第三幕 第一場 聖騎士(一)
エドガーの浄化が終わった一週間後の深夜。
真っ黒で巨大な塊を、エドガーが背負ってきた――――と思ったら、それが『聖騎士』だった。
「なっ! お前より酷いじゃないか!?」
「別れたときは、俺の方が呪いに侵食されていたんだがな……しばらく会わないうちに逆転したみたいだ」
日々ユディの浄化を受けたエドガーは、今では呪いはきれいさっぱり消え失せている。
一方聖騎士はそのまま放置。逆転したのは当然の結果である。
「もっと早く連れてこい!」
思わずユディは、そう怒鳴った。
エドガーは、嬉しそうに笑う。ベッドの上にドサッと『聖騎士』を投げ出した。
「やっぱりユディは優しいな」
「お前は優しくない! ……まったく、仲間だろうに」
ユディはブツブツと言いながらも、黒い塊に近づいていく。手をパッパッと左右に振れば、男から滲み出ていた瘴気が薄れ、ようやく顔が見えてきた。
足がベッドからはみ出すくらい背の高い男の顔色は、土気色で頬がげっそりこけている。頭のマントを脱がせれば、白茶けた灰色の髪が現れた。薄い唇は青白く、本当に生きているのか不安になるほど。
ユディは急いで自分のシャツのボタンを外そうとした。肌と肌をなるべく多く触れ合うと浄化が捗るということは、エドガーで実証済みだ。
「うわっ! 待った! ユディ、肌は合わせなくていいからっ!」
ところが、焦った様子のエドガーが止めてきた。
「は? 何でだ? こっちの方が、浄化が早いんだろう」
エドガー自ら言いだしたのだから、間違いないはずだ。
聞き返せば、エドガーは目を泳がせた。
「そ、それはそうなんだが…………いっ、いきなりはダメだろう! こいつの症状は明らかに俺より進んでいるし……少しずつ様子を見ながらじゃないと……の、呪いの反動が、あるかもしれないし」
必死に制止するエドガーは、ユディが外しかけたボタンまで留めてくる。
ユディは首を傾げた。
(反動なんてあったか?)
エドガーを浄化しているときに、ユディは反動なんて感じたことはない。聖女の力は、抵抗なくエドガーの体に吸いこまれて、そこにあった呪いをすんなり浄化していたからだ。
とはいえ「反動があるかも」と言い張っているのは、浄化を受けた本人だ。ユディには感じられなくとも、エドガーには何かわかるのかもしれない。
「……わかった。最初は手だけで触れてみる。お前の時もそうだったしな」
「あ、ああ。そうしてくれ。最初だけじゃなく、ずっと手だけでも大丈夫だぞ! こいつは、その…………あ、そうだ! 聖騎士だからな。潔癖症なんだ!」
エドガーは、ポンと手を打ってそう言った。
――――まるで、たった今言い訳を思いついたみたいだ。
(……ひょっとして、エドガーも俺と肌を触れ合わせるのがいやだったのか?)
ふとユディは、思いついた。
考えてみれば、男同士で肌を合わせるのだ。そこに疚しいものは一切無いと言い切れるユディだが、される方は不快だったのかもしれない。
(俺を好きだとか言っていたが…………あれは、浄化目的の嘘だしな)
胸にズキンと痛みが走り、慌ててユディは首を横に振った。
(何を今さら傷ついているんだ。エドガーの魂胆なんか、とうにわかっていたことなのに)
「ユディ?」
「あ、ああ。直ぐに浄化する」
急に首を振ったユディを不審に思ったのか、エドガーが気遣うように声をかけてきた。
ユディは、それには答えず聖騎士の額に手を伸ばす。さわろうとして……直前で手を止めた。
(別にさわらなくとも……手をかざすだけでも浄化出来るかもしれない)
そう思ってやってみたら――――上手くいった。
ユディの手から発せられた光が、触れずとも聖騎士の中に入っていく。
パーッと聖騎士の体が光って、瘴気がかなり祓われた。
「やった! さわらなくとも浄化出来たぞ!」
思わずユディは叫ぶ。
満面の笑みを浮かべて振り返ったのだが……何故かそこには、複雑な表情を浮かべるエドガーの顔があった。喜ぶべきか悲しむべきか迷っているかのような、頼りない顔だ。
「エドガー? 嬉しくないのか?」
「いや、嬉しい。嬉しいけど…………ユディ、なんでそいつに触れなかった?」
そんなことを聞いてくる。
「ん? だってお前が、彼は潔癖症だから出来るだけ触れるなと言ったんだろう?」
「それは…………そうだが。さわりもしないとは思わなかった」
「潔癖症なんだ。その方がいいだろう? ……俺なんかに触れられたって嬉しくないだろうし」
ユディがそう言った途端、エドガーの顔が苦しそうに歪んだ。
「やっぱり、そんなふうに受け取ったんだな。…………すまない! ユディ、俺が悪かった! こいつが潔癖症だというのは嘘なんだ!」
エドガーは、突然謝りだした。
「――――は?」
「俺が、ユディにこいつに触れて欲しくなくて、嫉妬してそう言ったんだ! こいつは、潔癖症でも何でもない! ズボラで面倒くさがりで、トイレに行っても手を洗わないし、地面に食べ物を落としても、謎の『三十時間ルール』とか振りかざして、三十時間以内なら拾って食べられると主張するような、そんな潔癖症とは対極にいるような男なんだ!」
大声で告げられて、ユディはポカンとした。
(何だ、それ? …………ていうか、三十時間はヤバいだろう)
三十時間ということは、一日以上ということだ。落ちて一日以上経過した食べ物は、絶対食べてはいけないと思う!
