6話 良からぬ再会
背の高い木や見た事も無かい植物。
透き通った綺麗な水が流れる川……は既に見えない。
暴獣の巣なんて言う物騒な名前の森のわりには、今の所は襲ってきたのが巨大なリス一匹だけで、思っていたよりは何事も無く進んでいた。
そうして歩く事数十分後、ベルが「誰か倒れてる!」と大きな声を上げて走り出した。
俺とメレカさんは走り出したベルを追いかける。
すると、その先で女の子が倒れていた。
倒れていた女の子は、俺の妹みゆと同じくらいの年齢に見える幼い子だった。
暴獣に襲われたのかボロボロで傷だらけになっていて、襲われた時に服をボロボロにされたのか、上着を身につけていなかった。
身に着けているのは胸にサラシと、下は短パンだけ。
そのせいもあって、少女の髪の毛が真っ赤な色をしていたので、最初はそれが血だと思って少し焦った。
しかし、それが髪の毛の色なのだと分かって落ち着くと、今度は少女の頭と腰から飛び出ているものが目について俺は驚く。
「猫の耳と尻尾? もしかして獣人の女の子か?」
少女の頭から猫の耳が生えていて、腰あたりからは尻尾が生えていたのだ。
この世界には獣人がいると既に知っていたけど、まさかこんな所で見かけるとは思ってもみなかった。
「メレカ、お願い」
「はい」
メレカさんが倒れている少女の側で屈んで、少女に小杖を向ける。
すると、小杖の先に青色の魔法陣が浮かび上がった。
「キュアウォーター」
魔法陣から水が現れて、それが少女の傷口を包み込み、少しずつ少女の傷が回復していった。
「怪我は治りました。たいした傷は無かった様です。暫らくすれば目を覚ますでしょう」
側で周囲を警戒しながら待っていると、魔法による治療が終わった様で、メレカさんがベルに報告した。
「メレカさん凄いですね」
「いえ。それより、この子をここに置いて行くわけにはいきません。恐らくですが、この先の村タンバリンの子供だと思いますので、私が背負って村まで行きます」
「それなら俺がおんぶして行くよ」
「ヒロ様にその様な事をさせるわけには――」
「いいからいいから」
メレカさんの言葉を遮って答えると、俺はまず最初に自分の制服の上着を少女に着せる。
流石に上がサラシだけだなんて、妹がいる俺としては見過ごせないのだ。
サイズが俺のだからブカブカではあるが、何も着せないより全然マシだろう。
そうして上着を着せ終えてから、俺は少女を背負った。
「……手馴れているのですね?」
「妹がいるんですよ。それでよく眠った妹をおんぶしてやってたから、こういうのは得意なんです」
「そうですか。では、お願いします」
そう言ったメレカさんの顔は、優しい笑みを見せていた。
その顔は初めて見るメレカさんの顔で、それが嬉しくて「はい」と明るく俺は答える。
だけど、メレカさんの笑みは直ぐに終わった。
メレカさんは直ぐにいつも通りの顔になって、さっさと先を目指して歩き出す。
俺は少女を背負ったまま、再びメレカさんの後を続いて歩き出し、俺の隣をベルも歩いた。
「ヒロくんってお兄ちゃんだったんだね?」
「ん? まあな。俺に似てない可愛い妹が一人いるよ。丁度この子くらいの年で……ってか、何でこの子は一人であんな所に倒れてたんだろうな?」
暴獣の巣と呼ばれるこの森は、危険なので普段は人が近づかない。
俺達がここを通ってフロアタムを目指しているのは、あくまで近道になるからで、よっぽど腕に自信のある者以外は普通は森を避け遠回りをして進む。
だと言うのに、俺の妹と同じ年頃の女の子が倒れていたのだ。
どう考えたっておかしいとしか思えなかった。
「うーん……。なんでだろう?」
当然だが、やはりベルも分からない様で、首をひねって考え込んだ。
すると、前を歩いているメレカさんが、振り向かずに俺の質問に答える。
「先程傷を治している時に気づいたのですが、とても暴獣相手に傷をつけられた様には見えませんでした。あまり考えたくはありませんが、魔族の襲撃から逃げて来たのかもしれません」
「魔族の? どういう事ですか?」
「その子供がタンバリンの子供だと仮定してですが、タンバリンが魔族の襲撃に合い、逃げる為に暴獣の巣に迷い込んだ可能性があると考えました」
「……案外当たってそうで怖いんですけど」
もし本当にそうだとしたら洒落にならない。
先を急いだ方が良いかもしれないな。と、思った時だった。
森の奥から遠吠えが聞こえてきた。
「メレカ、急いだ方が良いかも」
「そのようですね」
「え? 結構遠くから聞こえたと思ったんだけど?」
「あのね、ヒロくん。あれは暴獣が縄張りに侵入者が現れた時に、仲間にそれを知らせる為のものなの」
「――っな! って事は、俺達が見つかって敵視されたって事か?」
「うん」
つまりそれは、さっきのリスみたいなのが群れで来るって事で、結構ヤバい。
