ひとはなぜ、クリスマスに合体するのか?
今年もクリスマスがやってくる。
日本でクリスマスといえば、恋人たちの合体日を意味し、ほとんどの施設が満室になるわけだが、欧米ではそうはならない。キリスト教圏では、家族と過ごす祝日であり、日本のように恋人と過ごす日という設定は、どうやらないらしい。
調べてみたら、恋人と過ごす日というノリは、アジア圏でも、日本、韓国、台湾くらいなもので、東南アジアでは、もう少し厳格なクリスマスの扱い(=家族的)のようだ。
日本の「恋人たちの記念日」は、1970年代に商業的な戦略として始まったとされ、ロマンチックな冬のイベントとして、ホテルディナーや、イルミネーションなどが打ち出された。80年代には、ドラマや雑誌などのパワープッシュもあり、一気に定着する。
韓国では、90年代に日本のポップカルチャーの影響を受けた時代があり、10年遅れで恋人の日文化が始まる。台湾も同様だが、インターネットなどもない時代なので、大きなタイムラグがあるのも面白い。―― というか、このキリスト教徒からすれば、わけの分からない、このノリは「日本発祥」ということらしい。
80年代といえば、バブルの最盛期。
ホテル、百貨店、レストランなど、年末商戦を盛り上げるために仕掛けた戦略のようだが、現在ではどのように様変わりしているのだろうか。バレンタインにせよ、ラーメンにせよ、この国は海外の食や文化をとにかく「ローカライズ」するのが、大好きなようだ(そういえば、いつのまにかハロウィンも定着したな)。
筆者の学生時代からの謎に「イブに仕込んでもイエスと同じ誕生日にはならんやろ」問題というものがあった。妊娠期間は40週(=280日)前後とされ、逆算して仕込まなければ、イエスと同じ誕生日にはならない。しかし、日本の恋人たちはイブに合体する。これがいったいどういった意図なのか、よく分からなかったのだが、商業的戦略から生まれたものだとすれば、ディテールを問うだけ不毛である。
―― ひさしぶりの投稿かと思えば、この内容。というか、最近どうにも頭が回らない。どうやら文章の書き方も忘れてきているようにも思える。ああ、冬眠したい。
松任谷由実の『恋人がサンタクロース』(1980)や、山下達郎の『クリスマス・イブ』(1983)も当時の若者たちにはクリティカルだったのかもしれない。だとすると、松任谷由実の罪は重い(罪ってなんや)。
そういえば、オナニーの語源である「オナンの罪」の話も、ついでにする(思い出したので)――
旧約聖書『創世記』に出てくるエピソード。
オナンの兄は妻帯者であったが子供を残さずに死ぬ。この際、当時の慣習では、弟が兄嫁を抱き、兄の家系をつなぐ義務があった(=レビラート婚)。しかし、オナンは「自分の子にならないのなら、いらない」と、行為自体は楽しむくせに「射精の瞬間に地面に精液を落とす」という蛮行に及んだ。神はこれを悪とし、オナンは罰を受けて死ぬ。
―― 実際のオナンの罪は「膣外射精」である。だが読解力のない連中が、この「膣外射精の描写」を「自慰行為」と混同し、オナンの流儀(=オナニズモ)として伝播(=アホの伝言ゲーム)。これがオナニーの語源となった。
何が言いたいかといえば、イブに膣外してるやつらは、聖なる夜を祝うどころか、罪作りやでってことや。何の話やねん、これしかし。




