
そう思うと俺はいつの間にか、扉を開け王妃の前に膝をついていた。
「王妃殿下……もう一つだけ、申し上げたいことがございます」
「あら、セブン戻ってきてどうしたのですか?」
これは勢いで言ってもいいものなのだろうか。いや、それはない。
これを言うだけでも"不敬罪”になるであろう問題発言だ。
俺は静かに続けた……
「王妃殿下……あなたは本当に私たちが知っている殿下でしょうか」
『…ヴ』