メレカさんが足を速め、俺も置いて行かれない様に必死に走る。
そして、背後から大量の足音が聞こえてきた。
「まさか……っ」
恐る恐る背後に視線を向けると、十匹……いや、二十匹以上の暴獣が群れを成して追って来ていた。
「グォォォォッッンッ!!」
「うおおおおっ! やっぱり来てる! って言うかリスじゃねえのかよ! ってか多すぎだろ!」
最悪だ。
今度はリスの様な見た目可愛い系じゃなく、あからさまにヤバそうな見た目の暴獣。
体長二メートルは余裕でありそうな大きさで、狼っぽい見た目の獣だった。
俺は背に背負った少女を落とさぬ様に、必死に走って逃げる。
「絶対ヤバい奴だろこれ!」
「確かに些か数が多いですね。流石に私一人では手に余ります」
いつの間にかメレカさんが俺の隣を走り、追って来る暴獣どもを一瞥する。
「うっ。なんかすみません」
自分が情けなくなってくる。
英雄として召喚されたのに、魔法が使えないんじゃ結局ただのお荷物だ。
確かに英雄ってガラでも英雄になれるとも思わないが、あまりにも酷い体たらく。
なんて考えている場合でも無い。
前方からも暴獣が三匹現れて、俺達の行く手を阻んだ。
「グルルルル……ッ」
「どうすんだこれ!? はさまれたぞ!」
「メレカ!」
「はい!」
ベルがメレカさんの名前を呼び、メレカさんが小杖を構えて目の前に魔法陣を浮かび上がらせる。
「ショットウォーター!」
瞬間――魔法陣から水滴が飛び出して、それは散弾となって、前方に現れた暴獣目掛けて放たれた。
その威力は凄まじく、あっという間に前方の暴獣三匹がハチの巣になって絶命した。
「先を急ぎましょう」
「メレカさんかっけえ!」
マジで頼もしい。
その後も、速度を緩めず走り続ける。
そして、次々と襲いくる暴獣を魔法で流れるように蹴散らしているメレカさんの姿は、美しささえ感じる程に綺麗だった。
だが問題が一つ。
それは俺の体力。
正直言ってかなりきつい……って言うか、そろそろ限界だ。
子供とは言え、人一人を背負っての全力疾走してるわけで、それがかなりヤバい。
徐々に息も荒くなり、足も重く感じていく。
「ヒロくん、もう直ぐだよ」
「ヒロ様、頑張って下さい。後少しで大きめの広場に出ます。その広場を抜ければ、直ぐに森を抜けられます」
「わ、分かった……っ」
ベルとメレカさんが俺の限界を察して励ましをくれる。
少々情けなくはあるが、そんなの気にしてなんていられない。
俺は必死に走り続けた。
そして、木々が空けた場所に辿り着く。
そこはメレカさんの言った通りの大きな広場になっていて、中央には大きな岩がそびえ立っていた。
しかし……。
「不味いですね」
「う、うん」
「はあ……はあ……。マジかよ……」
せっかく広場まで逃げて来たってのに、状況は最悪だった。
暴獣の群れが広場全体を埋め尽くしていたのだ。
どう見たって待ち伏せされていたとしか言えない状況下に陥り、メレカさんが直ぐに小杖を構えて、ベルも魔石と杖を取り出した。
「ヒロくんはその子をお願い」
「ああ、分かった」
悔しいが今の俺じゃ本当に足手まといにしかならない。
全力疾走したせいで、体力が殆ど残っていないってだけじゃない。
たかだか喧嘩が強かっただけの俺の実力は、魔法があるこの世界では全く通用しないのだ。
しかも相手は野生の獣、人を襲う暴獣だ。
喧嘩が強いだけの俺が敵うわけがない。
出来る事と言えば、背負っている女の子を守る事くらいだ。
「グオオオオオオッッ!」
周囲を警戒していると、背後の茂みから暴獣が飛び出して、大口を開けて牙をむき出しにして襲い掛かってきた。
「――うおっ」
寸での所で暴獣の攻撃を避けると、ガチンッと空を噛む大きな音が響いた。
「あっぶねえ」
周囲を警戒していて助かった。
少しでも反応が遅れていたら、間違いなく俺の頭は今頃噛み砕かれていた。
しかし、安心しているばかりでもいられない。
暴獣は直ぐに俺を噛み殺そうと、牙をギラリと光らせた。
するとそこで、メレカさんが俺の前に出て小杖を構え、魔法陣が浮かび上がる。
「バレットウォーター」
魔法陣から水の銃弾が放たれて、俺を襲った暴獣に直撃して絶命させた。
「ヒロ様、二時の方向へ走って下さい!」
「に、二時? あー、分かった」
俺は言われたとおりに二時の方向、右よりの前へ向かって走る。
よく見ると、その方向は暴獣が少なくて、突破するのに丁度良かった。
それにしてだが、メレカさんは本当に凄い。
襲いくる暴獣を、顔色一つ変えずに次々と魔法で返り討ちにしている。
ベルもまた、そんなメレカさんを上手くサポートしていた。
俺はと言うと、少女を背負って走りぬく事に精一杯で、ただ逃げるだけ。
まあ、何度も言うが足手纏いなのは最早仕方が無い。
とにかくひたすら走るだけだ。
よし!
