第11話『月と月』
「ねぇねぇキリノちゃん! 今日は学校にジェナちゃんのお母さんが来るんだって!」
真夜中にテュエラ手製のお菓子を食べた翌日。眠れないまま朝が来て、キリノはいつもより瞼が重いと感じながら教室へ行き、席に座った途端にカリンに話しかけられた。
「そうか」
寝不足気味ゆえにほとんどリアクションを返せず、とりあえず返事だけしてから言葉を咀嚼する。
ジェナの母親、ということは娘と同じ巫女の血を引く者。そして、現在この国のトップである最高議会のメンバーである。あのティカ学長と同じ、と考えると少しだけそこまで遠い世界の人間ではないような気がするが、そんなことはない。ティカ学長も含めて、普通に偉い人である。
普通に考えれば、学長と何かしらの話をするついでにジェナの様子を見に来たと思った方がいいだろう。
そのために昨日、ジェナは真夜中の自主練習を行っていたのだろうか。ふと彼女の方に視線をやると、特別に緊張している様子でもなく、いつも通り静かに座っているだけだった。
「あ、ジェナちゃんのこと見てる。お母さんとどのくらい似てるか予想してる? そうそう、ジェナちゃんってお母さんとすっごいそっくりなんだよ。ね、テュエラちゃん!」
カリンは相変わらず明るい声で、オーバーな身振り手振りを交えながら話してくる。机に突っ伏して寝ていたテュエラはいきなり話を振られ、少々うめきながら顔を上げてとりあえず頷いたが、彼女も眠くて頭が動いていないらしい。
「テュエラも寝不足か?」
「う〜ん……昨日のお菓子、目が覚める成分が入ってるんですけど……濃すぎたかも」
「大丈夫? 寝てた方がいいかな、ってこれから授業だもんね、どうしよう」
案の定、キリノと同じように彼女も眠れなかったようだ。ゆらゆら揺れるテュエラに、カリンも話し相手が普段の調子でないことを心配し、いつもより小さめの声でテュエラの背中をさすっていた。寝不足相手になんの意味があるのか。
思考が曇ったようにうまく回らない状態で、純正のネビュリムならばこんなことには決してならないのにと今の肉体の不便さを感じつつ、授業の開始まではカリンやテュエラと話して時間を潰す。
主にカリンによって周囲にいきなり話を振り、クラウディアが慌てたりネージュに簡潔に答えられたりしたが、特に何事もなく時間は過ぎていった。
「なぁ、ジェナ」
その間にキリノは少し前の席まで行き、澄ました顔で黙って待っていたジェナに話しかけていた。昨日の夜のことだが、と切り出そうとして、先に話し始められる。
「言っておきますが。お母様と学長の対談があるから、昨夜のようにしていたのではありません。あれは日課です。ご心配は無用ですよ。それに」
くすりと笑ってみせる。
「私はテュエラさんのお菓子を食べていませんから、睡眠も足りています」
ジェナの様子も普段通り。無問題である。キリノもそう確信し、それより自分の方が問題があることを思い出し、対処を考えることにした。いつ、どこのタイミングで寝られるだろう。
「……まぁ、母の件は、いい報せだと私は思えませんが」
その言葉からすると、何やらジェナの親子関係はあまりよろしくないらしかった。
やがて時間も経ち、そろそろ担任、つまりシエルカが現れるだろうと思われる時間になる。しかし、教室のドアが開いて現れたのは、一般クラスで他の授業、特に歴史を担当している別の教師だった。おはようございますの挨拶の後、本日の変更点が告げられる。
「今日、シエルカ先生は会談出席のため、前半の授業は一般クラスと合同の授業となります」
ジェナの母の来訪の件だろう。
学長代理のシエルカはこういう重要なお客様の時に仕事が発生する。ティカの付き添いか、それとも彼女がサボったぶんの代理か。
「寝れる……」
隣のキリノにしか聞こえないくらいの小さな声で、テュエラは呟いた。思い返せば、この先生の授業ではテュエラはほとんど眠っているかも。キリノも最悪ここで仮眠をとることも考え、結局この後の授業では初の寝落ちをしてしまったのだった。
◇
魔法学校が存在する巫国には、かつての3柱の貴き神々がそれぞれの国を創り、神々に仕えた巫女とその末裔たちが発展させていったという神話が残っている。神話時代から、この地方は3つの国──太陽、月、嵐それぞれを巫女の力を受け継いだ王族が治めており、それが数十年前まで続いていた。
現在は3つの国は巫国として統一されている。政治を決めるのは5名による元老院であり、そのメンバーは旧王族の当主3名、カーム魔法学校の学長、そして中央教会のトップである女教皇だ。
そして今、魔法学校の応接室には、そのうち2名の議員が向かい合っている。学長ティカと、旧月の国の代表であるジェナの母である。シエルカはその付き添いで、ティカの傍らに控えている。
2人の前には高価なお茶が淹れて出され、ジェナの母はゆっくりと口をつけ、一口飲み込んだ。
「例の計画は順調ですか?」
ものすごく悪の親玉っぽい台詞に、ものすごく悪の親玉っぽいぞと突っ込みたかったが、ティカが答えるまでシエルカはぐっと堪えた。結局ティカは無言で少し考えた後、助けを求めるように振り向いて、シエルカが喋ることになる。
例の計画とは月の国と魔法学校による共同研究であり、本人の資質に頼らずとも災害獣に対処出来る兵器の作成が主目的だ。現在の技術では使用者自身の魔力を介せずに出力を上げることは難しく、魔法の道具も一般人ではなく魔法使いのものとなっている。それを変えるための研究だ。
