第36話【日常の崩壊】引き裂かれた平穏。前室に響く悲鳴と、エリシアの危機が“物語”の再開を告げる
【前回までのあらすじ】
物語の修正力が押しつける“主人公ルート”を避けるため、セブンは前室警備と内部監察補助の兼任という逆張りの配置を提案した。
ガルド隊長はその意図を理解し、危険の中心から外れつつも職務復帰を叶える最適解として正式に採用する。
こうしてセブンは無罪と復職を同時に勝ち取り、物語の外側に“安全な日常”を築くことに成功した。
「ライエル、今何時だ? 俺の警備時間は三交代のうちの六時から午後二時まで。それを過ぎたら、他の者と交代だ」
ライエルは、俺の問いかけを聞くと、ちらりと廊下の壁に掛けられた砂時計と、自分の懐から取り出した小型の携帯時計を見比べた。そして、いつもの気怠そうな声で答える。
「今は……午後二時を少し回ったところだ」
時計を閉じ、俺へ視線を向ける。
「つまり、お前の持ち場はちょうど終わりってことだな。六時から十四時までの八時間勤務、きっちり終了だ」
わざとらしく肩をすくめる。
「……で、セブン。復帰初日から“時間ぴったりに終わる”あたり、お前らしいというか、なんというか」
口元にうっすら笑みを浮かべる。
「交代の兵はもうすぐ来る。お前は上がっていい。久々の前室勤務だ、疲れただろう」
そして、少しだけ真面目な声で付け加える。
「……おかえり、セブン。また明日の六時に並んで立つぞ」
交代の兵の足音が廊下に響く。ライエルはその気配を察し、俺の言葉に軽く頷き、入口側へ半歩ずれてスペースを空けた。
俺は前室の中央に立ち、復帰初日らしい、きっちりとした声で宣言する。
「わかった、ちょうど交代の者が来たみたいだな。復帰初日だ、ちゃんと引き継ぎをして終わろう」
交代の兵二名が姿勢を正し、俺とライエルの前で足を揃える。
「セブン殿、ライエル殿。これより前室警備を引き継ぎます! 異常の有無をご確認願います!」
俺は復帰初日らしく、丁寧かつ簡潔に引き継ぐ。
「異常なし。王妃殿下の動きも特になし。廊下の通行者は記録済みだ」
「ライエルと二名体制で警備していた。あとは任せる」
交代兵たちは深く頷き、俺の言葉をそのまま業務記録に書き込む。ライエルが横で小さく笑う。
「やっぱりお前が前室にいると締まるな」
交代兵たちが持ち場につくと、俺とライエルは自然と廊下側へ下がる。勤務終了の空気がふっと軽くなる。
「さて、このあとどうするんだ?」
「俺はいつも通り、王宮内宿直所に戻るよ。今日は疲れた。もう寝たい」
ライエルは、俺の言葉を聞くと、ふっと肩の力を抜いたように息を吐く。
「だろうな。復帰初日であの騒ぎだ。疲れないほうがおかしい」
彼は腕を組み、俺の顔をじっと見てから続ける。
「戻って寝ろ。明日も六時からだろ。寝不足でフラつかれても困る」
ぶっきらぼうな言葉だが、その裏には明らかな“心配”が隠れている。
俺が歩き出すと、ライエルは背中に向かって軽く声をかける。
「……お前が戻ってきて、前室がようやく“いつもの空気”になった」
廊下の静けさが戻り、俺は王宮内の宿直所へ向かう。復帰初日の緊張と疲労が、足取りにじんわりと重くのしかかる。
しかし、その重さは“事件の中心に巻き込まれる重圧”ではなく、“ただの勤務を終えた兵士の疲れ”だった。それこそ、俺が望んだ日常。
宿直所の扉が見えてくる。
いつもの雑多な寝台が並ぶ空間。誰かが昼寝しているいびき、誰かが磨きかけの鎧を置きっぱなしにしている机、誰かが読みかけの本を枕元に置いたまま寝落ちしている姿。
――ああ、これだ。これが“日常”だ
俺は昼飯も食わず、鎧の留め具だけ最低限外して、そのまま寝台に倒れ込む。
布団の匂い、硬い寝台の感触、遠くで聞こえる兵士たちの話し声。
すべてが、俺を“ただの近衛兵”へと戻していく。
目を閉じる前に、今日の出来事が脳裏をよぎる。
牢。尋問。狂気の演技。ガルド隊長。前室復帰。ライエルの軽口。
――目まぐるしい一日だった。
だが、そのすべてが“物語の中心”ではなく、俺を“日常”へ戻すための流れだった。
そして――睡眠を意識する前に、俺の意識は静かに落ちていった。深く、静かに、何の不安もなく。
ただの近衛兵としての、穏やかな眠りだった。
寝台の上で意識がふっと浮上する。けれどまぶたは重く、身体は布団に沈んだまま動かない。
王宮の宿直所特有の、鉄と布と人の匂いが混ざった空気が、妙に心地よく感じられる。
脳裏には、ぼんやりと思考が流れていく。
(……一度目が覚めた気がする……)
(でも起きたくない……)
(次の任務は三交代の六時から……)
(まだ……寝てていい……)
そのまま寝返りを打つ気力すら湧かない。身体が「まだ休め」と言っている。
周囲では、誰かの寝息、誰かの寝返りの布音、遠くの廊下で交代兵が歩く足音。
すべてが“日常”の音だ。
俺はその音に包まれ、再び深い眠りへと沈んでいく。
夜明け前の王宮。
セブンが深い眠りに落ちてから、どれほど時間が経っただろう。
宿直所の薄暗い空気の中、遠くで鐘の音が鳴る。
――ゴォン……ゴォン……
まだ起きる時間ではない。六時までは余裕がある。
だが、鐘の音に混じって、いつもと違う“ざわめき”が聞こえる。
廊下を走る足音。誰かが怒鳴る声。鎧の金具がぶつかる音。宿直所の扉が勢いよく開く。
「セブン殿! 起きてください! 緊急です!」
俺は眠りの底から引きずり上げられるように意識が浮上する。
若い兵士は息を切らし、続ける。
「王妃殿下の部屋の前で……“異常”が発生しました!」
「エリシア殿が……倒れていて……!」
その言葉は、眠気を一瞬で吹き飛ばすには十分だった。
俺は主人公ではない。事件を解決する役割もない。ただの近衛兵だ。
だが――前室警備兵としての職務は、王妃の安全を守ること。
そして今、その“職務”が俺を呼んでいる。
「セブン殿! すぐに前室へ! ガルド隊長も向かっています!」
俺は寝台から跳ね起きる。半ば本能のまま装備へ手を伸ばす。
鎧の留め具を締め、剣帯を腰に巻き、胸当てを固定し、ブーツを履きながら廊下へ飛び出す。
宿直所の空気はまだ夜の冷たさを残している。
だが廊下の先からは、緊張と混乱の気配が押し寄せてくる。
俺は走る。
ただの近衛兵として――“職務”のために。
『セヴン…………』