もうすぐで、この場を切り抜けられる。
走り続けて、そう思ったその時だった。
「おいおい。誰かと思ったら、はっはっはー。巫女姫じゃないかー」
突然聞こえた機嫌よく喋る男の声。
驚いて振り返ると、広場中央の大岩の上に、見知らぬ男の姿があった。
そして俺は、その男の容姿に驚いた。
姿形こそ人と変わらない見た目をしていたその男は、肌が青く髪が濃紺で目は黄色く、禍々しい雰囲気を放っていたのだ。
男は鋭い目をして、俺達を愉快そうに笑って見つめていた。
「捜している時は見つからなかった捜し人が、こんな所で見つかるとはなあ! はっはっはーっ!」
ヤバい! と、俺の直感が警報を鳴らす。
間違いなくこいつが魔族だ。
「うそ。そんな……」
ベルの様子が一変した。
顔を真っ青にして、恐怖に支配された表情になり、足もガクガクと震えだした。
「よりにもよってこんな所で!?」
メレカさんが鋭い目つきで男を睨みつけて小杖を構える。
しかし、半歩だけ後ろに下がったのを俺は見た。
きっと体が恐怖を覚えているのだろう。
魔族は二人の様子を見てから、俺の顔を見て目がかち合い、不敵な笑みを浮かべた。
その笑みの恐ろしさに、俺は思わず背筋にゾワりとした嫌な感覚を覚えた。
「俺様は魂を狩る者、魔人ネビロスだ。貴様等の魂をここで頂く事にした。光栄に思えよ?」
魔人ネビロスと名乗った魔族は、ベルとメレカさんから聞いた邪神の仲間だ。
この世界に召喚された日に聞いた話にも出ていたので覚えている。
ベルの近衛騎士セイ=ケントスや他の騎士と兵士の命を奪った魔族。
間違いなく、今出会っても倒せる相手なんかじゃない。
「くそっ」
俺は悪態をつき、現状を打破出来ないかと周囲を確認した。
状況は最悪。
広場には何十匹も暴獣がいて、俺達を威嚇している。
広場中央の大岩の上には、魔人ネビロスがこっちを見てニヤついて殺気を放っている。
俺達が足を止めた事で完全に包囲されていて、逃げ場なんてどこにもない。
絶対ヤバいやつだこれ。
恐怖と緊張で額に汗が流れるのを感じたが、しかし、そこで俺は気がついた。
逃げ道は……ある!?
先程まで走って目指していた場所は既に近く、暴獣はいれどその数は一二匹と少なく、この場から逃げ出せる距離まで後少しだった。
これなら、最悪無理矢理駆け抜ける事だって可能だ。
この場から逃げ出せば、前後に気を付けていれば良く、周囲を囲まれた現状よりも遥かにマシだ。
どうする? と、俺は思考を駆け巡らす。
ベルは恐怖で顔をひきつらせていて、まともに動ける感じがしない。
メレカさんも怒りと恐怖が入り混じった顔でネビロスを見ているが、その場から動くのも出来ないでいる。
このままだと間違いなく全員殺される。
逃げ切れるのか?
いや。
考えてても仕方ない!
