第40話【前室の守護者】香油の火柱と機転の剣閃。理不尽な魔獣(ノルマ)も、仕事のうちに過ぎない
【前回までのあらすじ】
前室に侵入した“姿なき存在”を前に、セブンは剣ではなく“観測”という虚実のハッタリでその正体を揺さぶった。
名を呼ばれた瞬間に揺らいだ気配は、セブンの推測を真実へと変え、ヴァルステイン卿の関与を示す“逃走方向”を自ら暴露する。
ガルド隊長とライエルはその揺らぎを追って重臣区画へ向かい、セブンはただ一人、王妃前室を守りながら事態の帰結を待つことになる。
ヴァルステイン卿を捕らえたという報告は、まだか……
「……隊長とライエル殿なら、きっとやってくれますよ。セブン殿の読みは、全部当たってましたし……」
嵐の去った後の重苦しい静寂の中で、報告を待ち続けた。
(……ライエル。お前が動いているなら、必ず結果は出る)
「……セブン殿。俺、あの……報告が来るまで、一緒に立ってますから……」
遠くの廊下から重い足音が近づいてきた。規律正しい、複数名の急ぎ足。
「セブン殿……誰か来ます!」
足音は扉の前で止まり、緊張を帯びたノックが響く。
「前室の者へ! ガルド隊長より伝令!」
「 し、失礼します!!」
彼は慌てて姿勢を正し、報告を吐き出した。
「ガ、ガルド隊長より伝令! “ヴァルステイン卿の所在を確認! 重臣区画にて追跡中! 抵抗の兆候あり、増援求む!”とのことです!!」
増援……あの老人相手に?
「リオ……あの杖ついたヨボヨボの老人を捕らえられないガルド隊長と、近衛兵一の剣士ライエルをどう思う?」
「えっ……」と目を丸くしたリオだったが、すぐに意図を察して耳元で囁く。
「……セブン殿。あの二人、強いんですけど……頭に血が上ると周りが見えなくなるタイプなんですよ……」
無理もない。隊長は重臣相手に慎重になりすぎ、ライエルはエリシアの件で冷静さを欠いているのだろう。最強の二人が揃って、杖をついた老人に手こずっているとは。
「……セブン殿がいてくれて、本当に助かります」
リオの言葉を背に、セブンは伝令兵を冷めた目で見据えた。
「な……王妃が部屋にいるのに前室離れられるわけないだろ!! 応援はほかから呼べ!!」
言い放つと同時に、セブンの足が伝令兵の尻を捉えた。バシィッ!! といい音が響き、兵士は前につんのめる。
「ひ、ひぃっ!? す、す、すみませんっ!! すぐに別の部隊を呼んできます!!」
尻を押さえ、全力疾走で消えていく伝令兵。セブンは鼻を鳴らし、再び前室の静寂へと戻る。
「……セブン殿、蹴りましたね……?」
リオがぽかんとした顔で呟く。セブンは平然としていた。
「当たり前だ。前室を離れるわけがないだろうが。王妃がいるんだぞ」
リオはじわじわと理解が追いついてきたように、深く頷いた。
「……そ、そうですよね。前室を離れたら……セブン殿が正しいです」
セブンの蹴りと怒声によって、現場の妙な緊張感は霧散していた。
だが、その裏で物語は確実に動いている。重臣区画での追跡、ヴァルステイン卿の抵抗。ライエルの怒りと隊長の覚悟。それらすべてを背に、セブンはここで王妃を守る。
(……さて。あとはあいつらが捕まえてくるのを待つだけだ。俺は俺の仕事をする)
俺は前室に立ち続ける。淡々と。
(物語がここまで来て、無能を装って俺を動かそうとして来るとは……。ガルド隊長は実力で隊長まで上り詰めた剛腕。ライエルは並ぶものがない近衛兵一の剣士。その二人が杖ついたじじいに勝てないならば、なんのための王宮近衛兵か。近衛兵は魔術が使える一人の老人以下ということになるではないか)
セブンの心の叫びは、石壁を震わせるほどの熱量を帯びていた。
(恥をしれ、恥を!!)
