第二節 三話 「自分を捨てた少女」
「それであの子って結局、誰なの?」
研究スペースから離れた生活スペースにて、二人は赤茶けた丸テーブルを挟んでいた。
机にはコーヒーの入ったマグカップが湯気を燻らせている。
「わからない」
「まじ?」
《うん!》
「ノックされて、扉開けたらいましたってことはわかったけど。
本当に見覚えないの?」
《うん!》
栄養失調と頭髪が抜けていて本来の顔がどうかわからなかったが、おそらく見たことはないはずだ。
仮に見たことがあったとしても、やはり記憶の中にあんなにも幼い少女に出会った覚えはなかった。
「んー。じゃあ、先に気付いたこと話すんだけど。
あの子の体さ、確実に人から暴力受けてた傷あって。
全身くまなく見て一番新しそうなものでも一から二週間ぐらい。
そんで切った脚なんだけどさ、もう骨とかスッカスカだったんだよね」
《うん!》
「それで、この島に来るルートって絶対海路じゃん」
《うん!》
「てことはさ、あの子が仮に外部から来たとしたら確実に海を渡ってきたとしか考えられないよね?」
「……」
ペペペモリアも考えられる可能性はいくつかはあった。
一つ目、もともと島に住んでいた。
だが、ここに住み始めてそろそろ九年が経つが一度も他の人間にあったことはない。
二つ目、人制奇を回収する国からの使者、もしくは二カ月前の自分たちとともに島にやってきた。
だが、これだと海路を行くときにボートや船を利用したときに確実にわかるはずだ。
三つ目、自分で海を渡ってきた。
島の性質上、海を経由しない限りここへは来れないのは自明の理。
ペペペモリアみたいに、大枚はたいて軍事用のレーダー付きの超高性能ボートを購入していれば話は変わるかもしれないが。
だからこそ少女が仮に外部から来たとしたら海をどうにかして渡ってきたのだろう。
「で。それを念頭に置いて考えると。
潮の動きとか、この島から一番近い陸とか考えてさ……」
《……うん!》
この島は絶海の孤島である。
周りを見渡しても、陸地は見えない。
双眼鏡があればうっすらとゴマ粒程度のものがあることはあるが。
そう、ないわけではないのだ。
到底近いとは言えない距離にそこはある。
幸運にも潮の流れで漂流してしまったなんてことが本当に起こってしまったのなら。
思い至ってしまえば答えはすぐにわかった。
おそらく、少女はそこから来たのだと。
少女の故郷はそこなのだと。
だがそれは……。
「まあ、仮定の話だけどね。
でも体の傷とか過度な栄養失調とか、それで辻褄が合うから。
かなりの可能性で当たってると思う」
「……」
そこは人の到底住むことを考えられた場所ではない。
この島もある意味ではそうなのだが言葉を同じくしても内容は異なる意味で、そこは人が生物が暮らすには難しい環境であった。
「あの子は、ゴミの町から来たんじゃないかな」
埋め立て地の上にできたゴミの町。
隣国の端に追いやられた捨てられた町。
機械と生ごみと人が捨てられた町。
人はそこをゲルトバーグと呼ぶ。
*
少女が目を覚ましたのは、それから一週間ほど経った頃だった。
体を拭くためアメリアが滅菌室に訪れた朝の六時。
いつものように部屋に入ると少女が上体を起こし、胡乱げな眼差しで宙を眺めていた。
「……だあれ?」
記憶の混濁が激しいのか、それとも何が起こっているのかわからないのか、その目からは生気を感じられない。
体調についてきこうとしたのだが、先に質問されてしまっては答えるしかなくなる。
「私はアメリア・アインス。
気軽にアメリアお姉さんって呼んで」
「……アメリア、おねえさん?」
「うん。そうそう。
アメリアお姉さん」
ニコっと笑顔を作るアメリアとは正反対に少女はなおも無表情だった。
「……よし。
うーんと、じゃあ、まずは君の名前を教えてほしいんだけど」
「なまえ、ない」
「……そっか。
……じゃあ、あとでなんか考えよっか」
会話をしてもやはりぼんやりと宙を眺めていて視点が定まらないでいた。
こちらの質問にも返事と表情が若干あっていないのが正常ではないことがうかがえる。
「あの、アメリアおねえさんは、神様ですか?」
「……え?
