癒し3つ目「ガバナンス」
水たこ焼き。
――異世界シラメンス
「……エコ」
「はァ、はァ。ぐっ、その声は、……コノミちゃん、なのかよ?」
エコは血反吐をぶちまけながらも、まともに会話をすることに支障はないと言わんばかりだ。
「アタシ、……ははっ。情けないな。こんな、んっ、みじめったらしいザマでさ」
「無理しないで。今すぐに、しゃべらなくても別に大丈夫だからね?」
ベリーはこのような状況で本名呼びされることに、いささか羞恥しながらもエコを気遣うように丁寧に、エコの衣類にまとわりついたモンスターの皮や体毛を取り払った。
「ねえ、アワトンボさん。カイフク魔法とやらで、エコちゃんを助けることは出来ないのかな?」
「回復なんだから、出来るさ。だが」
「えっ」
「呪いだ。随分と強く邪悪な呪いを、どこぞの馬の骨が張りやがった。コイツはもう、……。」
クードに促され、ベリーはエコの首筋に目をやった。するとそこには残酷なほどに、薄気味悪い、蜘蛛を模したタトゥー状のアザが刻まれていた。
呪印というヤツらしい。哀れベリーの親友は、何者かが施した呪いの魔法によって相当に疲弊していた。それはモンスターから受けた傷とは全く別の、治癒困難な生命力の大幅な弱化であるようだ。
「行くぞ」
「どっ、どこへ行くっていうの? エコを放って、どこかに行ってしまうわけにはいかないの。あなたには、それが分からないってこと?」
「人は死に様を大切な仲間に見せたくない。増して、不本意な死に様なら尚更だ。……行くぞ。もちろん、ここから出ていくって意味だ」
ベリーとの会話を粗方終えたとばかりにクードは冷徹にきびすを返し、その場を去るために歩き始めていた。
エコを見捨てる。――厳しい判断だが、クードには少しの迷いもないようだ。
「ねえ、待って、待ってよ。それなりには、あなたのために何でもするから。雑用でも、少しくらいならお尻くらいは触ってもいい。だからお願い。このコを、……エコを助けてよ!」
「なんでもする、か。それを俺が大嫌いな言葉だって知った上でなら、大した度胸……だな?」
わずかばかりの日差ししかなく、ほのかに薄暗い遺跡の中でクードは振り返り、感情のない瞳をベリーに向けた。
ところでベリーこと赤絵コノミは、現実世界からシラメンスに来たばかりの普通の人間だ。科学技術で脳波データをバーコードのように読み取られ、精密にプログラムされたコンピューター・グラフィックの世界にアバターとして人格データをインストールされ、ログインしているに過ぎない。
「怖いから、やめてよ。あなたは、シラメンスのヒト?」
「俺はアウターじゃあないからな。アンタが言うのが、こちらがわの人間かって意味なら事実、俺はシラメンス生まれのシラメンス育ちだ」
クード・ヴァンはシラメンスの魔法使いだが、その中でもトップクラスの実力者だ。
だからか、ベリーにさえ分かるほどに常に破壊的なほどの殺気を周囲に発している。とても回復魔法専門とは思えないほどに、である。
そもそもで言うならば、モンスターを殺せる時点で回復魔法専門という自称と矛盾しているものの、明らかに卓越した魔法の才能があるゆえ並みの人間には反論出来ない。
ヒエラルキーという構図が避けられない因果だ。たとえて言うなら、自衛隊で大佐に逆らった少尉は土下座させられる。それと似たようなことだ。
「別の世界のヒトは、治したくないってコトなの……?」
「回復魔法は医療とは違う。だけど俺が誰か1人をタダで治すなら、医者にすがるみたいに、ひっきりなしに誰かが救いを求めてくる。俺が、すごい回復魔法使いだからだ」
ベリーたちがそんな会話を繰り広げているとエコの、荒げていた呼吸が次第に弱々しくなってきた。
死に近づいている、とベリーにも分かった。というか、誰にでも分かるくらいに彼女の親友は死にかけていた。
