第二節 二話 「天才は少女と出会う」
扉を開くと少女が地面に倒れていた。
「……え?」
服はボロボロで、全身虫に刺されたのか体のいたるところが赤く腫れている。
腕や胴にもいくつも動物の爪痕、噛み跡が見られたので、おそらく森を抜けてきたのだと考えられた。
意識はなく、ヒューヒューと呼吸も苦しそうだ。
一先ず少女を移動させねば、なんとかそう思い、体を抱きかかえ運ぶ。
力には自信がまったくないと思っていたペペペモリアは、まさか自分が思っていた以上に筋力がないことに驚いた。
少女の体を持ち上げて、運ぶだけで酸欠になるほどに。
しかしどうしたらいいと、少女の体を改めて見て自分には到底手に負えないものだとわかる。
顔は痩せ細り、目がくぼみ、頬骨がほとんど見えている。
髪もところどころ抜け落ちて禿げている。
服から覗いた胸や胴も目を伏せたくなるほどあばらが出ていた。
確実にここ三日か四日、それとももっとか、ちゃんとしたものを食べていないことがわかった。
そして特にひどいのは左足。
動物の爪痕が脹脛のあたりにくっきりと付けられ、既に指の方は血が行っていないのか壊死しており、紫と肌色の中間色が膝から下あたりにまで及んでいる。
病気についての対処だったらわかるが、少女のそれは確実に物理的な外的要因が主だった。
どうしたらいい?
ただその質問の答えはすぐに記憶の中から見つかった。
急いで生活スペースに置いてある彼女の番号しか登録していない一台の携帯電話を操作する。
電話はコール1.5回目ほどでかかった。
「やっほー、元気にしてる~?」
間延びした声は二ヵ月ほど前に出会ったときと一切の変化がない。
「……」
「ん?
あれ、繋がってる?
もしも~し」
「あ、あの……」
なぜか言葉がうまく出てこない。
そこまで焦っているつもりはないのに、いざとなると何と言えばいいのかわからなくなる。
「どした?」
伝えるべきは今の状況。
知らない少女がいて。
傷を負っていて。
致命傷がいくつもあって。
体調が見るからによくなくて。
左足が壊死していて。
虫刺されもいくつもあって。
髪が抜け落ちていて。
だからどうにかしてほしくて。
助けてほしくて。
なんとかできないか頼みたくて。
なんとかできる方法を教えて欲しくて。
頭の中ではいくつも伝えるべきことはあるのにうまく言葉に変換できないでいた。
思ったことを口にすればいいはずなのに、それができない。
ペペペモリアの思考は焦りでどんどん加速して行く。
きっと目の前の少女と過去の自分を重ねてしまっていたから。
「……い」
それでも一番彼女にしてほしい言葉だけが、蛇口の口から水がポツンと垂れるように自然と洩れた。
「……いますぐ、来て欲しい」
一言。
絞り出して、頭の考えを総動員して、やっと出てきたのはそんな一粒の言葉だった。
だがそれで全てが伝わったように電話越しの彼女は駆け足に伝える。
「わかった。
すぐ行くから」
いきなり電話をして何も肝心な要件を伝えられなかったペペペモリアは、それだけでなんだか安心してしまった。
だがそれはまだ早いのもわかっている。
だから彼女が来るまでの時間、自分もできる限りのことをしようと消毒と包帯と、新品の栄養ゼリーと、必要になりそうなものを片っ端から用意し始めた。
概ね揃え終わって、20分ほど。
倉庫には新品の生活用品がこれでもかと入っていてその中からいくつか持ってきた。
少女の容態は依然変わらず呼吸が苦しそうだ。
腕や脚の裂傷も化膿してきている。
ひとまず傷口を新品の飲料水で洗浄しようと思い、一度自分の手と髪を消毒液に浸してから応急処置に入る。
飲料水の口を開け、見える傷口全てを優しく洗う。
どうにも噛み跡の他に拳大ほどの打撲痕や大きな痣ができているのは、野生の動物が原因ではない気がする。
水を綺麗な布で拭きとり、消毒液を掛けていく。
傷口に染みるのか時折苦悶の表情で喘いでいるが次々に傷跡の雑菌を殺していき、一先ずこれで弱い菌による感染症は防げたはずだ。
まだ彼女は来ない。
他にできることは……。
そう思い、氷と水を入れた袋を少女の腫れた部位に軽く押し当て熱を持っている部分を冷ましていく。
平行して先ほどから口に水を入れようとしているのだが、どうにも飲んでくれない。
脱水症状が見られるあたり、あってはいるはずなのに。
これ以上できることがなくなり八方塞がりを悟った瞬間。
遠雷のような音が頭上から聞こえてきた。
バリバリバリバリとまさしく、雷のような音は次第にこちらに近づいているようでだんだんとその音が大きくなってくる。
バリバリバリバリバリ。
バリバリバリバリバリバリバリバリバリ。
雲間から現れたその正体は、太陽をバックにして上空数百メートルを飛んでいた。
その翼からはバリバリと耳をつんざく音と、吹きすさぶ風を生み出し、徐々に降下してくる。
上空には一台のヘリコプターがいた。
カラーは空の雲と同系色の灰がかった白色の機体。
と、急に上空30mほどになったところでヘリの扉が滑らかに開き一人の女性が、こちらに向かって飛んできた。
いや、正確に言うと飛び降りた。
空耳だと思うがかすかに「トウッ!」と聞こえた気がする。
どうして女性だとわかったのかと問われれば、見覚えのある夕日色の髪が日の光に反射しきらきらと光るのが見えたからだ。
飛び降りた女性の速度はすさまじく速い。
首を上に傾けないと、その姿さえ捉えられないほど高所にいた影は、いつのまにかすぐそこまで来ている。
ただパラシュートを開けるでも、ムササビスーツのようなものを着ているわけでもなく、彼女は生身だった。
ドンッ!
