第二幕 第四場 勇者(九)
(そういえば、最近絡まれることが減ったな)
深夜。
浄化のためエドガーの部屋に向かいながら、ユディはふと気づく。
以前は、外を歩けば必ずと言っていいほど『無能』と蔑まれ、嘲りの声を浴びていたユディだが、それが聞こえなくなったのだ。
状況的には、たいへん望ましいことなのだが、原因がわからない。
(……前にエドガーと一緒にいたときに絡まれて以来なんだが……あいつがなにかしたのか?)
思い当たるのは、そんなことくらい。
しかし、不特定多数の悪評を消すなんてことが、可能なのだろうか?
(勇者なら出来るのか? ……いや、普通に考えて無理だよな)
出来たら怖い。そう思う。
本人に直接聞いてみるかと思いながら、エドガーの部屋の扉を開けて――――。
その瞬間に、そんな考えは吹き飛んだ!
「お、お、お前~っ! なにやっているんだ!?」
絶叫してしまったが、仕方ない。
だってエドガーは、素っ裸で部屋の中で仁王立ちしていたのだから。
「ああ、ユディ。悪いが部屋の扉を閉めてくれないか? ……あと、夜中に大声を上げるのは感心しないな。今のは、俺が消音魔法を使ったから問題ないが、他の宿泊客の迷惑になるだろう?」
まるで自分が常識人のように注意してくるが、問題なのはエドガーの方。
ユディは、バン! と扉を閉めると、ズンズンとエドガーの側に近寄り睨みつけた。
「パンツを履け!」
「何故だ? 素肌で触れ合った方が、浄化の進みが早いって、わかったのに?」
たしかにそれはそのとおりだが。
「下まで脱ぐ必要はないだろう! 俺はそんなところまで触れ合うつもりはないぞ!」
「それは、残念」
エドガーは、裸のまま肩を竦めた。
淡いランプの光に照らされて、発達した彼の筋肉がなまめかしく動く。
ユディは、エドガーの足下に落ちていたパンツを拾うと、こんな時でも整った顔めがけ投げつけた。
パッと受け取ったエドガーは、渋々パンツに足を通す。
片手で両目を覆ったユディは、大きくため息をつきながらベッドの上に腰掛けた。
「…………本気で浄化を止めてやろうか」
脅しのつもりで言ったのに、聞いたエドガーは声を弾ませる。
「それはいいな! そうすれば、ずっとユディの傍にいられる大義名分が手に入る」
「お前――――」
「このままじゃ、今日明日にも浄化は終わってしまうんだろう?」
エドガーの言うとおりだった。
毎晩ユディがせっせと浄化したおかげで、彼の呪いはほとんど祓われている。肉体への呪いはかなり前に消えていて、残っているのは精神を蝕む悪夢だけ。
(それだって、かなりキツい悪夢を見せられているはずなんだが……なんでこいつは、こんなに明るいんだ?)
実に羨むべき強メンタルだ。ユディは心の底から感嘆している。
これで、もう少し常識的であれば、見直すこともできるのに。
「浄化が終われば、ユディは俺を追いだそうとするだろうしな」
大の男がしゅんと項垂れ、悲しそうにユディを見つめてきた。
もちろん、そんなことに絆されるユディではない。
「……大義名分なんてなくても、つきまとう気満々だったくせに、殊勝な振りをするんじゃない!」
ピシッと叱れば、エドガーは目を丸くした。
「えっと……ユディ?」
「隣の靴屋を買ったそうだな?」
指摘すれば、エドガーは「あ」と呟き、目を泳がせる。
「おばあさんにお礼を言われたよ。『おかげで田舎へ帰れます』ってな」
ユディの宿屋の隣には、小さな店が建っていた。地方から王都に出てきた老夫婦の営む靴屋で、そこそこ評判のいい店だ。ただ、子どもも独立し店主と妻だけになった今、夫婦は老後を故郷で過ごしたいと常々言っていた。
とはいえ、引っ越すにしても田舎で暮らしていくにしても、先立つものは必要だ。コツコツと貯めた老後資金では、故郷に帰る旅費だけでも大きな負担となり、その先の生活を考えればとても足りないと、夫婦は嘆いていた。
そこにエドガーが、破格の値段で老夫婦の家を土地付きで購入すると申し出たらしい。それこそ故郷まで豪遊し、老後の心配なく暮らしていけるほどの大金をポンと払ったそうだ。
「…………いや、それは、その」
「勇者さまは、金持ちなんだな」
揶揄すれば、エドガーはテヘヘと照れた。
「ま、まあな。今まで報償なんて貰っても、使う暇はなかったし。……だから、ユディのことも余裕で養えるぞ!」
まさに宝の持ち腐れだ。ユディは養って貰うつもりなんて欠片もない!
「それだけの金があれば、王都の一等地に豪邸が建てられるんじゃないのか?」
ユディに聞かれたエドガーは、プルプルと首を横に振った。
「一等地なんて、とんでもない! だいたいそこにはユディの宿屋がないじゃないか! それに豪邸なんてユディは、落ち着かないって言うだろう?」
それはそうだ。ユディは生まれも育ちも王都の下町で、庶民暮らしが身に染みついている。豪邸なんて住むどころか近づくつもりもなかった。
「俺は、ユディの傍にいたいんだ! ……わかっているくせに」
恨みがましそうに睨まれても、それがパンイチの男では、少しも心に響かない。
「浄化が終われば、俺に用はないはずだろう?」
ユディは、突き放すようにそう言った。
「そんなはずあるか! 俺は、この先もずっとユディと生きていきたいんだ!」
エドガーは、大声で主張する。
彼の姿は真剣で――――それが、ユディにはわからなかった。
なぜそんなにエドガーは、ユディに執着しているのだろう?
(俺が『聖女』だからか?)
だとすれば、そんな執着はお断りだ。
これまで『無能』だった自分に愛を告げてくれる人は、終ぞ現れなかった。
なのに、『聖女』になった途端、ここまで言い寄ってくる人間が現れる。
(しかもそれが『勇者』だとか……反吐が出る)
結局この世はスキルがすべてなのかと思えば、ユディの心は沈むばかりだった。
話す気にもなれずにいれば、低い声が聞こえてくる。
「……そんな目をするな」
見返せば、パンイチの男は何故か傷ついたような顔をしていた。
いったい自分はどんな目をしているのだろう?
ユディは、首を傾げる。
「……お前の心に、まだ俺の想いは届かないんだな」
エドガーは辛そうに呟いた。
届くも届かないもありゃしない。
ユディが真に欲しかったのは、無能な自分を愛し寄り添ってくれる誰かだったのだ。
今さらそれに気づいたが……でも、もう既にユディは無能ではなくなっている。
であれば、そんな存在はもう二度と手に入らない。
喪失感に駆られるユディの前に、エドガーが膝をついた。
「……わかった。だったら、お前が納得するような理由をやろう。……本当はそんなことをしたくないが……でも、俺の好意を信じられないお前は、俺を疑いながらも、信じられない自分自身を嫌悪するようになるだろうからな」
(こいつは、なにを言っているんだ?)
ユディには、エドガーの言うことがよくわからなかった。
ただ、いつも陽気な彼の顔がひどく悲しそうで、目を背ける。
「お前を傷つけるくらいなら、俺が嫌われた方がマシだからな」
「エドガー?」
視線を戻せば、そこにいたのはいつもの飄々としたエドガーで――――。
「――――ユディ、お前に頼みがある。俺の浄化が終わったら、俺の仲間を浄化してくれないか?」
パンイチの勇者は、ニカッと笑ってそう言った。