その鋭い叱咤は、まるで投げつけられた石のように、遠く離れた二人の背中を確かに撃ち抜いた。
「……ッくそ……! あの老いぼれ、逃げ足だけは一流だな……!」
「ライエル、落ち着け! セブンに聞かれたら笑われるぞ!」
「うおおお! 絶対に捕まえる!!」
どうやら二人は、セブンの呆れを肌身で感じ取っているらしい。彼らは必死だった。だが、セブンの面子のほうがより切実だった。
(……隊長、ライエル、お前らが捕まえられなきゃ、俺のハッタリが全部嘘になるんだぞ。近衛兵の名誉のためにも、俺の面子のためにも……絶対に捕まえてくれ)
「セブン殿……どう思います? ヴァルステイン卿が術者だったとして……本当に“あの老人”だけでこれだけの事態を引き起こせるんでしょうか」
その問いは、この事件に潜む巨大な「穴」を的確に突いていた。
(……そうだ。ヴァルステイン卿が術者だとしても、精神干渉魔術を王宮の深くで発動させるには、必ず現場の協力者が必要になる。あの老人が一人で、これほど都合よく王妃の部屋に近づけるはずがない)
セブンが深く考え込んだ、その瞬間だった。
廊下の奥から、新たな足音が響いた。先ほどの伝令のような規律正しい響きではない。もっと軽く、もっと静かな、それでいて急き立てられるような――訓練された者の、切迫した足音。
リオが即座に剣の柄に手をかけた。
「……誰か来ます」
扉がノックされる。コン、コン。だが、返答を待たずに扉はわずかに押し開かれた。
隙間から顔を覗かせたのは、ロルフだった。彼は肩で息をし、目を見開いて戦慄していた。
「セブン……! た、大変だ……!」
セブンの頬が引き締まる。
「ヴァルステイン卿……“逃げてる”んじゃない……!」
「えっ?」とリオが声を上げる。ロルフは震える声で続けた。
「“追われてる”んだ……別の誰かに!!」
空気が一変した。セブンの背筋を、氷のような冷たさが走り抜ける。
(別の誰かだと? 隊長たちが追っているヴァルステイン卿を、さらに横から追う者がいる……? それは味方か、それとも――)
「ガルド隊長たちが追ってる最中に……“黒い影”が横から現れて、ヴァルステイン卿をさらおうとしたんだ!」
ロルフは震えながらも指を差した。
「卿は……卿はガルムの背に乗って、中庭を突っ切り『王室参議控えの間』へ向かおうとしている! 隊長とライエルはそれを追っているが、別のガルムが二頭、殿として残された! 隊長たちが足止めを食らっている間に、もう一頭が……!」
「もう一頭が!こっちへ来る、ということか」
セブンはロルフの言葉を最後まで待たずに言い放った。 王妃の「匂い」を追う犬型魔獣。迷路のような王宮の回廊を、その鼻が最短距離で繋いでいる。
ズシ……ズシ……
足音はもう、すぐそこまで迫っていた。湿った獣の吐息と、硬質な甲殻が擦れ合う嫌な音が、石造りの前室に反響する。
「ロルフ、下がっていろ。リオ、剣を抜け。腰を落とせ、中途半端な一撃は甲殻に弾かれるぞ」
俺は再び剣を抜き、中段に構えた。 相手は人ではない。理屈の通じぬ古代の遺物だ。だが、ここが前室であることに変わりはない。
「ガルムか。厄介だが、この狭い空間なら奴の跳躍力は殺せる」
セブンの独白に、リオが悲鳴に近い声で応じる。
「セブン殿! 来ます、扉が……!」
ドォォォォォン!!
