5話 暴獣の巣
トランスファを出てから三日目の昼を丁度過ぎた頃に、漸く【暴獣の巣】と呼ばれる森に到着した。
「ここが暴獣の巣か。てか、流石に遠すぎじゃないか? タンバリンって村はまだなんですよね?」
「これでもトランスファからフロアタムに向かうルートにある村の中では、一番近い村です」
「マジかぁ……」
ドッと疲れが出るのを感じた。
三日も歩き続けて未だにつかないのに一番近いって、どんだけ遠いんだよ他の場所って気分になる。
「そう気を落とさないでください。ここまで魔族に襲われる事も無く辿り着けたのは幸いでした。予想していたより順調に進んでいます」
「うんうん」
メレカさんにベルが同意して頷いた。
言いたい事は分かる。
実際にここまでは、魔族どころか暴獣とも出会っていないし、拍子抜けする程に平和にここまで来れたのだ。
俺だってそれなりに危険を覚悟してここまで歩いてきたから、本当にありがたいくらいだ。
しかし、これから暴獣の巣と呼ばれる森に入るわけだが、不安要素があった。
この世界に来てから既に五日も経っているが、未だに魔法が使えないのだ。
何度も魔法を使う練習をしてるけど、全部失敗に終わっている。
とは言え、だから危険を避ける為にも森には入らないなんて事は出来ない。
よって、不安を抱えつつも、俺はメレカさんとベルの後に続いて森に入った。
そして、森に入って直ぐに、俺は足を止めて森を見回した。
その様子にベルが気付いて、後ろにいる俺に振り向く。
「どうしたの?」
「……驚いたんだ」
「え?」
「綺麗な所だなって思ってさ」
暴獣の巣なんて言われているから、どんな所かと身構えていたが、森の中は綺麗な場所だった。
木々はどれもがまるで高層ビルのように高くそびえ立っていて、枝葉の隙間から地面を照らす木漏れ日が綺麗で美しく、感動する程に幻想的な景色を俺に見せた。
遠くからは鳥の鳴く声が綺麗な音色のように聞こえてくるし、心地良いそよ風が吹いていて、それが肌を撫でている様で気持ちがいい。
背の高い木だけでなく、地面から生える見た事も無い植物も、この場の雰囲気を幻想的に仕上げている。
俺は目や耳、そして肌など、全身で自然を感じて楽しんだ。
「そうだね。私もこの森に入るのは初めてだけど、綺麗な所だよね」
ベルもそう言って、森の景色を眺めた。
そこで、俺は一つ考えた。
経緯はどうあれ、せっかく異世界に来たのだから、スマホで写真を撮ろうと。
そうすれば、元の世界に帰ってから妹に見せて自慢出来る。
バッテリー切れをするまでになるが、それでも構わない。
どうせスマホなんてこの世界では使えないし、どうせ使えないなら、この世界の景色の写真を撮って思い出を残そうと考えた。
それに、写真を見せれば妹もきっと喜んでくれる。
妹の喜ぶ顔を想像して、思わず顔から笑みが零れた。
そして、早速一枚。と、スマホを取り出し、電源を入れて写真を撮る。
よしよし。
中々良い感じに撮れたぞ。
「ヒロ様、先を急ぎますよ」
「はーい。今行きます」
メレカさんに声をかけられたので、返事をしてスマホの電源を落として歩き出す。
するとそこで、ベルが俺の隣に並んで、不思議そうな顔でこっちを見た。
「ねえねえ、ヒロくん」
「ん、なんだ?」
「さっきのなあに?」
「あー、これ?」
再びスマホを取り出してベルに見せると、ベルが物珍しそうな顔で「うんうん」と頷いた。
「写真を撮ってたんだよ」
「写真?」
「ああ、写真」
電源をつけて、さっき撮ったばかりの写真を見せてあげると、ベルが驚いて「すごーい!」と声を上げて感動した。