最早考えている場合でも無かった。
暴獣たちは今にも襲ってきそうな気配で俺達を見ていて、それにベルもメレカさんもネビロスに気を取られて気付いていないのだ。
だから、俺は大きく息を吸って「走れええええええぇぇっっ!!」と叫んだ。
次の瞬間、俺の叫びを聞いたベルとメレカさんは直ぐ我に返り、そして俺と一緒に走り出した。
「ありがとう」
「申し訳ございません。助かりました」
「おうよ!」
正気を取り戻せば、もう恐れる事は無い。
行く先を防いでいた暴獣をメレカさんが魔法で倒し、俺達は広場を抜けだした。
足が痛いし重い。
だが止まる事は出来ない。
今足を止めれば確実に殺される。
そこでふと、妙な事に気づく。
暴獣が広場を出てから追って来ないのだ。
今まで散々俺達を追い掛け回していた暴獣が、何故か一匹も追いかけて来ない。
今思えばネビロスが現れてからも暴獣は俺達を威嚇し続けているだけで、今にも襲ってきそうってだけで、実際に襲っては来なかった。
「俺達を散々追い掛け回して襲ってきた暴獣達は、何でネビロスが現れた途端に襲う事をやめたんだ?」
俺は疑問を呟き、そしてそれに答えたのは……。
「さあ? 何でだろうな?」
「――っ!? ネビ――――」
瞬間――とんでもなく強い衝撃が、俺の右の脇腹を襲った。
「――ぐぁっ…………っ!」
わけがわからないまま、その衝撃で背負っていた少女を離して吹っ飛ぶ。
「バルーンウォーター!」
木に激突する寸前だった。
ギリギリの所で、メレカさんが水で出来た風船を魔法で出し、俺をそれで包み込んで助けてくれた。
そして、俺を包んだ水で出来た風船は、木に激突した衝撃で弾け飛ぶ。
「げほっげほっ。――あ……っ。ぐぐ……ぁっ」
血反吐を吐き、更に遅れて脇腹に痛みがやってくる。
あまりにも早い衝撃を受け、俺の痛覚がおいつくまでに数秒かかった。
脇腹から熱を帯びた様に、痛みと共に熱さを感じる。
何とかその場で立とうとするが、意識を保つのがやっとで、激痛にふらつきそのまま倒れこんでしまった。
くそっ。
頭が朦朧とするし目も霞む。
こんなにも痛いってのに、今にも意識が吹っ飛びそうなくらいヤバいぞ。
「はっはっはっはー。どうやら手加減をしすぎてしまったなあ? 出来るだけ肉体を傷つけずに殺そうと思ったが、生かしてしまったようだぞ」
声のした方に顔を向けると、ネビロスが愉快そうに笑っているのが見えた。
「ヒロくん!」
ベルが慌てて駆け寄って来て、魔石と杖を構えた。
「キュアライト」
杖から魔法陣が浮かび上がり、暖かな光が湧き出し、それが俺の全身を包み込む。
すると、不思議と痛みが和らいでいくのを感じた。
しかし、先程のダメージの影響のせいで、未だに意識が遠のいていくのを感じる。
何とか意識を保とうとしていると、メレカさんがさっきまで俺が背負っていた少女を担いでやって来た。
そして、メレカさんはネビロスを警戒しながら少女を地面に下ろし、小杖を構えてネビロスを睨んだ。
「ほう。邪神様が予想していた通り、魔石を通して魔法が使えたか。となると、その黒い髪の小僧が異世界から来た【聖なる英雄】とやらか?」
「「――っ!」」
ベルとメレカさんがネビロスの言葉に動揺する。
それを見たネビロスは満足そうに笑みを浮かべた。
「図星のようだな。はっはっはっはーっ!」
ネビロスは大声で笑い、そして叫ぶように声を出す。
「そうかそうか! 納得したぞ! 確かにそれなら頷ける! 邪神様が魔力を奪っていないはずの見覚えのない人間が黒い髪をしていたので何者かと思ったが、巫女の貴様が呼びだした異世界の者だったとはなあ!」
「何故貴様が【聖なる英雄】の存在を知っている!?」
ネビロスの言葉を聞き、メレカさんが叫ぶ。
確かにおかしい。
俺の存在――と言うよりは、異世界から来た聖なる英雄の存在は、この世界の人でさえ一部の人間しか知らない事だ。
ましてや、魔族であるネビロスが知るはずがない事だった。
「さあ、何故だろうな?」
ネビロスは余裕の笑みを浮かべ、これまた愉快そうに笑う。
「ふざけるな! ブレイドウォーター!」
メレカさんの持つ小杖を魔法陣が通り抜け、小杖を水が覆って刃を持つ水の剣となる。
そして、メレカさんはネビロスに向かって走り出し、ネビロスに斬りかかった。
「しかしそうか。流石にこれは滑稽だ」
メレカさんが繰り出すあらゆる斬撃を易々と避けながら、ネビロスは話し始める。
「我々が危惧していた聖なる英雄の正体が、まさかこの程度の雑魚だとは思わなかったぞ。加減をした一撃で瀕死になる程度の、ただの小僧ではないか。この分なら巫女を始末する必要もないだろう。これ以上は時間の無駄だな」
言い終わると、ネビロスは後方へ跳躍した。
「貴様等、運が良かったな。俺は忙しい身でな。これ以上は貴様等の様な雑魚如きに時間を使ってる暇はないのだよ」
ネビロスはそう言うと、その場から姿を消した。
助かったのか?
そう思った瞬間に気が緩み、俺はそのまま意識を失ってしまった。