(あ、いや。今は、それは問題じゃないな――――いや、三十時間は大問題だが――――そうじゃなくて……エドガーは何て言った?)
「…………嫉妬?」
「ああ、すまない! ユディの白くて、すべすべで、もちもちの最高の肌を、俺はこいつに触れさせたくなかったんだ! ……触れるどころか、見せるのだって断じていやだ! だから嘘をついた。でも、それでユディが傷つくなんて思わなかったんだ!」
エドガーの言葉は、ますますユディを混乱させる。
(白いはともかく……すべすべでもちもち?)
――――なんだそれ?
気になるところは多々あるものの、とりあえずユディは一番気になったところだけを聞き返す。
「…………俺が傷つく?」
「傷ついたんだろう? 手で触れることもしないで『俺なんか』なんて、言うなんて! ……ユディ! ユディは最高の男だよ。優しくて、親切で、努力家で! 卑下することなんて少しもない! ……ユディ、俺が本当に悪かった! だから、頼む……自分を傷つけるような言葉は言わないでくれ!」
エドガーは、必死に言葉を重ねてくる。
混乱しながら聞いていたユディは、ようやくエドガーの言わんとするところを理解した。
「……つまり、聖騎士が潔癖症だというのは嘘だったんだな?」
「そうだ」
「お前が、俺を聖騎士に触らせたくなくて、そう言った?」
「ああ」
「………………その理由が、嫉妬?」
「そうだとも! ユディの肌に俺以外の誰かが触れるなんて、考えただけで胸が焼け焦げる! 絶対触れて欲しくなくて……だから嘘をついた。でも、それでユディを傷つけたかったわけじゃない! それくらいなら……それくらいなら……すごくいやだけど、ものすごくいやだけど! 絶対いやだけど! …………俺が我慢する」
本当にとてもいやそうに、エドガーはそう言った。
どれだけいやなんだと、ユディは呆れかえってしまう。
(俺が他の誰かに触れるのがいやなんて……なんだ、それ?)
「……子どもか、お前は」
「子どもじゃない! 立派な成人男性だ。だから嫉妬するんだ!」
偉そうに言うことではないだろう。
ユディは、深くため息をついた。
「――――ユディ? ……さすがに呆れたか? すまない! 心から謝るから……だから、どうか俺を嫌いにならないでくれ!」
エドガーは、今にも縋りついてきそうな勢いだ。
ユディは、もう一度ため息をついた。
「はぁ~……もういい。お前がおかしい奴なのは、今さらだからな」
「酷い! でも、許してもらって嬉しい! ……ユディ、愛している!」
叫びながらエドガーは、本当にユディに抱きついてこようとする。
「調子に乗るな! 浄化が先だろう。……さっきかなり祓えたが、もう一度くらいなら浄化できそうだからな。続けてやるぞ」
ユディの聖女の力は、以前より確実に強くなっている。連続して浄化をすることも可能だ。
「ユディ、無理はしなくとも――――」
「無理じゃない」
「だったらいいが…………そうだ! さっきは触れないで浄化できたんだから、今度も触れずにやってくれ!」
熱心に頼みこんでくるエドガーを、ユディは横目で睨んだ。
「……それも嫉妬か?」
「おう! 俺のユディに、いらぬ接触はさせたくないからな」
当然とばかりに主張してくるのは、いかがなものだろう。
「はぁ~……もういい。お前は、部屋から出ていろ」
「何で!? ユディを他の男と二人っきりになんて、俺がするわけないだろう!」
「浄化の邪魔だ」
「邪魔なんてしない! ユディ、俺を捨てないでくれ!」
エドガーは、必死に縋りついてきた。ガッチリ胸に抱きこまれる。
「あ、こら! 離れろ」
「いやだ。俺はユディから離れないぞ!」
ドタバタしていたら――――。
「…………うるさい」
不機嫌そうな声が聞こえた。
この部屋にいるのは、ユディとエドガー、そして聖騎士だけだ。
驚いてベッドを見れば、美しい宝石みたいな紫の目がこちらを見ていた。




