その88・初めてのレストラン
元国民的アイドルの男は、タッチパネルを見ている。
俺は人生で一度も、レストランに来たことがない。
それもここはチェーン店がいくつもあるこの国で屈指のファミリーレストランだ。
アイドルで歌って踊っている時は、普段の食事は高級フレンチやイタリアンなど、地位に浮かれまくっていての店ばかりだった。
だが、俺は現在でも独身。
だからこそ一人で来る行動力も勇気も、全くなかった。
だが、このタッチパネルはなんだ。
美味しそうなメニューの写真が載っているが、これはタッチをすればいいのだろうか。
いつもはウェイターを呼び、メニュー表を見ながら注文をしていたため、タッチパネルを、レストランで見るのは初めてだ。
これは一体どうしたらいいのだろうか。
それに俺が座った位置も問題だ。
やはりアイドルをしていた以上、知名度は他の芸能人よりある方だと思っている。
だからこそ一番角で窓側の席を選んだのだが、まさかの厨房まで遠い。
普段なら厨房の近くの席に座るようにしていたため、つい自分の首を絞めるようなことをしてしまった。
だが、どうやって店員を呼ぶのだろうか。
先程、席に案内された店員からベルがなんとかと言われたのだが、初めて来たレストランという土地に、動揺してしまい、そのベルの正体を聞き忘れてしまった。
これはまずいと思いながらも、俺は物凄く大きな声で
「すいません!」
そう言うと、周りにいたお客さんが一気にこちらを見た。
運よくマスクをしているため、ただこちらを見るだけで何かこそこそと話しているお客もいた。
若い女性のウェイターが慌てながらも近づいて来て
「どうかされました?」
俺は恥ずかしさのあまり、戸惑いながらも
「・・・あの、注文はどうやったらいいのでしょうか」
「え?」
「いや、あの初めてレストランという・・・所に、来たもので」
「はい?」
「いや、あの・・・」
何とも物分かりが鈍いウェイターだな。
仕方がない。
ここは正体を明かして、事情を話すしかないと思い、マスクを取ってから
「見たことあります?」
するとウェイターが大声を上げてから、俺の名前を呼んだ。
その声に反応した他のお客さんが、一気に俺の席に集まってきた。
中には前のアイドルグループファンもいたため、握手やサインを求められたりした。
何故大声を上げるのだろうか。
俺はため息をしながらも、一気に騒然としている席のところから
「頼むから、美味い物食わせて~」
この日は、ある意味一生忘れられないだろう。
~終~




