第二幕 第三場 勇者(八)
エドガーの吐息が耳にかかり、ユディはビクッとなる。
「なっ! おい、離れろっ! …………あと、泣かせてなんていない!」
赤毛の男は泣いていなかった。……と思う。
それに、泣いていたとしても、泣かせたのはエドガーだ。
エドガーの胸をドン! と押したユディだが、悲しいかなエドガーはビクともしなかった。それどころか、ますます深くユディを抱きこもうとしながら話しかけてくる。
「いや、あいつは泣いていたぞ。ユディは、もっと自分の魅力に気づいた方がいい」
ユディは、ジロリとエドガーを睨みつけた。
「離れないと、今夜の浄化はしないぞ」
途端、パッとエドガーはユディを離す。降参と言うように両手を上げた。
フンと鼻を鳴らして、ユディは歩き始める。朝の買い出しは、時間との勝負なのだ。これ以上おかしなことに時間を取られるわけにはいかない。
慌てて追いかけてくるエドガーを振り返ることなく、文句を言った。
「――――まったく。よくわかりもせずに、いい加減なことを言うなよな。……俺は、見た目どおりの平凡な人間なんだ。いや、それどころか無能だぞ? あいつらにとっては、蔑みの相手だ。俺に憧れていたなんて、あるはずがない」
すべて本当のことだ。なのにエドガーは引き下がらない。
「ユディは、自分のことについては、悲しいくらい鈍いな」
そんなことを言ってきた。
ユディは、ムッとして足を早める。
(こんな奴、相手にしていられるか)
「ちょっ! 待て、待てって、ユディ! 本当だぞ」
「…………」
「ユディは、可愛い! 絶対可愛い! 可愛いったら可愛いんだ!」
可愛い、可愛いと叫びながら着いてくるのだから、たまらない。
「黙れ! ちょっと、こっちに来い」
仕方なくユディは、エドガーを人目につかない脇道に引っ張り込んだ。
壁際にドンと追い詰める。
「はぁ~、お前、いい加減にしろよ」
ため息をつきながらエドガーを睨みつけた。身長の差で見上げる形になるのが、ちょっと悔しい。
エドガーは、嬉しそうだった。
「ハハ、こういうシチュもいいな。自分が迫られる方とか……興奮する」
「興奮するな、変態! いいか、今後二度と俺を可愛いなんて言うなよ!」
変態と言って怒鳴りつけても、エドガーはへっちゃらだ。
「それは約束できないな。ユディには、自分が可愛いってことをきちんと自覚してもらわなきゃならないからな」
そんなことを言ってくる。
「お前は、目まで呪われているのか? 可愛いっていうのは、ペーターみたいな子のことを言うんだ」
金髪青目、明るく元気なペーターは、誰がどこから見たって文句なしに可愛い少年だ。
「ああ、ペーター先輩か。たしかに彼は可愛い子だが、ユディみたいな妖艶な可愛さはないからな」
「妖艶な可愛さ…………」
ユディは、ポカンと口を開けた。妖艶と可愛さとは、両立しうるものなのだろうか?
「ペーター先輩は、お日さまの下で咲くひまわりだろう? 誰からも愛されるが、世の中、ひまわりより月下美人の方により強く惹かれるって奴も結構いる」
月下美人とは、夜に咲く白い花のこと。朝には散る儚い花は、その美しさで有名だ。
(……まさか、その月下美人が俺だとでも言いたいのか?)
ユディは、エドガーに胡乱な目を向けた。
声に出さなかった疑問を感じ取ったように、エドガーは頷く。
「ユディが通っていた学校には、男しかいなかったんだろ?」
そのとおりなので、今度はユディが頷いた。
「色が白いのも昔からだろ?」
「……悪かったな」
「悪くなんてないさ。……あまり背は高くなかったんじゃないか?」
「だからなんだって言うんだ? 俺が、女の代わりに男にモテていたって言いたいのか? 残念だが、そんなことは欠片もなかったぞ」
ユディは平凡な男だ。それは学生時代も変わらない。なかなかスキルが発現しないことで、変な目立ち方はしていたが、それだって今ほどじゃない。
「それが不思議なんだよな。あの赤毛も、直接手は出していなかったみたいだし……ひょっとして……ユディ、学生時代にいつも一緒に行動していたような友人がいたか?」
ユディの胸にズキンと痛みが走った。
――――たしかに、いた。幼馴染で親友だと思っていた友人が。ただ、その男もユディがいつまでもスキルを得られなかったことで、離れて行ってしまったが。
ユディの表情から言葉にならなかった返事を察したのだろう、エドガーは「わかった」と呟いた。
「……フン。調べて排除する奴が増えたな」
「排除?」
――――いったい何を?
ユディは首を傾げる。
「いや、こっちの話だ。……後でしゃしゃり出てきて障害になられちゃ、たまらないだろう?」
――――だから、何が?
そう聞きたいのに、エドガーはこの話は終わりとばかりにユディの肩に両手を置いて、体の向きを変えさせる。グイグイと押して、脇道から追い立てた。
「お、おい! 話が途中だっただろう。……お前、きちんとわかったのか? 俺は可愛くなんてないんだって」
「そこは個人の主観だから、どうしようもないな。……でも、大声で可愛いと主張することは止めるよ」
今はそれで我慢するしかないのか?
「さあ、行こうぜユディ。早く買い出ししないと、ペーター先輩に叱られるぞ」
「誰のせいだ!」
「まあまあ、いいから。早く、早く!」
手を引っ張られて、ユディは走り出す。
まったく困った勇者だと、ため息をついた。




