津見と伐
五月一日
二日後、美華は街中を歩いていた。頭の中は隼人のことで一杯で、治療術の知識が入り込む隙間すらない。その様子を感じ取った愛姫は、彼女を街中の使いに出したのだ。
「治療術の勉学に励まなければならないのに」
美華は自分でも信じられなかった。これ程までに誰かが気になるとは。気を取り直そうと、彼女は手にした紙をもう一度確認する。
「えっと……、後はこの二つかぁ」
それを購入して帰ればお使いは完了である。彼女は速やかに終わらせようと街中を急いだ。
「ここを通ると早いけど」
大通りからの抜け道だ。しかしその道はあまり通らないようにと注意されていた。昼でも薄暗い路地はさほど長くない。早足で駆け抜ければ大丈夫だろうと彼女は判断した。
「……うん、大丈夫よ」
美華はその判断を激しく後悔する。早足で路地へ入ると目の前には三人の男性がいた。
「おい、姉ちゃん、ここがどこか分かってんのかい?」
ガラも人相も悪い男性たちに囲まれて、彼女は震えて声も出せない。狭い路地の双方を残りの男性たちが塞ぎ、逃げ道は閉ざされてしまっている。
「さあ、有り金全部出しな。そうすれば通してやるぜ。出さなきゃ、姉ちゃんの身体で払って貰う事になるなあ」
下卑た笑いを浮かべる男性たち。荷物を胸元に抱える美華の手に力が籠もる。
「抵抗する気か?」
「ひ……」
男性の手が彼女の手首を掴んだ。そこへ人影が近づいて来る。
「感心できん行いだな」
「誰だ!」
今にも悲鳴を上げようとしていた美華は、助けに現れた人物を見て息を飲む程驚いた。それは彼女の想い人だったからだ。
「お前たちに名乗る名はない」
「野郎、すかしやがって!」
最も近くにいた男性が殴り掛かる。しかし隼人はその腕をかいくぐると、ならず者の腹部へ拳で強烈な一撃をくれてやった。ならず者は声も出せずに地面へ倒れ伏す。
「こ、この野郎!」
もう一人は腰から短剣を抜くと隼人へ斬り掛かった。
「全く、実力差というものを知らんのか……」
彼は半ば疲れたような声を出して、余裕を持ってそれを躱すと素早く膝蹴りをみぞおちにお見舞いする。斬り掛かったならず者もまた、呻き声だけを残して地面に横たわった。
「素敵……」
知らず呟いた美華の腕を、残った一人が強く引っ張る。
「きゃっ」
「野郎、少しでも動いてみやがれ、この女が……」
美華の喉元に刃を当てようとしたならず者だったが、隼人は全てを聞き終える間もなくならず者の顔面に拳をめり込ませていた。そのまま美華の腕を引っ張って自らの背後に庇う。
「て、手前ぇ、何しやがる!」
鼻血を出しながらも男性は短剣を構えた。そこから身体ごと突き込んで来る。隼人はその刃を避けようとしたが、背後に美華を庇っているのを思い出して途中で動きを止めた。
「死ねやぁ!」
「ふん!」
突き込んで来る凶刃を隼人は素手で打ち払った。左腕を浅く斬られたが、それを意に介することなく、ならず者の顔面へ渾身の力を込めて拳を叩きつける。
「がはっ」
ならず者が地面に倒れて気絶したのを確認すると、隼人は美華の方へ振り返った。
「大丈夫か、ケガはないか?」
「は、はい! 私は大丈夫です。ですが殿下こそ」
彼の左腕から流れる血を見て美華の顔面から血の気が失せて行く。慌てて荷物の中から消毒薬やら包帯を取り出そうとしたが、隼人に押し止められた。
「治療してくれるのは有り難いが、まずはこの場を離れよう」
「では止血だけでも」
彼女は懐から手拭いを出すと隼人の二の腕を縛る。止血もそこそこに彼らが大通りへ出ると、街の治安を預かる警備兵がやって来た。
「こちらで、刃傷沙汰があったと聞いて来たのですが」
隊長らしき男性は隼人の姿を認めると敬礼しつつ尋ね掛けて来た。
「ああ、そこに伸びている三人がそうだ。恐喝行為を働いていたので、軽く懲らしめたばかりだ」
「殿下のお手を煩わせるとは、不届き千万ですな。詰所に引っ立てよ」
隊長は笑みを交えながら、警備兵に捕縛を命じている。
「こ奴らは、我々で適正に処遇致します」
「常習のようだ。他にも被害者がいるはずだから、厳正に対処してくれ」
「畏まりました」
隊長の最敬礼を受けて隼人はその場を離れた。美華を連れて、閑静な東地区へやって来る。
「ここなら、いいだろう。頼む」
大きな木陰で彼は美華から治療を受けた。彼女はやや頼りない手付きではあったが、しっかりとした仕事ぶりだ。
「終わりました」
「ふむ、流石だな」
隼人は治療された左腕を眺めながら呟いた。美華は頭を下げる。
「殿下にお褒め頂いて、嬉しく思います」
「驕らずに、しっかりと学べよ。愛姫……、聖院長は今の治療を半分以下の時間で済ませるぞ」
「半分で?」
美華は驚いた。学び始めて間がないとは言え、彼女は治療士見習いの中では手が早い方の部類に入るからだ。
「流石は院長代理……」
彼女はしかし、呟いてからある事柄に気が付いた。
「聖院長代理を、殿下は今、院長と?」
「ああ、本日付けで聖院長代理は、正式に院長としての辞令が下された」
「うわあ、やったあ!」
美華は喜びの感情を身体全体で表現した。しかし表現した後で顔を赤らめて俯く。
「それを本人に伝えるのだが、行く途中でお前に出会って良かった」
隼人は俯いている美華の頭を軽く撫でた。
「愛姫のところの娘が、ならず者にキズものにされたとあっては、柴津を預かる者として恥ずかしいからな」
美華は不思議そうな面持ちで顔を上げる。その彼女に隼人は優しく微笑み掛けた。
「お前が無事で良かった」
「あ、有り難うございます」
照れもあって美華はぎこちなく頭を下げた。けれども隼人はそのような彼女の態度は全く気にしていない。と言うよりも、彼女の心理状態を全く理解していない。
「それと、これは洗ってから返そう」
止血に使用した手拭いは彼の血を吸っていた。
「いえ、そのままで構いません」
「そう言うな。こういう時は甘えて構わないのだぞ」
隼人は微笑みながら手拭いを懐へ仕舞い込んだ。取り返す期待がなくなり、彼女はややうなだれて答える。
「それでは殿下のお気のままに」
「よし、そろそろ行くか」
陽は中天にかかろうとしている。美華は使いの途中だったのを思い出した。
「わ、私、院長から頼まれた使いが途中だったんです。し、失礼します」
「待て」
彼の前から慌てて立ち去ろうとした美華の手首を、隼人は捕まえた。
「先程のような男たちに再びお前が襲われんとは限らん。共に行こう」
「え、えええ!」
彼の言葉に彼女は慌てふためく。けれども隼人は彼女の手から紙片を取るとそれを広げた。