「なら、あなたはどこにでも行けばいいケド。私はここに残る。このコのお墓を作らないといけない」
「そうかい。じゃあな」
クードはそっけなく遺跡を出ていき、ベリーはエコと二人きりになった。
エコは、もはや眠っているような様子だった。あるいは、もう目を覚ますことはないのかとすら思えても、かすかに聞こえる呼吸音からそこまでではないということであるらしかった。
「私が使えるなら、呪いを解く魔法を。せめて回復の魔法を……」
日が暮れかけていた。現実世界の3倍の早さで時間経過するシラメンスであったが、それでもログアウトしないとコノミとしてのベリーを心配する家族に迷惑がかかる頃だ。
シラメンスでの死が現実での死を意味するのか、ベリーには分かりかねた。だから余計に、会話が難しくなったエコにかける言葉がベリーには見つからなかった。
「ゴッド・ヒール!」
イチかバチかで、ベリーはクードの魔法を唱えた。彼のように左手をかざしながらだったが、結果は失敗だった。
ほのかに光が手に宿ったものの、魔法を使うためのエネルギーか何かが足りないのか他者を回復させるまでには至らなかった。
「ゴッド・ヒール!」
ベリーは繰り返した。頑張れば、出来ないことなんて何もない。――それが赤絵家が掲げるスローガンだったし、ベリー、つまりコノミ自身も心から、そう信じていたからだ。
「ゴッド・ヒール。ゴッド・ヒール。……ゴッド、……ねえエコ、エコってば!」
思わず、ポリシーをかなぐり捨ててでもベリーはエコを抱き締めた。モンスターの体液などで不潔なニオイが染み付いてしまった、かわいそうな友だちを彼女は励ましたいと考えたからだ。
「エコ。……覚えてるかな。私たちが生まれて初めて大ゲンカした時のこと。エコがドングリ拾ったらキヨタくんにバカにされて、珍しくエコが怒ったのはいいけど勢い余ってキヨタくん気絶させちゃって。休み時間だったから先生に誤解されて私が犯人になっちゃって、……あれから2年も口を利かなかったの、今にして思えば、なんてことなかったんだね。だって、だってね、死んじゃうなんて反則なんだから!」
物語るベリーの頬から流れ出た涙は、したたり落ちてエコのおでこに垂れた。しかし、それでもエコは眠り続けていた。
◇
――異世界シラメンス
「統治の甘さを改善する。具体的には、工業を中心とした経済政策を推し進める」
シラメンス最高峰の帝国政治を敷く国、雷神国ウォルガジナ。
その宰相たるウマラ・シジャーネは意気揚々と発言したが、その言葉を真に受ける者は会合の場において1人としていないようだった。
「ポッキー。お前さえボクを裏切るというのかね?」
「閣下、恐れながら、いや、……すみません」
「その謝罪は裏切りを肯定してのことか。何か弁明はあるんだろうな、え?」
怒り狂うウマラに矛先を向けられた、ポッキーという名らしき若い政治家は、ただうなだれるばかりだ。
一方で、その場には次第にせせら笑いや罵詈雑言が蔓延し始めていた。
うやむや、適当、二転三転。――与党にあたるセギシュ党の平常運行そのものであるのを、ウマラは歯噛みするより他ない。
足の引っ張り合い。
政治とは名ばかりで、ある程度は意図的にかき集められた無能たちは運すらなかった同族たちをその箱庭から言葉で、表情で切り捨て続けていた。
見る者が見たら阿鼻叫喚。慣れた者には秘密の園。
失楽園、という言葉をウマラは思い浮かべて苦々しく席に着いた。まだ発言の時間は与えられていたにもかかわらず、である。
「おい、推し進める内容を言わんか。予算がかかってる場で無礼千万ぞ!」
「そうだそうだ」「アホなのかね」「茶番か保身かどっちだ」
やんややんや、にしかウマラには聞こえない。端的に言うなら、彼の精神は病み始めていたようだった。
誰もが同じ顔に見えた。
やる事なす事が、自らが歩んできた不毛な出世街道を正当化する寸劇であることが彼には透けて見えるような気がしてきていた。