まさか、こんな事でベルの喜ぶ姿が見れると思って無かった俺は、つい嬉しくなって説明する。
「これは俺の世界のスマホって言って、こうやって写真を撮って記録する事が出来るんだ。それで、せっかく異世界に来たんだし、記念にこの世界の綺麗な景色とかを撮っておこうと思ってさ」
「そっかあ。ヒロくんの世界には、こんな凄い物があるんだね」
もう一度写真をベルの目の前で撮って見せてあげると、ベルは目を輝かせて喜んだ。
だけど、それもお終いだ。
先頭を歩くメレカさんが俺達に振り向いて、鋭い眼光を俺に向けて睨む。
「ヒロ様、暴獣に見つかってしまいますので、お静かにお願いします」
「あ、はい。ごめんなさい」
ベルはお咎めなしで、俺だけメレカさんの逆鱗に触れた。
理不尽だとも思うが仕方が無い。
そこは好感度が足りなかったと諦めよう。
そんなわけで、そそくさとスマホの電源を切りしまう。
ベルが小声で「ごめんね」なんて言っているけど、俺の自業自得なので「気にしなくていい」とだけ言っておいた。
それから、ついでに気になった事を聞いてみる。
「この森はどれくらい歩けば良いんだ?」
「えーと……。どうだったかな?」
ベルはそう呟くと、前を歩くメレカさんの隣まで小走りで移動して、メレカさんに尋ねた。
すると、メレカさんが立ち止まって、俺に振り向いた。
「暴獣の巣は一時間と少し歩けば、タンバリンに到着します」
「一時間ちょっとですか? 良かった。思ったより早い」
そろそろ気が休まる場所で、ゆっくり休みたい気持ちだったのでホッとする。
ここ数日の間はずっと歩き詰めだったし、野宿しかしていないので、精神的に限界が近かったのだ。
それに風呂にも入りたいし、久々に布団の中で眠りたい。
何はともあれ、歩く気力が湧いてきた。
暫らく歩いて奥に進むと、川が見えてきた。
水が透き通っていて、川底が見える程に綺麗な川。
側まで行かなくても、遠目で魚が泳いでるのが分かる。
「川の近くは避けて通りましょう。暴獣に見つかる可能性があります」
「うん。そうだね」
「……うっす」
あそこまで綺麗な川を見ると、ちょっと川辺で休憩したい気分にもなる。
だけど、それは危険だから出来ない様だ。
名残惜しい気持ちを胸に秘め、メレカさんの後へと俺は続いて歩いた。
するとそんな時、近くの茂みからガサガサと音がした。
「ん? まさか暴獣……か?」
すっかり油断していた俺は、顔から血の気が引いていくのを感じながら身構える。
そして、音のする方に体の向きを変えて、緊張で唾を飲み込んだ。
ここが暴獣の巣だと言う事を忘れてはいけない。
森の中が感動するほど神秘的だろうと、川が透き通るほど綺麗だろうと関係ない。
気を抜いて良い場所では無いのだ。
額に汗が流れ、手に汗を握る。
緊張で胸の鼓動が早まり、俺は音のする方を注意深く見つめた。
すると、メレカさんが淡々とした声を出す。
「リスかもしれませんね」
「え? リス?」
「はい。この森に生息している暴獣の一種で、群れで行動しない珍しいタイプです」
「なんだリスか」
何だか拍子抜けだ。
てっきり熊だとか狼だとか、そういう凶暴そうなのを予想していただけに力が抜ける。
リスって言ったら、あの小さくて可愛らしい生き物だ。
暴獣なんて言っても、そんな可愛らしいのまでいるようだ。
暴獣の巣ってだけで、凶暴なのしかいないと俺が決めつけていただけで、静獣もいるのかもしれない。
リスなんてどう見たって大人しい。
そう言えば、妹のみゆも動物園に連れていってあげた時に「リスさんかわいー」なんて言ってたっけ。
何だか微笑ましい気持ちになり、俺は気を緩めてホッとする。
