第二幕 第一場 勇者(二)
男の顔色は、月光の青白さも相まって、まさしく死人のよう。
「お客さん、生きていますか?」
尋ねながらユディは彼の口に耳を近づけた。
……聞こえてきたのは微かな呼吸音。不規則で苦しげだが、まだ途絶えてはいない。
とりあえず死んでいないことに、ユディはホッとした。
とはいえ、このままでは遠からず息が止まってしまうのは間違いない。
「医者を呼ぶか…………いや、たぶん医者では治せないんだろうな」
具合の悪い人間が、それでも医者にかからない理由はいくつか考えられる。金がないのか、後ろ暗いことがあって医者にかかることで身元がばれるのを怖がるのか……それとも単に医者嫌いなのか。
(こいつは、そのどれでもないはずだ)
考えながらもユディは確信していた。
目の前の今にも死にそうなこの男が、医者に行かなかった理由はただひとつ。おそらく行っても無駄だったからだ。
ユディは男の体を上から下まで観察する。
彼の茶色の目に映るのは、男から滲みでる夜の闇よりもなお昏い黒だ。
「……これは、瘴気か? こんなにはっきり見えるのは、はじめてだな」
ユディは、思わず呟いた。
「まったく、本気でいらないスキルだよな。……おかげでこんなもんまで見えるようになっちまった」
昼間、男が宿屋に来たときにも、ユディは彼の体から滲みでている瘴気が見えていた。
瘴気とは、呪いを受けた者が発する穢れのことだ。幸いなことに伝染性はないのだが、呪われた本人には毒となり、徐々に体を蝕み死に至らせる。
「ここまで呪われるなんて……こいつはいったいなにをしたんだ?」
まあ、呪いをかける奴はたいていが悪者と相場は決まっている。なので、この男は正義の味方なのかもしれないが。
「どっちでもいいが……うちの宿屋で死なれるのは困る」
『聖女』のスキルを得たユディは、教えてもらってもいないのに瘴気の祓い方を知っている。これがスキルの恩恵かと、しみじみ感心したものだ。
(とはいえ、これだけ真っ黒だと一気に祓うのは無理だな)
一度も瘴気を祓ったことのないユディには、まだできない。
しかし、死なない程度に綺麗にすることなら簡単だった。
「頼むから起きてくれるなよ」
そう言いながらユディは、自分の左手を男の額に当てる。
目を閉じ『聖女』の力を男に注いだ。
月明かりだけの暗い部屋が、パアーッと光る。
すぐに光は消えたが、ユディは明るさに目が眩み一時動きを止めた。
そしてその隙に、彼の手は冷たい手に捕まってしまう。
「……なにをした?」
かすれた声が聞こえた。
この部屋にいるのはユディと客の男のみなのだから、聞こえてきた声は男のものだ。
ユディはゆっくり目を開けた。自分の手を力強く掴む男の手を見る。
幸いなことに、その手から瘴気は消えていた。視線を男の体に移せば、瘴気はかなり薄れている。
「呪いを祓ったんだ。わかるだろう?」
これだけ薄れれば男の体調もよくなったはずだ。ユディがなにをしたのか、一番わかるのは彼のはず。
「……………………お前は『聖女』なのか?」
男は、いきなり核心を突いてきた。
「ああ。不本意ながら数年前からな」
ユディの言葉に男は目をみはる。
「そうか。……お前が」
なにやら納得したように呟いた。
その様子は気になったが、呪われるような男に深入りしたくはない。
ユディは気づかぬふりで口を開いた。
「わかったなら手を離してくれ。あと、このことは他言無用だぞ。そうしたら瘴気を完全に祓ってやってもいい」
もちろんそれは言うほど容易いことではない。男の呪いはかなり強そうで、すべての瘴気を祓うには根気強く何度も『聖女』の力を使う必要がありそうだからだ。
ユディは『聖女』のスキルでそんなことまでわかるようになっていた。
男は、しばし考えこみ……やがてコクリと頷く。
「わかった。よろしく頼む」
あっさり了承した男に、ユディは拍子抜けした。
なんでお前みたいな男が聖女なのか? とか。
どうして他言無用なのか? とか。
いろいろ聞かれると思っていたのに。
(……聞かれないに越したことはないが)
手も離されたので、ユディは男から素早く距離を取った。
「今日の浄化は、これ以上は無理だ。残りは明日以降何回かに分けて行う。……それでかまわないな?」
「ああ。もちろんだ」
ユディの言葉を聞いた男は嬉しそうに笑う。死にかかっていたところを助かったのだから、機嫌がよいのも当然か。
彼の笑顔が思いの外若いことに、今さらユディは気がついた。
ひどい顔色ばかりに気をとられ、顔の造作などよく見ていなかったのだが、まじまじと見た男は、若いだけでなくとても綺麗な顔立ちをしている。暗いので髪色などはよくわからないが、瞳は鮮やかな緑色だ。
(まあ、だからといってどうというわけでもないけどな)
「じゃあ、今夜はこれで。明日の朝食はきちんと食べにこいよ」
ユディはそう言って部屋を出ていこうとした。
そこに声がかかる。
「命の恩人の名前を聞かせてくれないか?」
命の恩人? たしかに、そう言われればそうかもしれないが、ユディは顔をしかめる。
「別に恩にきせたくて助けたわけじゃない。俺の宿屋で死人を出したくなかっただけだ。……名前はユディだ」
「ユディ」
男は、また嬉しそうに笑った。そのまま口を開く。
「俺の名前は、エドガーだ」
聞いてもいないのに名乗られてしまった。わざわざ聞かなくとも宿泊名簿を見ればわかるのに。
しかし――――。
「エドガーか。……『勇者』さまと同じ名だな」
ユディは嫌そうにそう言った。
『聖女』の自分が助けた男の名が『勇者』と同じだなんて、偶然にしてもできすぎだ。
「――――そうだな。ま、仕方ない。本人だからな」
なのに、ニコニコと笑いながら男が肯定したものだから、たまらない。
「はぁ? ……本人?」
「ああ、そうだ。『勇者』エドガー、俺のことだ」
月明かりに照らされた男の顔は、現実味がないくらいに美しい。
「…………勘弁してくれ」
ユディは顔を伏せ、エドガーに聞こえないように呟いた。




