1話 変わる日常
長かったプロローグも終わり、本編スタートです。
「お父さん! お父さん!」
男の子が父親にしがみついて泣いている。
まるでこの世の終わりかの様に絶望に満ちた顔で、大粒の涙を流し続けている。
「お父さん! 嫌だ! 死なないで!」
男の子の父親は横たわり、傷口から大量の血が止まる事なく流れている。
「お父さん! お父さん! お父さん! お父さん!」
男の子は悲痛な叫びを上げ泣き続ける。
何が出来るわけでもなく、どうすれば良いかも分からず、泣いて叫ぶ事しか出来ない無力な男の子。
父親を失いたくないと願う事しか出来ない無力な少年。
願いなんて意味がない。
現実は願うだけじゃどうにもならない。
父親が息を引き取る時、男の子は父親にしがみつきながら、自分を呪って泣き続ける事しか出来なかった。
◇
「父さ――――」
勢いよく布団を退けて、上半身を起こして目が覚める。
「夢……か…………」
夢だと気づき、俺は大きなため息を吐き出した。
季節は春。
桜がまだ咲き誇る中、春の暖かな日差しがカーテンの隙間から部屋に差し込む。
カーテンを開ければ雲一つない快晴で、こんなにも気持ちの良い朝だというのに、俺は最悪な気分だった。
「またあの夢だ……くそっ。切り替え切り替え。朝飯何にするかなあ」
ハッキリと覚えている悪夢。
その悪夢を紛らわす様に、呟いて頭をボサボサと掻いて起き上がる。
それから、顔でも洗ってスッキリするかと洗面所へ向かった。
そんな朝から最悪な気分の俺の名前は聖英雄。
親からキラキラネームをつけられしまった哀れな高校2年生だ。
せめて読み方が『ひーろー』では無く『えいゆう』とかであれば、まだマシだっただろう。
いや、それも無いか。
そんな哀れな俺は、小さい頃この名前がきっかけで色々あり、それ以来喧嘩をよくするようになった不良少年。
だけど、学校の授業をしっかり受け、成績も学年上位。
生徒指導の先生から呼び出しをよく受けてはいるが、成績が優秀な為、退学せずにすんでいた。
まあ、成績が下がれば即退学は間違いないだろうが。
正直言って退学は困る。
別に学校が好きってわけじゃないが、幼い頃に亡くした父親の代わりに、女手一つで俺と妹を育ててくれている母親に迷惑をかけたく無いからだ。
だったら喧嘩を止めろって話だけど、周りの馬鹿共が絡んでくるんだから仕方が無い。
俺としては母親の代わりに妹の面倒と家事をして、朝ご飯と母親の昼の弁当を作っている方が正直楽しいから、学校なんて止めても構わないけど、世の中そんなに甘くないのはよく分かっている。
しっかり学校を卒業して、早く母親に楽をさせてやりたいものだ。
洗面所で顔を洗い終わると、仏壇のある居間へと向かう。
そして、仏壇の前に座って父親の写真に向かっておはようの挨拶をする。
それが終わると部屋に戻り、学校に行く準備を済ませて台所へ向かった。
すると、頭に寝癖をぴょこりとつけた妹と会った。
「お兄ちゃん、おはよう」
「おはよう、みゆ」
妹の名前は美優。
産まれる当時に俺が両親に「名前をつけたい」と言って、一生懸命つけた名前だ。
小学5年生の10歳で、元気が特徴な我が家のムードメーカー。
今は寝起きで髪の毛がボサボサだが、いつもはサイドテールでピシッとしている。
幼いながらも夜ご飯担当として、立派に料理を作ってくれている優秀で可愛い妹だ。
「みゆ、今日は早いな。いつもだったらまだ寝てる時間だろ?」
「うん。お兄ちゃんにお願いがあったの忘れてたの。眠る時に思い出したから、頑張って早起きしたんだよ」
「それなら眠る前に言ってくれたら良かったのに。それでどうした?」
「うーんとね。今日クラスの皆でお花見する事になったから、お弁当作ってほしいの」
「お花見かあ。今日は授業が午前中で終わるんだっけ?」
「うん。だから皆で行こうねーって」
「じゃあ、みゆの為にとびっきり可愛いお弁当作ってやるよ」
「やったー♪」
妹はご機嫌になり、ぴょんぴょこ跳ねて喜ぶ。
俺はそんな妹の頭を撫でて最後にポンポンと軽く叩き、台所へ向かった。
すると、更にご機嫌が増した妹が後ろからついてくる。
「えへへ~」
「どうした? まだ朝早いし寝てて良いぞ? 時間になったら起こしてやるよ」
「お手伝いするよー」
「おっ。じゃあせっかくだし手伝って貰うか」
「やたー♪」
朝から元気な妹は、大喜びで料理の準備を手伝ってくれた。
料理を始めると、小気味よく包丁が野菜を切る音が響く中、妹が不思議そうに俺を見上げた。
「お兄ちゃんの髪型いつもと違うね」
「おう。流石に気づいたか妹よ」
「うん。今日何かあるの?」
「まあな」
「ふーん……」
妹は訝しげに俺の顔を覗き込む。
「何があるの?」
「……今日、告白しようと思ってるんだ」
「おー!」
まだ幼いとは言え女の子。
恋バナがきたとテンションの上がった妹は、目を輝かせて、期待に満ちた表情を俺に向けた。
「お兄ちゃん喧嘩ばっかりで心配だったけど、やっと喧嘩以外の興味ができたんだね」
「おいおい。みゆさんや、そりゃないだろ? 兄に対しての評価が酷過ぎて、お兄ちゃん泣いちゃうぞ」
評価の低さにがっかりして、料理する手を止めて肩を落とすと、妹は可笑しそうに笑った。
確かに直ぐ感情的になって喧嘩をしているけど、まさか妹にそんな風に思われていたとはって気分だ。
「告白成功すると良いね」
「そうだな」
気のない返事をして料理を再開する。
すると、妹が俺の反応につまらなそうな顔をした。
それから暫らくして、弁当用のハンバーグを焼いている時に、妹が再び話しかけてきた。
「お兄ちゃんってさ」
「ん? なんだ?」
「その子の事、本当に好きなの?」
「――っ」
まったく、我が妹ながら痛い所をついてくる。
“その子の事、本当に好きなの?”
