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無能とバカにされてきた宿屋の主人は、今さら聖女になんてなりたくない!  作者: 九重


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第二幕 第一場 勇者(一)

 ティムが騎士団に入団して一ヶ月。

 多少忙しくなったものの、ユディは子どもたちと協力し、今までどおりに宿屋を回している。



「と、父さん…ちょっといい?」


 昼休憩もそこそこに厨房に立っていたユディに、小声で話しかけてきたのはリックだ。


「どうした?」

「お客さんが来たんだけど……」


 モゴモゴと言葉が尻すぼみになるのは、たいてい面倒ごとが起きたとき。

 今日はリックに受付を任せていたのだが、どうやら彼だけでは対応できない客が来たらしい。


「わかった。厨房は夕食の仕込み中だが、任せてもいいか?」


 この仕込みがしっかりできているかどうかで、夕食時の忙しさが変わってくる。

 ユディに任せると言われたリックは、少し怖じ気づいた様子を見せたが……ギュッと唇を引き締めると小さく頷いた。

 内気なリックの将来の夢は料理人だ。スキルはなくとも懸命に料理の腕をみがいている。


(仕込みをすべて任せるのは、まだ早いような気もするが……なに失敗したらやり直せばいいだけだ)


 そう思ったユディはリックに厨房を任せ、自身は受付に向かった。



 そして見たのは、深くフードを被った背の高いひとりの男性客。


(……これは。リックが呼びに来るはずだな)


 ごく普通の旅装を纏った男の顔色は、フードでも隠せないほど悪かった。見えるのは頬の下半分と口回りだけなのだが、青いを通り越して土気色になっている。

 ユディも色白でよく顔色が悪いと言われるのだが、男のそれは次元が違った。死人だと言われても信じてしまうほどだ。



「――――お待たせいたしました。ご利用は一泊ですか?」


 それでも客は客。ユディは笑顔で対応した。


「……いや、十日ほど世話になりたい」


 聞こえてきた声は意外にもしなやかなテナーの音域。怨霊ような低い声を予想していたユディは、少し驚く。


「十日ですか…………失礼ですが、その間に()()()()()になったりしませんよね?」


 客の声を聞き、これなら多少踏み入っても大丈夫かなと判断したユディは、大胆にもそう聞いた。

 一瞬ビクッと震えた客は、次には乾いた声で笑いだす。


「ハハ、ハハハ……たしかにこの顔色では、そんな心配をされても仕方ないか。……大丈夫だ。十日くらいなら()()持つ」

「……まだ」


 ユディは眉間にしわを寄せた。考えこんで……息を吐く。


「わかりました。では、とりあえず五日ということで承ります。その後、もう五日延長するかどうかは、その時点でのお客さまの様子を見て判断させてください」


 ユディの返事を聞いた客は、また笑おうとしたようだ。しかし「ハハ」と言ったとたん大きくむせて「ぐぅっ」と呻く。


「くっ! ……ふぅ~。笑わせないでくれないか。寿命が縮む。……しかし五日か。変わった主人だな。普通具合の悪そうな客が来たのなら、医者を呼びましょうか? とか聞くもんじゃないのか?」


「――――医者を呼びましょうか?」

「断る」


 だよな、とユディは思った。そもそも医者にかかりたいのであれば、宿屋ではなく医者に直行すればいいだけだ。


「わかった。五日で頼む」


 結局、男はそう言った。これ以上言い争う気力がないようだ。


 前金を受け取ったユディは、男を部屋に案内した。

 バタンと閉めたドアの向こうで、ドサリとベッドに倒れこむ音がする。


「……大丈夫かな? 今すぐ死んだりしないよな?」


 心配しながら仕事に戻った。





 リックに任せた夕食の仕込みは、多少のやり直しは必要だったもののだいたいは上手くいった。


「偉いぞ、リック」

「ううん。まだまだだよ。次は完全にできるように頑張るからね!」


 両手を握り目標を語る子どもは、とても可愛い。グリグリと頭を撫でてやれば「もうっ、父さんったら止めて」と、赤い顔で怒った。


「俺も! 俺も頑張るから!」


 そう主張して頭を差しだしてくるのはペーターだ。ユディはこっちも思いっきり頭を撫でてやる。


「二人とも頼りにしているからな」

「うん!」

「任せて」


 張り切る子どもたちだが、夜はしっかり休ませる必要がある。ユディは食事目当ての客がはけた段階で、リックとペーターを先に上がらせた。

 その後、遅くまで粘っていた酔客もようやくいなくなり、ひとりで後片付けをする。洗った皿を決まった場所に収め明日の準備まで終わらせれば、気になるのは顔色の悪かった客のことだった。


「やっぱり夕飯を食べにこなかったな」


 部屋に入ったきり音沙汰ない客が、生きているのかどうか心配だ。


「……仕方ない。見に行くか」


 明朝死体の第一発見者にはなりたくない。そう思ったユディは客室へと向かう。


「お客さん、大丈夫ですか?」


 コンコンとノックしながら声をかけたのだが……案の定、返事はなかった。

 合鍵を取りだしたユディは、静かにドアを開ける。部屋の中は、文目(あやめ)も分かぬ闇の中。


「カーテンも開けなかったんだな」


 いや、開けられなかったのか。そう思いながらユディは暗闇の中を苦もなく進んだ。自分の宿屋の配置なのだ。どこになにがあるかくらいわかる。


 窓際に寄りカーテンを開ければ、月明かりが密かに部屋を照らしだした。


 小さな書斎机とクローゼット、大きめのベッドが置かれた簡素な一室の茶色い格子柄のベッドカバーの上に、旅装も解かずに男が倒れていた。

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