「はは。びっくりし――」
次の瞬間、俺の全身を巨大な影が覆い、その巨大な影の正体を見て俺は驚愕する。
「――だああぁぁああぁあっ!?」
影の正体は、二メートルはあると思われる巨大なリスだった。
規格外なんてもんじゃない。
デカすぎて威圧感が半端ない。
「おいおい、嘘だろ!? こんなデカさのリスなんて初めて見たぞ!」
驚いていると、巨大なリスが素早い動きでこちらに迫る。
「伏せて!」
ベルの声で咄嗟に伏せると、頭上を巨大なリスの右前足がかすめ、近くにあったビルの様にでかい木が薙ぎ倒されてしまった。
後少しでも反応が遅れていたら、間違いなく俺の頭が吹っ飛んでいただろう。
「マジかよ……」
木が薙ぎ倒されるとそれを見て、血の気が一気に引いていく。
しかし、そんなものを見ている場合でも無かった。
リスが右前脚を振り上げて、それを俺に向かて振り下ろした。
「――やべっ」
「まったく! ヒロ様はどんくさい方ですね!」
次の瞬間、メレカさんに肩を握られ、後ろに放り投げられた。
「――どわっ」
メレカさんに投げられたおかげで、間一髪で巨大なリスの攻撃を回避し、放り投げられた勢いのまま地面を転がった。
俺が転がるのと同時に、メレカさんが直ぐに懐から小杖を取り出して、小杖の先から青色の魔法陣が浮かび上がった。
「スプラッシュ!」
メレカさんが呪文を唱えると、魔法陣から大量の水が勢いよく溢れだし、それはリスに直撃した。
直撃を受けたリスは白目を剥き、悲鳴も上げずにその場で倒れた。
「すげえ……」
「すげえ、ではありません。リスかもしれないと言ったのに、何故警戒を解いたのですか? 暴獣だと説明もしましたよ?」
「いやあ、ははは……。ごめんなさい」
リス怖すぎだろ。
って言うか、え? 何?
この世界のリスって、肉食なの?
リスがここまで凶暴だとは思わなかったとは言え、警戒を怠ったのは事実。
俺の世界の常識が、この世界で通用すると思わないで行動しようと、今更ながらに俺は心の中で誓った。
「助けてくれてありがとうございます」
メレカさんがため息を吐き出して、呆れたような顔を見せる。
「今度からは気をつけて下さい」
「はい」
俺が返事をすると、メレカさんが再び歩き出したので、俺も後に続いて歩いた。
すると、ベルが心配そうに眉根を下げて、俺の隣に並んだ。
「ヒロくん、怪我はなかった? 大丈夫?」
「ん? ああ。大丈夫だ。心配させてごめん。ありがとな」
「うん」
ベルは微笑んで頷いた。
でも、その微笑みはやっぱりどこか儚げだ。
だと言うのに、そんなベルの微笑みに俺はドキッとしてしまう。
こんな悲しい顔した子に対してドキドキするとか、何考えてんだよ俺。
自分で自分を最低のクズ野郎だと罵りたくなる思いだ。
そして、考えた。
このベルって子はかなり良い子だ。
結局未だに魔法が使えない俺に、何一つ文句も言わずに笑顔を向けて信じてくれている。
だけど、俺は自分が英雄になれるとは思っていないし、予言だとか言われてもピンとこない。
それに英雄なんてガラでもない。
正直言えば、出来る事なら少しでも早く元の世界に帰りたい。
でも、それが叶わないなら、うだうだしていても仕方ない。
だから思うんだ。
それならいっそ、英雄になんてなれなくても、この子を助けてあげたいと。
この世界に来た時に見たベルの顔があまりにも悲しそうだったから。
そして、今も悲しそうな顔を見せる。
だからだろうか?
俺は少しでも、この子の願いに応えてあげられるだろうか?
ベルを見て、俺はいつの間にかそう思う様になっていた。