幕間(二) 聖騎士の事情(二)
ユディの宿から走り出て、ローレンスが向かったのは彼の生家。
夜のとばりに隠れてよく見えないが、この中に愛しい妹がいるはずだ。
(せめて一目だけでも姿を見たい。……無事に暮らしていてくれればいいんだが)
どうやって忍びこもうかと考えているところに、カラカラと馬車の音が聞こえてきた。振り向けば、仄かな灯りが近づいてくる。
(馬車のランプか? こんな真夜中に誰が?)
門を抜けた馬車が正面玄関の前で停まり、闇が光で四角く切り取られた。
邸の扉が開いたのだ。
馬車から降り光の中に現れたのは、銀の長髪を輝かせた騎士服の男。
「お帰りなさいませ。ローレンスさま」
邸の中から迎え出た使用人が、そう言って頭を下げた。
(なっ!)
口から出かかった叫び声を、慌てて噛み殺す。
「ご苦労。伯父上は?」
「お部屋でお待ちです」
ローレンスと呼ばれた男と使用人は、言葉を交わしながら邸の中に入っていく。扉が閉められ、光も消えた。馬車もいつの間にかいなくなっている。
(あれは……私の偽物か?)
よもやそんなモノが、正々堂々と実家に出入りしているとは思わなかった。
(伯父だって、あれが偽物だということはわかるはずなのに、どうして? ……いや、今さらだな。伯父が権力に迎合する性格なのはわかっていたことだ)
むしろ率先して協力しているのかもしれない。
ローレンスは、気配を消して邸に近づいた。
(伯父の部屋は…………父上が使っていた当主部屋だろうな)
記憶に残る部屋の真下に、壁伝いに進む。
(たしか、真上にバルコニーがあるはずだ)
闇に慣れた目を凝らし、上を見つめてバルコニーの出っ張りを確認すると、ローレンスはスッと膝を曲げた。
そのままヒュン! とジャンプする。
音もなく、目的のバルコニーに降り立った。
とても人間業とは思えない身軽さだが、ローレンスにとっては苦も無いこと。
(魔王軍の城塞に忍びこむことに比べれば、簡単だ)
圧倒的な武力でもって正面から敵をなぎ倒すイメージのある『聖騎士』だが、力押しだけで倒せるほど魔王軍は甘くない。時には隠密行動も必要で、それをローレンスに根気強く教えてくれたのが、勇者エドガーだった。
(無表情でボロクソに罵られて、腹立たしいばかりの指導だったが……覚えていてよかったな。世の中、何が幸いするかわからない)
そう思いながら、部屋の中を窺う。
カーテンが閉まっているため、中を見ることは出来なかったが、研ぎ澄まされた聴力で声を拾うことは出来た。
「――――ただいま戻りました。父上」
「遅かったな。夜遊びもほどほどにしておけと言ったはずだが?」
「すみません。この顔にひっかっかる女が多すぎて。……正直、あいつの身代わりなんて死んでもゴメンだと思いましたが、悪くありませんね」
伯父を父と呼ぶのは、伯父の息子のドナルドだけ。偽物の正体は呆気なく知れる。
とはいえドナルドは、消炭色の髪と半藤色の瞳の、小狡そうなキツネ顔をした男だったはずだ。
(俺とは似ても似つかなかったのに……いや、魔法を使えば見た目を偽るくらいは簡単か。見た目を変える魔法は、使い続けると元の顔に戻れなくなると聞くが……)
それどころか、下手をすれば偽りの顔も本当の顔も失って、人と判別がつかないほどの醜い容姿になるという。
権力に媚びる伯父ならば、自分の息子の容姿を変える危険さえも受け入れられるのか。
呆れていれば、伯父の深いため息を聞こえた。
「まあいい。…………それより、問題が起こった。明日、アンジェラを神殿に連れてこいという命令書がきたのだ」
「アンジェラ? あの娘、まだ生きていたんですか?」
聞いた瞬間、ローレンスは拳を振り上げた。
ドンッ! と、大きな音が響く。怒りのあまり、壁を殴ってしまったからだ。
「な、何の音だ?」
「窓の外のようですね?」
焦った様子で中の二人が窓に近づいてくる気配がした。
まずいと思ったローレンスは、スッと夜陰に潜む。
カーテンが引き開けられ、数センチだけ窓が開けられた。
「…………何もいないぞ」
「風で折れた枝でもぶつかったのでしょうか? まったく人騒がせな」
声は聞こえるが、人の姿は見えない。臆病者の二人は、窓から顔も出せないらしい。
それでもひと通り確認して安心したのだろう、窓を閉め雑にカーテンを引かれた。
ローレンスはホッと息を吐く。
思わぬ失態だったが、おかげで隙間の出来たカーテンから、中の様子が見えるようになった。
覗き込めば、伯父とローレンスの姿をしたドナルドが、部屋の中央にある応接セットにドサッと座りこんだところ。
「それで、アンジェラは生きているのですか?」
「ああ。寝たきりになったから離れに放置しているんだが、かろうじて息はしているようだ。しかし、あれほど弱っていては動かすこともままならんぞ。……神殿への移動中に死なれでもしたら、養育費がもらえなくなってしまうからな」
伯父が心配しているのは、アンジェラの生死ではなく、それに付随する養育費の方。
ローレンスは、ギリリと歯を食いしばった。今度は拳を振るわないようにギュッと握り込む。
「それもいいではないですか。養育費の代わりに弔慰金をたっぷり貰えばいいだけですよ」
笑いながらドナルドはそう言った。
「まあ、それもそうか。定期的な収入が減るのは困るが、一時金ががっぽり入るのも悪くない。…………それにしても、今さらアンジェラを連れて来いなどと、ローレンスの容態でも悪化したのか?」
「あんな死に損ないがどうなろうとも、私たちには関係ありませんよ。なにせこの国には、私という『聖騎士』がいるのですからね」
ドナルドが偉そうに自分の胸を叩く。しかし、聞こえてきたのはポコンという、なんとも気の抜けた弱々しい音だった。彼の服の下に筋肉がないのは間違いない。
「そんなことより父上、欲しい物があるのですが――――」
ドナルドは、伯父におねだりをはじめた。
これ以上聞く必要がないと思ったローレンスは、静かにバルコニーを後にする。
ひと跳びでトンと地上に降り立つと、そのまま邸の離れに向かった。
(アンジェラ……無事でいてくれ!)