「派遣して頂いた学者様方との協力でかなり進んでいるようですが……完成にはまだ遠いと、研究主任から聞いています」
「進んでいるのはよいことです。楽しみに待っていましょう」
魔法の研究において、月の国の人々は魔法学校と並ぶほどに優秀だ。それだけトップが魔法研究を重視し、支援しているということである。魔法学校側からすればありがたい相手となる。
その後も、魔法道具の研究状況の報告や、シエルカが事前に受け取った基盤の試作品を見せるなどして話を進め、ティカが一言も発することなく会談の最初のテーマが終了する。
「娘の様子はどうですか?」
次の話題はジェナのことだった。こちらも担当教師であるシエルカの方がティカより詳しく、所感として彼女は優秀な魔法使いになれると述べた。無論、話した内容は全てシエルカの本心だ。それを聞いた後で、ジェナの母の口からこんな言葉が飛び出す。
「模擬戦で太陽の巫女に敗北を喫したと聞きましたが」
月の国にとって、太陽の国は何よりも負けたくない相手だ。歴史の中でも何度も争いが勃発し、何度か敗北を経験している。現在でも月の国では強く敵視している人間が多いと聞く。
そういえば、模擬戦の直後の学報は、いきなりのスケジュール変更を吹っかけられたために時間が取れず、確かティカがやると言い出したのを受け入れたんだった。
学長が気を使える人間じゃないことを失念していた。自分の失敗を悔い、なんとかフォローしようと話を続ける。
「実戦経験や魔法の相性もありますし、それで劣っているという判断は──」
「あの子には、私よりも祖国を良くしてもらわなければなりません。ただ優秀なだけでは、その責務は果たせない。ましてや、太陽の巫女に負けるようでは」
あれは実際、カリンの戦闘スタイルが一般的な魔法使いとかけ離れていたのが不運だった。どうやってこの状況を持ち直すか、考えて最初に出てきたアイデアを採用する。
「え、えーっと……そうだ、折角なので、授業の様子見ていきませんか?」
本人の頑張っている姿を見てもらえばいい。その発想のもとの提案に相手もそうしましょうと頷いてくれる。話がついたら、今頃の時間は体育の授業だったはずだと記憶を辿って確かめ、相手の侍従も含めたメンバーで応接室を後にした。
◇
キリノたち特待クラスが、シエルカの書き残した練習メニューをこなしている最中、広く作られた実習教室の扉が突然開いて、シエルカが顔を出した。
彼女だけでなく、ティカや知らない正装の人々も一緒であり、その中心には上品な出で立ちの女性の姿があった。その顔は丁度キリノが脚を押さえて上体起こしの補助をしている少女とよく似ており、朝カリンと話していたことを思い出す。
「ほら、すごく似てるよね」
カリンの言う通りだ。ジェナの方に目を向けて見比べると、顔立ちは瓜二つ。ジェナの方が髪が長く、明らかに胸が大きいことを除けば、なるほどよく似た親子だ。
当のジェナは母の姿を見つけてもなにも言わず、そのまま上体起こしを決められた回数ぶん続け、終わって初めて突然の来訪に対しての反応を見せた。キリノだけに聞こえるような舌打ちだった。
その後、カリンが補助していたクラウディアの完遂を以て一旦全員の上体起こしが終わり、シエルカに手招きされて彼女のところに集合する。そして彼女がジェナの母であり、現議員という紹介を受け、皆が挨拶に頭を下げ、それから来訪者の方から話しかけられる。
「貴方が当代の太陽の巫女ですか」
「そうです!」
カリンは笑顔を向け、その時少しだけ、嫌そうに眉が動いたように見えた。
「……ジェナを負かした時はどう感じましたか?」
「へ?」
「授業初日の話です。勝者だったのでしょう」
いきなり何日も前の話をされ、きょとんとしたカリンだが、すぐに彼女らしい本音で返す。
「嬉しかったですよ。ジェナちゃんも強かったので!」
どんな返答でも何か言ってやろうと吹っかけられたとしか思えない質問にも、眩しい笑顔を見せるカリン。ジェナの母もその笑顔を向けられるのが嫌だったのか、それ以上はカリンと話すのはやめ、娘本人に向けて声をかける。
「ジェナ。貴方があまりに向いていないと判断した場合……それ以上月の一族の恥を晒すことのないよう、退学していただきますから。それだけは覚えておくように」
やはり、わざわざプレッシャーをかけるように話してくる。ジェナがカリンに負けたと聞かされたことがどれだけ嫌だっただろう。キリノには測りかねる。
「……はい。それがお母様の意向ならば、私は逆らえないでしょう」
カリンが驚いて振り返るが、ジェナの言葉はそれでは止まらなかった。
「ですがご心配なく。すぐに彼女を超えてみせますので」
微笑むジェナ。母は納得している様子ではなかったが、そこで引き下がり、ジェナのトレーニングに戻りましょうか、という言葉で全員が授業に戻る。
その途中で、キリノは思わずジェナに話しかけていた。
「今ので良かったのか?」
「はい。お母様と現太陽の巫女……カリンのお母様の間には、色々あったようでして。太陽の巫女が絡むと、いつもあのような調子ですから」
そういうこともあるらしい。親子とは面倒な関係だ。
「それに。私、カリンさん対策、たくさんしてるんですよ」
くすりと笑うジェナ。キリノはそれに合わせて笑ってみせるが、心の中では彼女の講じたカリン対策とやらが、模擬戦や試合の類でだけ披露されることを祈っていた。