凄まじい衝撃とともに、重厚な木製の扉が内側へ向かって弾け飛んだ。
砕けた破片の向こうから姿を現したのは、漆黒の甲殻を纏った異形の巨躯。
二つの赤紅の眼が、暗がりのなかで不気味に発光している。
ガルムの亜種。 それは、かつて一国を滅ぼしかけた魔獣の、おぞましき末裔だった。
ガルムは低い唸り声を上げ、その鼻先を王妃の寝所へと向けた。人間たちの存在など、ただの障害物としか認識していない。
「グルゥ……アァッ!」
魔獣が前肢の爪で床を削り、跳躍の予備動作に入る。
「……来い。ここから先は、一歩も通さん」
セブンはこの魔獣を討つ宿命など持ち合わせていない。だが、王妃を守る盾としての矜持が、彼の身体を鋼のように固定していた。
ガルムが、黒い疾風となって突き進む。
(落ち着け……セブン。これは“物語”の仕業だ。ならば、必ず“突破口”がある)
俺は目前に迫る死の予感さえも、舞台装置の一部として冷徹に切り離した。
ガルムは犬型の魔獣だ。鼻も利くが、獲物を仕留めるその瞬間は、赤く燃える双眸で「動くもの」を追うはずだ。ならば、その視覚を狂わせる。
セブンの視線が、前室の壁に設えられた燭台の列に留まる。そして、その横に置かれた、王妃の部屋へ供えられるはずだった香油の瓶。
「リオ! 壁の燭台から火を奪え! そのまま香油の瓶を俺に投げろ!」
「えっ、あ、はいっ!」
リオは戸惑いながらも、セブンの切迫した声に弾かれたように動いた。扉の脇にある大瓶を掴み、セブンへと放り投げる。
セブンは突進してくるガルムを正面から見据えたまま、宙を舞う香油の瓶を左手で受け止めた。ガルムの顎が、目前にまで迫っている。
(来い……物語の化け物め)
セブンは、抜いたままだった剣を振り下ろすのではなく、あえて床の石畳を斜めに激しく叩きつけた。
キィィィィィィン!!
金属が石を削る凄まじい火花と、不快な高音が狭い前室に爆ぜる。その一瞬、ガルムの鋭い聴覚と視覚が火花に吸い寄せられた。
「今だ!!」
セブンは手にした香油の瓶を床に叩きつけ、中身を撒き散らすと同時に、リオが掴み取った燭台の火をそこへ誘導させた。
ボォォォォォォッ!!
前室の中央で、急激な火柱が立ち上がる。 王宮の冷えた空気を焦がす熱。
ガルムは、目の前で突如として膨れ上がった光と熱量に、動物的な本能で鼻先をのけぞらせ、その猛烈な突進を停止させた。
「グルゥゥァァッ!?」
魔獣が初めて怯みを見せる。甲殻に守られていても、粘膜の通った目と鼻は熱を拒絶する。
俺はその「空白」を逃さなかった。
「リオ、ロルフ! 燭台の火を絶やすな! 奴の顔の周りを火で囲い込め!」
俺は中段に構え直した剣を握りしめ、火柱の影からガルムの懐へと一気に踏み込んだ。
「ここは俺の持ち場だ。お前の席など、ここにはないんだよ」
セブンの剣先が、ガルムの喉元――甲殻の継ぎ目である唯一の柔らかな部位を、正確に捉えた。
「グルッ!? アァッ!」
ガルムは、その巨体ゆえの慣性を制御できず、前のめりにバランスを崩した。
そのわずかな「間」で、リオは王妃の部屋の扉に身体を投げ出すようにして飛び込んだ。
「は、ハァッ、ハァッ……!!」
直後、ガルムの巨大な頭部が、閉まりかけの重厚な扉に激突した。
ドォォォォォォン!!
「……そこまでだ」
セブンは、扉に頭を打ち付けて怯んだガルムの背後で、冷徹に構え直した。
ガルムは狭い通路で扉と壁に挟まれ、その長い身体が皮肉にも仇となって、自由な転回を封じられている。
ガルムの剥き出しになった後頭部、甲殻の薄い急所を見定めとどめを刺す。
巨体が断末魔を上げ、石床を激しく叩きつけた。
その衝撃が収まると、前室には獣の血の焼けるような臭いと、静まり返った沈黙だけが残った。
刃についた脂を払い、荒い呼吸を整える。
「……終わったか」
その声は死闘を終えた英雄のそれではなく、定時報告を行う一兵卒のように淡々としていた。
「セブン殿……!」
扉が内側から押し開かれ、リオが飛び出してきた。その背後には、ロルフの驚愕した顔と、奥で静かに立ち上がる王妃、そして彼女に寄り添うエリシアの姿があった。
「仕留めたんですか……あのガルムを、一人で……」
『…………………』




