第10話『日常・月の夜』
全員──特にジェナやネージュは疲労とダメージで歩くのもやっとになるほどだった模擬戦の後。元々シエルカは全員にスイーツを奢る予定であったらしく、キリノにもケーキが提供された。もらったチーズケーキは普通に美味しく、初めて食べたが癖になりそうだった。
一方、勝者への褒美はシエルカのみが知る裏メニュー『究極甘味重レインボー・スペシャル』なるものだった。名の通り、七色ぶんの毒々しい果物やクリーム、生地がふんだんに使われたケーキであり、ボリュームもかなりのものだった。
その悪趣味な……ではなく独特な七色の見た目を前に、テュエラもネージュも絶句。カリンでさえも半分を超えたあたりから笑顔を引き攣らせ、頑張って食べている、という風だった。
後で聞いたところ『七色でそれぞれ違う味のはずなのに、甘すぎて途中から全部同じ味としか感じられなかった』とのこと。
実は勝者にならなくてよかったのかもしれない。ジェナはさぞ複雑な感情を抱きながら、自分のぶんのミルフィーユを食べていたことだろう。
残るクラウディアはというと、途中でレインボーに挑む皆の味覚を助けるため、日本で言うお寿司のガリを注文。3人の舌を別方向から攻撃していたが、わりとそれで助かったらしく、なんとか完食できた時には共に拍手で喜んでいた。あの時の謎の感動は、昨日のカレーが出来上がった時に近かった。
それから初日の授業を無事終えたキリノたちは、翌日以降、シエルカが模擬戦の記録を元に決定した授業を受けていくこととなる。
まずは『応用魔法』。汎用性の高い、あるいは生活に役立つ魔法を習得していくことで、戦闘に役立てるというより、単独でも生存率を上げることが目的だ。
元々人外である身からすると、人間が日常的に魔法を使い続けたらどういう進化をするのかを垣間見られて、なかなか面白かった。例えば、料理に関する魔法はやけに種類が多いこと。こちらの世界でも、人類の食へのこだわりを感じる。
その他、魔法と災害獣の仕組みを深く理解するための物理及び地学に、災害獣対処の歴史など、普通クラスの生徒と一緒に受ける授業もいくつかあった。このあたりの座学はカリンやテュエラ曰く『いつの間にか眠っている』らしく、魔霧で作った小さめの手でデコピンして定期的に叩き起こすのが定番になっていった。
一番キリノにとってきつかったのは体育だ。基礎体力を上げるために取り入れられた授業である。筋力トレーニングでは常に唸り声をあげ、ランニングではいつも真っ先に息があがり、毎度のようにぶっ倒れかけていた。
キリノの体は元々病弱だった。とはいえそこから体力をつけるためには避けて通れない道であり、毎度倒れかけつつも、なんとか皆と同じメニューをこなそうとしていた。
初めは疲れきった状態で寮に戻り、時にはクラウディアの膝を借りて、泥のように眠る毎日だった。だがそれが何日も続けば体が慣れ始め、次第に少なくとも疲れてなにもできないことはなくなっていった。読書はしても頭になにも入らなかったが、就寝前にクラウディアと談笑できるだけでも心が休まる。
同室だけあり、クラウディアのお姉ちゃん力にはいつも助けられている。いつかお返しをしなければ。
──そんな風に魔法学校生活を過ごしていた、ある日のことだ。その日、キリノは真夜中に目が覚めた。隣のベッドでは、布団に深く潜り、穏やかな寝息を立ててクラウディアがすぅすぅと眠っている。外を見ると夜闇が辺りを満たしていて、上空では満月が輝いていた。
「……腹が減ったな」
どうやら、体がカロリーを求めているらしい。さすがに真夜中だと食堂に行っても料理は出てこないだろうが、なにかしら夜食は手に入らないだろうか。
寝間着から外に出られるような私服に着替えたら、クラウディアを起こさないようにそっと扉をくぐり、部屋を後にする。暗い夜道だが、今日の月明かりならある程度見通せる。校舎の方向には魔力灯の目印もあり、それを頼りにすればたどり着けそうだ。
「この世界で最初の侵略活動が盗み食いとはな……っと」
食堂の建物の近くまで来ると、食堂の外に設置された席に座っている何者かの姿が目に付いた。監視に目を光らせている、というふうではなく、その視線は夜空を向いていた。テーブルの上に美味しそうなお菓子が置いてあるところからしても、お月見だろうか。
そのお月見中の人物は、ふと気を抜いたキリノがたてた足音に気がつくと、キリノのことを発見して手を振った。よく見ると、このふわふわの髪と顔は知り合いだった。
「おやおや、キリノちゃんも夜更かしですか? それとも、目が覚めちゃったとか?」
「テュエラか。私は後者だ」
人影の正体はテュエラだった。彼女に誘われるまま隣に座り、食べます? と聞かれてお菓子を口に運んだ。甘さもあるが、それ以上に苦味の強い大人の味だった。この世界における、ビターチョコレートというやつか。
「自分は夜更かしです。こんな月が丸い日には、王宮にいた頃を思い出しちゃって」
