津見と伐
三月二六日
翌朝、隼人と真依は再び白水の家を訪れていた。
「おう、ちょうどいい所に来た」
白水はにこやかに笑いながら彼らを出迎える。
「昨日、何人かに声を掛けたんだが、みんな話が聞きたいと言い出してな。俺とした事が、連絡先を聞いていなかったからな」
最後の方はバツが悪そうに濁した。彼に連れられて浜辺の小屋に案内される。中には五人程の男性たちが待っていた。
「待たせたな、この人が柴津の人だ」
「柴津から来た、皇隼人と申す」
隼人だけが名乗った。真依は彼の後ろに隠れるようにして一同の前に座る。
「白水から聞いたが、柴津に行って、受け入れて貰えるのか?」
「確実な保証はできないが、最大限の努力はする」
「確実性がなければ、俺たちは行けない」
男性たちの筆頭で交渉を進める男性は、白水にどこか似ていた。後ろに控える男性たちと、隼人の視線が交錯する。白水はどちら側にも座らず、横で黙って聞いている。
「確実な保証をくれ」
「俺たちの目的は交易路の拡大だ。その手筈さえ整えば、確実に受け入れさせることができる」
隼人の言葉に、一同は顔を見合せた。
「この街で交易に関して権力を握っている者が誰か、知っているならば教えて欲しい」
頭を下げた隼人に漁師たちは慌てたように答える。
「この街の山科という男に会うといい。大陸との取引関係は、奴が握っているはずだ」
「有り難い、交渉の成否に関わらず、必ず受け入れるように手筈を整える」
「その約束さえ有れば、俺たちは安心だ。疑ってすまなかった」
陽気な男たちである。
「さてと、それじゃ、こっちの話に乗って貰おうか」
黙って聞いていた白水が立ち上がり、外に向かって呼びかける。皆が訝しげに首を傾げていると、暫くして細身の髭の男性が現れた。
「や、山科の旦那……!」
「初めてお目にかかる、貴方が柴津王、皇隼人殿下ですね?」
「どうやら、調査済み、と言った所か」
隼人は注意深く相手の様子を探る。当然、山科の眼光も隼人を値踏みするような光だ。山科は落ち着きのある色合いの身なりで、自らを誇示する様相ではない。しかし、その服装は高級生地で丁寧に仕立てられている。隼人は彼に対して好印象を持った。
「柴津王?」
「静かにしねぇか」
一斉に顔を見合せる漁師連中を、白水が外へ放り出すように追い出した。
「後は、心置きなく話してくれ」
「白水、助かるよ」
山科は彼とも知り合いだったようだ。
「彼から話を聞かされてね。是非とも会って欲しいと頼まれ、手の者を使い、調べさせて貰った」
「そうか、商人とは言え、いや、商人だからこそ情報には聡いと言う訳か」
「左様。貴方の身の上を始め、八牙帝国についても調べさせて貰ったよ」
山科に悪気は見られない。それどころか眼光が柔らかくなっていた。
「国を興したばかりでは、何かと入り用でしょう。こちらを……」
「待った」
隼人は懐から何かを出そうとした彼を遮った。
「もし、赦されるならば、陛下に直接手渡し願えないだろうか」
「なるほど、貴方は本当に素晴らしい人物だ。すまないが、試させて頂いた。非礼を詫びさせてくれ」
山科は頭を下げる。それに対して隼人はすぐに赦した。
「試されるだけマシだと思っている。国を興したばかりの我々を、よく信頼してくれました。信頼は何者にも掛け難い」
「商売も信頼、信用が第一です。八牙帝国とは良い取り引きが期待できそうですな」
山科は髭の奥で笑った。
「いいでしょう。八牙帝国に対して、投資させて頂きますよ」
「協力感謝する」
隼人が頭を下げると、山科も慌てたように頭を下げた。
「持ちつ、持たれつです」
この瞬間、紗那第一の豪商との取り引きが始まった。
三月二七日
「凄い数だったね?」