地面が振動した。
振動は地面の土を巻き上げ、砂ぼこりが起こる。
衝撃音と共に現れた彼女は足から無事着地はしたように見えたが、本来ならば肉が爆ぜ、骨は粉砕され絶命間違いなしだった。
「いったぁぁああ!」
だが、まるで箪笥の角に小指をぶつけたようなリアクション。
着地時に粉塵をまき散らしながら現れたのは、夕日色の髪の彼女。
ペペペモリアの友人。
アメリア・アインス。
少しずつ視界が晴れていく中でこちらに向かって来る足音。
地面に小さなクレーターを作った彼女は、よろよろと近づいてくる。
「いらー、まじぇえで、おぞぐなた、ずまん」
何を言っているかさっぱりわからなかった。
彼女は全身にペンキでも被ったかのように赤く染まっていた。
着地した場所、そこにも同じ色の赤が広がっている。
一歩一歩と進み度に、ボトボトと血液が落ちる。
「こででも、げごう、いぞいできだんだげどね」
驚愕が全身を支配する。
頭では理解していてもやはり目の当りにすると意味がわからなかった。
頭部からダバダバと血が流れ出ているのも、不可解な言葉を吐きながら吐血しているのも。
「あぢゃー、ごおれは、やばびな。
……ん、んぐ、ぐ、ぐ、がはっ!」
一目で何が問題なのか理解したアメリアはすぐさま少女の元に駆け寄る。
だが、それよりも気になってしまうのはその姿。
そして……。
「んん?ぐっ!がー、ぺっ!
うんっ!
あー、あー。
よし、舌と喉治ったわ」
彼女の全身がみるみるうちに元通りになる。
時間が巻き戻るような治癒。
いや、再生。
「……おい、おーい!
モリア。
聞いてる?」
「……ごめん。
聞いてなかった」
少女の様態を見ていたアメリアは、先ほどまでの傷が嘘だったかのように平然としていた。
それよりもと、目の前の少女の様態とこの後の処置について語り始めている。
「かなりまずいね。
打撲。裂傷。感染症。脱水症状。栄養失調。左足の壊死。
ぱっと見で、最悪の状態だ。
ふう。
とりあえず、一番は左足。
やばいから、さっさとやろう」
アメリアの咄嗟の判断で少女の左足は膝から下を切断する手術を行うこととなった。
刻一刻と左足を中心に色が変化していっている。
このまま放っておいたらその進行は命に関わるものになるのは明らかだった。
アメリアも今の彼女の様態で行うべきかは考えたのだろう。
幸運なことに、ペペペモリア宅には医療器材は一通りそろっている。
医者もいない孤島なのだからとアメリアが過剰に用意した薬や点滴、他にも病院が開けそうなほどには。
手術は普段実験用で使う滅菌室で行うことになった。
ペペペモリアに対しては。
「どうせあれから風呂とか入ってないんだから、お前は外で待機してて」
と言い放ち、出禁にした。
*
そうして数時間が経過して、アメリアが滅菌室から出てきた。
少女の姿はない。
マスクと帽子、手袋を外すアメリアの額には汗が数滴ついていて、精神的にも大変だったことが伝わってくる。
「……どうだった?」
「んー、まあ、なんとかギリギリって感じかな。
後はあの子の体力次第」
「ありがとう」
「気にすんなっての。
それより当分あの子の部屋あそこね。
いつもの研究室いたら何かしら罹るから」
「うん」
「おいおい。
そんなしょげた顔しないでよ。
大丈夫。大丈夫。
左足もいい義足知ってるから、それポチるし。
モリアの金で」
「……ああ」
「いや突っ込めよ。
いいよ。私の金で買うよ。
てか、心配するなら私の方にもしてくれよ」
アメリアはそう言って、自分の顔を指さしてモリアの顔を覗く。
「うん。心配してた」
「……ふーん。案外、素直じゃん」
少女の意識が戻って体調が戻るまではアメリアも当分ここにいるという話になり、ペペペモリアも当分は研究をストップすることにした。
ちょうど人制奇の調整途中ではないのでタイミング的にもいい。
安堵の吐息がペペペモリアから漏れる。
(よかった)
(……よかった?)
今更になってなんで自分はこんなにもあの少女を心配しているのだろう。
ペペペモリアは、そんなおかしなことに気付いた。
これが天才と少女の最初の出会い。
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