皆が学校に来る前のことは、まだちゃんと聞いたことはなかった。同室のクラウディアと、同時にこちらの世界に送られてきたカリンはある程度把握しているものの、嵐の巫女のことなど全く知らない。
「月に思い出があるのか」
「昔、月の綺麗な夜には、いっつも王宮からこっそり抜け出していたんです。その時にだけ、誰にも内緒でこっそり集めたお菓子を食べることにしてたんですよ。
あ、これって今もやってること同じですね。夜中に抜け出して、お菓子食べて、1人月を見てる」
懐かしむようで、変わっていない自分を嫌がるように、テュエラは吐き捨てた。それを聞いたキリノにも言いたいことができて、薦められたお菓子をつまみながら声を出した。
「少し違うな」
テュエラが首を傾げる。
「1人、というところだ。今は隣に私がいるだろう」
自分で言っておいて、恥ずかしい言葉だと気が付き、言葉尻は少しだけ弱くなった。テュエラが目を丸くして、一瞬息を呑んで、またいつもの笑顔に戻って答えてくれる。
「……そんな口説き文句みたいな台詞、よく出てきますね。もしかして、自分に興味あります?」
「興味はあるぞ。あぁ、恋愛的な意味じゃないが。テュエラ・テンペスタの人生とか、そういう方向に」
不安定なテュエラが、どうしてそうなったのか、知りたいのは本当だ。だがそういう文脈ではないとちゃんとわかっていることを告げておく。鈍感なのはカリンだけで十分なのだ。
「あはは。それじゃ、そのうち教えてあげますね。それまでは、秘密の多い女の子でいさせてください」
今までの様子からして、テュエラの過去にはきっと辛いことがあったんだろう。彼女自身が話してもいいと思ってくれるまでは、秘密のままということにしておこう。
「あ。お菓子、なくなっちゃいましたね」
「……だな。そういえば、これって」
「おかわりはありませんよ。自分がお昼の間に、ちょっと材料分けてもらって作ってたヤツですから」
カレー作りの時の一件で、てっきり料理の類は避けているものかと思ったのだが、刃物を使わないぶんには上手にできるのか。意外な事実に驚かされつつ、テュエラと一緒に席を立った。そろそろ寮に帰って眠らなければ、明日に響くだろう。
「おや。キリノちゃん、あれ」
テュエラが突然指したその先には、魔力灯の明かりがぼんやりと見える。あの場所は、確か今日体育の授業に使った裏庭だったか。
裏庭なんて、あるものは花の咲く木々くらいのもの。普段夜間に人が近寄る場所では無いため、食堂自体と同様に魔力灯は点いていない。あの場所が明るいということは、誰かがあそこにいるということだ。
「夜更かしですかね?」
「あんな場所でか」
「何してるんでしょ。気になりませんか」
気になると言えば気になる。そして、1度気になり出すと、確認せずにはいられない。ただでさえ夜中に起きたのにもっと眠れなくなる。
そのまま確認しに行こうという話になって、テュエラとキリノは明かりのある方に向かって歩き出した。
近くまでくると、なにやら風を切る音や息遣いが聴こえるようになってくる。夜更かし中の本人は激しく動いているらしい。
「あれは……」
言いかけて止めたテュエラに続き、キリノもその正体を確認する。裏庭を使っていたのはジェナだ。長い黒髪はそのままに、衣服は制服でも寝間着でもなく、儀礼用であろう装飾も布地も少ない薄布だった。
夜の裏庭、月明かりと静かな木々の中、風を切って舞うその姿は、なるほど彼女こそが月の巫女に違いない。長い髪を振り乱しているように見えて、その動きは決してジェナの視界を侵さぬように徹底されている。
あの舞うような動きこそが、彼女が戦闘の際に見せるやり方だ。元よりただならぬ努力の結晶のようには思っていたが、やはり夜遅くまで研鑽に勤しんでいたようだ。
ジェナはそのまま舞を続け、最後まで演じきってようやく息をついた。そして、近くで見入ってしまっていたキリノたちの方を振り返ると、涼しい顔で歩み寄ってくる。
「こんな時間にどうかなされましたか」
「目が覚めてしまってな。明かりの点いている場所につられて来たら、ジェナが鍛錬の最中だった」
テュエラもうんうんと頷いた。
「綺麗な動きでつい見とれちゃいましたよ。いいもの見せてもらいました」
「……私としては、見せたくはなかったのですけど。綺麗なだけのものに意味はありませんから」
あくまでも、あの鍛錬は魅せるためのものではない。魔力を集め大きな一撃へと繋げるという戦闘スタイルを、より洗練しようとするものだ。ただ、ジェナはその努力を知られたくなかったのだろう。
「私たちは寮に戻るが……ジェナはどうする?」
「私も戻りますよ。元より、そろそろ切り上げようと思っていたところでしたから」
この日はそのまま、ジェナとテュエラと共に寮に戻り、2号室の2人とはそこで別れて、自室ではパジャマを着直してベッドに入った。
なのだが、キリノは目を閉じてなんとか眠ろうとしても眠れず、結局読書を始めてしまい、いつの間にか朝になっていたのだった。