この言葉は実に的を得ていた。
俺は好きでもない相手に告白する。
ただ単純に可愛い子だなって思っただけの子に告白するだけだった。
正直俺には恋というものが分からない。
父親が死んだあの日から、逃げる様に馬鹿みたいに喧嘩する俺の人生も、恋愛すれば何かが変わるんじゃないかと思ったから告白を決意したにすぎなかった。
「あっ! お兄ちゃん焦げちゃうよ!」
「へ? ――っうお!」
危ない危ない。
ギリギリセーフかな?
考え事をしながらの料理は危険だな。
なんて思いながらハンバーグを裏返して見ると、見事に焦げていた。
どうやらギリギリどころか完全にアウトだったようだ。
おかげで妹が涙目になっている。
「あー。ハンバーグがぁ……」
「ははは。……すまん。焦げたのは俺の弁当に入れるから心配すんなって。みゆのは今からまた焼くからさ」
そう言って妹の頭を撫でて最後にポンポンと軽く叩くと、妹は嬉しそうに微笑んだ。
「うん」
よし。
今度は余計な事を考えずに料理に集中しよう。
◇
朝ご飯と弁当を作り終えると、母親を起こして家族皆で朝ご飯を食べる。
食事中に妹が告白の話題を出して、母親に「相手に失礼」と言われた。
俺だってそのくらい分かってる。
それに、ただ手当たり次第適当に告白するわけじゃない。
ちゃんと気にはなっている……好きなわけではないけど。
でも、最初は皆そんなものだろとも思うし、だから失礼じゃない筈……自身は無いけど。
朝ご飯を済ませると、学校へ行く準備をして妹と家を出た。
妹を途中まで送り、そのまま自分の学校へと向かう。
妹と別れた後に、他校の不良やらに絡まれるのもお約束。
こいつら懲りずに毎日毎日来るけど、よっぽど暇なのかと思ってしまう。
俺の日常は毎日がこんな感じだ。
あの時から直ぐに喧嘩をするようになった俺も、恋人が出来れば変われるだろうか?
と、ほんの少しの期待を胸に抱き、桜を綺麗に咲かせた校舎裏の木の下に、放課後に告白する相手を呼び出した。
◇
「まだ時間は……あるな」
放課後になり、告白する相手より先に校舎裏に到着して、相手を待つ。
腕時計で時間を確認して、着なれた学ランを綺麗に正す。
「変じゃないよな?」
手鏡で髪型を確認して整える。
髪型を整えながら母親の言葉を思い出した。
「相手に失礼……か」
考えてみれば……いいや、考えなくても分かる事だ。
指摘された時だって、それは思った事で失礼だ。
やっぱり告白はやめた方がと、俺の心は揺らいだ。
するとその時、背後から「お、お待たせ」と声をかけられた。
驚いて振り向くと、どこか少し緊張した様子で、俺に呼び出された女の子が立っていた。
その様子を見たせいか、俺も緊張してしまう。
「お、おう」
「はな……話って何かな?」
“ヤバい”と言う三文字が頭の中をよぎる。
さっきまで考えていた事が、何処かに吹っ飛んでしまう程に緊張具合がもの凄い。
額や手に汗がにじみ出る。
告白するという事が、こんなに大変な事だとは思わなかった。
「えと……。その……」
何だっけ?
失礼な事だから告白する?
いや違う違う。
意味が分からないだろ、それじゃ。
でも好きじゃないのに告白するのも意味不明だし……あれ?
告白するんだっけ?
最早俺の頭の中は完全に混乱していて、気付かぬうちに目が泳ぐ。
どうする?
どうしたいんだ俺!?
ここに呼び出したのは告白する為なんだから、とにかく告白をするしかない!
考えるのは後だ!
半ばやけくそ気味になる俺は、何もかもが見えなくなっていた。
だから、俺は気付かなかったんだ。
「つまり……そのだな」
俺の体が淡い白い光に包まれながら、徐々に消えている事も。
「――っ!?」
だから俺は気付けなかったんだ。
「お……おー……」
目の前にいる女の子が、俺の体の異変に気づいて動揺している事も。
「お――」
腰を四十五度まげて告白の言葉を告げようとしたその時、俺は光の粒子となって、この場から姿を消した。