白水たちの一団を見送ってから、真依は隣の隼人に返事を求めた。
「全部で五隻、五十人か」
早朝、見送りに彼らがやって来ると、山科と白水以下それだけの者たちが集まっていたのだ。漁師とその家族だから自然と数も増える。彼らは家財道具と漁具一式を船荷にして一路、柴津へと舳先を向けて行った。更には山科の交易船団が同行したので、船団の全数は軽く二桁になる。総人員に関しては三桁に達していた。
「無事に着くといいね」
「内海は荒れる日が少ないから、大丈夫だろう」
優秀な漁師がいれば、柴津の街も活気を取り戻すだろう。それに彼らの持つ造船技術も侮れない。
「良かったね、隼人」
「ああ」
微笑んだ彼女の表情が眩し過ぎて、彼は直視できなかった。
「さてと、それじゃ本来の目的を達成しなきゃね」
「交易品の選定だな」
真依は既に気持ちを切り替えていた。隼人も気持ちを新たにする。
「一つだけ、我が儘言っちゃおうかな」
悪戯っぽく笑った彼女の表情に、彼は危険を感じた。踵を返して、街へ向かおうとする。けれども彼は行けなかった。真依が手を引っ張ったのだ。
「逃がさないわよ」
微笑んだ彼女に、隼人はどうすることもできず立ちすくんだ。
「聞いてくれるよね?」
「内容も聞かずに返事はできないぞ」
「流石に、引っ掛からないか……」
隼人の返しに、彼女は困った素振りも見せない。むしろ最初からその返事を待っていたような感じだ。
「でも、うんって返事してくれないと困るんだけど。何も聞かずに頷いてくれない?」
「だから、内容も分からないのに、頷けるはずもないだろ!」
「怒らないでよ」
怒鳴られて、彼女は拗ねた素振りをして見せる。しかしそのような態度は既に慣れている隼人は、無視して歩き出そうと彼女の手を振り切った。
「真依……?」
暫く歩いて彼女がついて来ないのに気づいた彼は振り返った。真依は先程から微動だにしていない。彼を見つめる視線からは一途さが感じられた。仕方なく、隼人は彼女の前まで戻る。
「どうした?」
「今みたいに、置いて行ける?」
「何を言ってるんだ? 置いて行けないから、戻って来たんだろ?」
尋ねられた彼は質問の意味を理解できないでいた。
「頷いてよ。今みたいに、あたしを置いて行けるって」
「真依……?」
彼女の様子は明らかに変だった。隼人は更に近づいて、彼女のルリ色の瞳を真っ直ぐに見据える。真依は目を伏せて彼から視線を外した。
「優しくしないで。置いて行けないんだったら、優しくしないで。あたし、辛くなる……」
「急にどうしたんだ?」
隼人はますます混迷の度合いを深めた。真依の様子からは彼女が何を考えているのか、さっぱり分からないのだ。対応に苦慮している彼に向けて、真依は鋭い視線を投げかける。
「貴方は、瑞穂と結婚するんでしょ? だったら、あたしとは別れなければならないのよ。それなのに置いて行けないなんて、ダメでしょ!」
やっとで彼女の真意を聞かされて、隼人は安心して息を抜いた。
「急ぐなよ。瑞穂との結婚はまだ先だろ? それに置いて行くのは俺じゃなくて、真依の方だと思うけどな」
「バカ、あたしだって女の子なんだからね!」
真依の本音だった。隼人はそんな彼女の様子を微笑ましく受け止める。
「女の子、か。それだったら俺だって男だ」
「それ、どういう意味?」
「潔く、結果を受け入れる。それがどのような結果でもな」
「約束だからね」
「ああ、約束だ」
真依の強い口調に隼人は微笑んで答えた。
「それじゃ、交易品の選定に行きましょ」
気持ちを切り替えた彼女は微笑みかける。隼人はその切り替えの早さについて行けそうになかったが、彼女に引っ張られて止むなく街まで連れて行かれた。