お姉さんは神様じゃないよ。
普通の人間。
君と何ら変わらないただの人間だよ」
そこで何かに気付いたのか、少女は周りをきょろきょろ見渡し、自分の手を数度握っては現状を理解しようとする。
枯れ枝みたいな手足はいまだに変わらないが、血色は発見されたときよりはだいぶ良くなっていた。
元の薄ピンク色に戻った肌はまだ生き続けようとしているのだろう。
質問の意図はわからないが何となく少女が言いたいことはわかった。
「私は、まだ、生きてますか?」
「……うん。
ちゃんと、生きてるよ」
きっとそれで合点がいったのだろう。
眼に感情の灯が宿り潤み始める。
ガラス細工にでも触るかのように優しく少女の手を握る。
すると少女は堪えきれなくなったのかボロボロと泣き始めてしまった。
急なこと過ぎて自分でもどうしてこんなに泣いているのかわからないのだろう。
それでも少女はひたすら泣いた。
大きな声で泣くほど体力もないからすすり泣いているように聞こえたけど。
塩の水はダクダクと少女の世界を潤していった。
*
現実は小説よりも奇なり。
なんて言うけど、突然現れた少女は別に何かの使者というわけでも、人体実験の際に生まれ出たホムンクルス的なそういうのでもなく、予想通りの出自だった。
ゴミの町。
ゲルトバーグ。
隣国サダマントルの西端に位置する地図上ではゴミ処理埋め立て地となっているその場所は、実態は流れ人が暮らすなんでも捨てていい場所。
日々、ゴミをあさり食べものを探し、希少な金属素材などを発見しては少なすぎる日銭を稼ぐ。
そんな生活を営む住民の多くは劣悪な環境下で過ごすうち、心まで汚染され絶えず人同士の争いと人の生き死に疎くなる。
一つの街ともいえるほど膨れ上がったゴミの町は一部が海に面しており、住民にとって最期の楽園への片道切符として役割を担っている。
海を越えた先には理想郷がある。
出自不明の噂話はそこに生きる人々の心の拠り所としての機能を果たし、そんな空想とも妄想ともとれる御伽噺を本気で信じて死に向かう人間が後を絶たない。
生きるのが辛い住民が海へ身を投じ最後の理想郷を追い求め、ゴミの山から作り上げたつぎはぎの船で出立するのだ。
向かう先に理想郷なんてものはないのに。
目を覚ました少女の話すところ、少女もゲルトバーグから自作の筏で理想郷を目指して出発し、途中で大波に飲まれ気が付いたらこの島に漂流していたそうだ。
どうしてこの島に着いたのかと聞かれれば、それは運が良かったとしか言いようがないほど幸運だったのであろう。
身長的にも体重的にもコンパクトな彼女だったからこそ、荒波にやすやすと揉まれ、この島まで辿りつくことができたと言えばそうだ。
そこからペペペモリアの家までどうやって来たのかは覚えていなかったが、想像するだけでも悲惨な目にあったのは言うまでもない。
少女の様態は現在問題はない。
感染症や薬の副作用などの問題も現在のところ異常はなく、後遺症もなさそうだ。
ただ記憶の混濁が激しいのか、それとも元来のものなのか、あまり容量を得ない発言が多く情報を引き出すのに苦戦したところはあった。
「どうしようかなー」
《考え中だお》
「ぶふっ。
それ、やめてよ」
少女との会話を済ませたアメリアは一度、畳張りの生活スペースに戻りペペペモリアと今後の行動について考えていた。
「まあ、順当っていうか、普通に考えれば施設に送るが一番いいよね」
《うん!》
「でもさ、あの子。
お隣さんの国の子でしょ」
《うん!》
「しかもゲルトバーグの子で名前もないってことは、おそらく戸籍とかもないでしょ」
《うん!》
「あ~。
施設送りにしたら、なんかめんどくさいことになりそう」
《あー》《うん!》
「なんか、いい案ない?」
《考え中だお》
「そこそこ真面目な話してんだけどなー」
《考え中だお》
「いっそのこと、このままここに住ませちゃう?
なんてね」
苦笑を交えて冗談半分で言ったつもりだったアメリアは真剣に今後の予定を考える。
この一件にペペペモリアが関与している次点でいろいろと面倒くさいことになってはいるのだが、それでも関わってしまった以上見過ごせはしない。
そんな決意を胸に抱いているとペペペモリアは何か合点がいったように、左ポケットの機械を操作した。
《うん!》
「……ん?どうした?」
《うん!》
「え?壊れた?」
「……。
あの子、ここに住まわせよう」
え?
「え?マジ?」
《うん!》
「ほんとに?」
《うん!》
「ファイナルアンサー?」
《うん!》
突如ペペペモリアはこの島に住ませると言いだし困惑と驚愕に身がすくむ。
アメリアもいまさら冗談半分でした、なんて言えないほどにはペペペモリアの虚ろなパープルアイは真剣さが見て取れた。
「か、仮にここに住ませるとして。
仮にね。
仮にだよ。
例え話。
まあ、たしかにそうすれば変に他国からの干渉はないと思うし、あの子だってかなり安全だとは思うけど……。
根本的な問題、モリア子供育てられるの?」
ぶっちゃけた話、この人制奇研究しか知らない不摂生、不衛生、不干渉の三拍子そろった人間に子供が育てられるとは思えないでいた。
見た目は8歳か9歳かそこら辺の少女をこのヌボーっとした男に任せて良いものかと。
この物理的にきったない男に任せていいものかと。
《……あー》
「だよねぇ。
知ってたけど。
でもまあ、とりあえずまだ義足も用意できてないし当分は私もいるから、それはまた後でいいんだけどさ」
《うん!》
一先ず問題を先伸ばした感は否めないが、おいおい決めて行こうと話を変える。
少女の左足につける予定の義足は既に注文した。
だがアメリアの研究室に届くまであと数日かかるので、現状特にできることはないと言う話だ。
少女の看病と食料の調達、隣国への謝罪はここ数日で即効に終わらせたから、他にめんどうなことは起こらないとは思う。
それでも、やはりもろもろの申請とかはまだ未解決なわけで。
「またお隣さんの国、行かないといけないかもなぁ」
メンタルポイントが急減少するアメリアは、会話を打ち切り今日も少女の看病をしに行くのであった。
***