祈りながら駆ける。
離れとは、人嫌いだった曾祖母が生前住んでいた小さな小屋のこと。曾祖母亡き後は、金銭的に余裕がなかったこともあって、そのまま放置していたはずだ。
(あんなところにアンジェラが――――)
いったい何時から?
ひょっとして、両親が死んでからずっとなのだろうか?
ローレンスの胸に焼けつくような後悔がこみ上げる。
(私は……伯父に邪魔されていたとはいえ、もう少しアンジェラの境遇に気を配るべきだった!)
どれほど悔いても、時は元に戻らない。
焦りながら駆けつけた小屋は、予想以上に酷いあばら屋だった。闇に沈んで細部までは見えないが、今にも崩れ落ちてしまいそう。
当然、護衛や使用人の姿など、どこにもなかった。
「アニー!」
ローレンスは、斜めに立てかけてあるだけの扉をどかして中に入る。
アニーとは、アンジェラの愛称だ。ローレンスの愛称ロニと対になっている。
妹を探すためガラスにひびの入ったランプを点けたローレンスは――――その場に立ち尽くした。
小屋の中、たったひとつ置かれたベッドの上に、小さな小さな塊がある。
よく見れば、それがアンジェラだったのだ。
「アニー!!」
よろける足で、駆け寄った。
布団なのだろうか、汚れたぼろ布が痩せ細った体をかろうじて覆っている。
「アニー!!」
呼びかけても返事はなかった。それどころかビクとも動かない姿に、ローレンスは恐怖する。
恐る恐るアンジェラの鼻に自分の顔を近づけ、呼吸を確かめた。
微かな息が、頬にかかる。
「…………生きている」
安堵にドッと力が抜けた。
ただ、確かめた息は今にも止まりそうで、ローレンスは再び恐怖に震えてしまう。
なんとかしなければと思い――――ふと、ユディのくれたエリクサーを思い出した。
「そ、そうだ! あれならアニーを助けられるかもしれない」
慌てて身につけていた収納鞄の中から、エリクサーの入った瓶を取り出す。
震える手で蓋を開けた。
しかし、意識のない妹にどうやって飲ませればいいのだろうか?
そう考えている内に、震える手からポロッと瓶が落ちた。
パシャン! と、エリクサーがアンジェラの顔にかかり、カランと落ちた空き瓶がコロコロと床を転がっていく。
「あ――――」
なんてことをしてしまったのかと、ローレンスは青くなった。
ところが、彼の見ている前で、アンジェラの様子は劇的に変化していく。
エリクサーのかかった部分から、青白かった顔に血色が戻りそれが徐々に広がっていったのだ。
紫色の唇が赤くなり、その隙間から力強い息が吐き出される。
垢と埃に塗れ汚れた白だった髪の毛にも、銀の輝きが戻った。
今にも死にそうだったのに、ただ普通に眠っているだけに見えてくる。
「…………これが、エリクサーの効果」
ローレンスは、感嘆した。
同時に確信する。
劣化版だというエリクサーで、この効果なのだ。ユディであれば、アンジェラを完治させ、元気にしてくれるに違いない。
「アンジェラ、もう少し我慢してくれ。今すぐユディさんのところに連れてってやるからな!」
ローレンスは、汚れたぼろ布を剥ぎ取り、自分のマントで妹を丁寧にくるんだ。サッと抱き上げ、立ち上がる。
そのまま小屋を後にした。
「早くユディさんの宿屋に行かなければ」
一目散に駆け出す。
夜闇が『聖騎士』の姿を呑みこんだ。




