10話 魔人との遭遇
※今回はベル側の三人称視点のお話です。
話は少し遡り、ヒロが穴に落下した直後。
ベルとメレカは落ちて行ったヒロをナオに任せて、二人で洞窟の奥へと進んでいた。
「ヒロくん大丈夫かな?」
「ナオが直ぐに後を追ったので無事でしょう。姫様が気にされる必要はありませんよ」
「……うん」
ベルの表情は曇っていて俯いているし、少し震えていて怯えている。
メレカも先日のネビロスの件があった為か、そんなベルの姿を見ても上手く言葉をかけられず、ただ自分の不安を隠すのに精一杯だった。
今まで二人は、ただひたすらに頑張りここまで来た。
だから、それがヒロがいなくなった事により、不安になった。
確かにヒロは頼りない程に弱いが、それでも二人にとって【聖なる英雄】と言う存在は、心の支えになっていたのだ。
そしてそれは、予言に縋ると言うだけの問題でも無くなっていた。
あの時、ネビロスが現れた時に「逃げろ」と叫んだヒロの功績は、二人の心をそうさせるだけの力があった。
あの時もしヒロが叫ばなければ、間違いなくあの場所で二人は死んでいただろう。
「そろそろですね」
ベルの前を歩くメレカが口を開いた。
ただ、それは洞窟の最深部にそろそろ着くと言う意味で発した言葉ではない。
洞窟に入る前に感じた魔力の主、つまりは魔族がいる事を示している。
ベルは震える手を止める為に杖をギュッと握りしめ、メレカは今まで以上に警戒を強めた。
魔族の存在は、二人にとってトラウマだ。
封印の儀式が失敗に終わり、平和で幸せな日々が終わった。
世界が魔族と言う闇で覆われて、大切な人の命が奪われてしまった。
あの日からベルは心の底から笑わなくなった。
そしていつの間にか、元気であろうと、明るくあろうと、いつも演技をして明るく元気に振る舞うようになった。
メレカもベルが産まれた時から従者として側にいた身なので、そんな事は分かっていた。
だからこそ、辛い気持ちを抑えて明るく振る舞うベルを、命に代えても護ろうと決めている。
儀式が失敗してから、どうしても嫌な事を考えてしまう自分の感情を抑えて、ベルを護る為に今まで以上に常に冷静であろうと心に決めた。
それでもあの日、ネビロスが再び二人の前に現れた時、ヒロが叫ぶまでメレカは動けなかった。
そして、それがきっかけで自分の心の弱さを知り、魔族に対して一種のトラウマを抱えている事に気づいた。
ベルにとってのメレカは、いつも強気で冷静で、かっこよくて憧れる姉のような存在。
だけど、メレカが自分と同じように心に傷を負ってしまった事を、ベルは気付いていた。
ベルだってメレカと過ごした時間は誰よりも長いのだ。
平静を装っているのなんて見れば分かってしまう。
実を言うと、ベルが明るく振る舞うのは、メレカの事を思っての部分が大きかった。
それにはきっかけがあった。
儀式に失敗してメレカと二人で逃げた時に、城に戻らず【英雄召喚の儀】をするべきだと提案したのはメレカだった。
それが無ければ、ベルは儀式の失敗と言う悲惨な結果だけを残し、英雄を召喚する事も無く帰っていただろう。
そしてその結果、助けられたはずの命を助けられなくなってしまう。
だからこそ、ベルはメレカに感謝し、そして明るく振る舞うようになった。
あの日から塞ぎがちなメレカの為に、せめて自分は明るくあろうとした。
それに、それだけじゃない。
ベルはメレカにいつも護らている。
主従関係だからと言ってしまえば、それまでかもしれない。
しかし、ベルにはそれが凄く辛かった。
護られるだけでなく、自分も護りたいと考えていた。
それでも、ベルは今の関係を崩せないだろう。
ベルを護る事がメレカの望む事で、ベルにはそれが分かっているのだから。
だから、ベルは静かに心に誓った。
いつも通りに明るく振る舞い、そして涙は見せないと。
どんな時でも、明るく元気な自分であろうと。
何事にも挫けずに、前を向こうと。
儀式に失敗した無能な自分だけど、メレカに護ってもらえるだけの価値のある自分になろうとしたのだ。
ベルは震える体を震えるなと言い聞かせ、メレカは今度こそは必ず護ると覚悟を決める。
そして、二人は発光する魔石をしまって、音が出ない様に慎重に歩いた。
少し先に角があり、その角を曲がった所から、二人は魔族の魔力を感じていた。
角まで来ると、メレカが慎重にその先へと顔を覗かせる。
するとそこには、魔人の姿があった。
魔人の姿を見たメレカは、その姿を確認すると少しだけ安堵する。
何故なら、その魔人がネビロスではなかったからだ。
メレカはベルに振り向き声を抑えて話しかける。
「やはり魔人がいるようです」
「うん」
ただ、一つ気になる事があった為、メレカは再び魔人を見て言葉を続ける。
「しかし、アレは何をやっているのでしょうか……?」
魔人は魔石が壁からむき出しになっている場所にいて、魔石の幾つかが発光して周囲を照らしているおかげで、魔人がハッキリと見えていた。
性別は恐らく男の魔人。
肌は赤く、それは発光する魔石の色とは関係なく、元々その魔人の肌が赤色なだけ。
それから髪はライオンの様で、身に着けているのは執事が着る様な服。
どちらかと言うとこんな洞窟の中では無く、豪邸で主人のお世話が似合う格好のその魔人は、魔石を小剣で掘り出していた。
そして、魔人の足元には、掘り出したであろう魔石がごろごろと転がっている。
「魔石の採掘?」
「何故魔人が魔石を? 何に使うのでしょうか?」
「分からないけど、やめさせた方が良いよね? 魔石の魔力を使って、誰かを苦しめるかもしれな――」
「――そいつは困るのであーる」
それは突然だった。
ベルが話している途中で、それを遮る様に二人の背後から声が聞こえたのだ。
ベルとメレカはその声に驚くも、直ぐにその声を発した何者かから距離をとり構えた。
そして、その声の主を見て驚愕した。
何故なら、その声の主は先程魔石を採掘していた魔人だったからだ。
「いつの間に背後に!?」
メレカは小杖に魔力を集中し、いつでも魔法を発動出来るように備える。
「いやはや。驚かせてしまったかね? お嬢さん方。わたーしは魔人イポスであーる。以後、お見知りおきを」
癖の強い話し方をするイポスと名乗った魔人は、何を考えているのか深々と頭を下げた。
その姿は礼儀正しく姿勢も良い。
しかし、その様子からは考えられない程の殺気を、全身から漂わせていた。
そのあまりにも強い殺気に、ベルは唾を飲み込み、恐怖を隠す為に杖を強く握りしめた。
「しかーし、困りましたねー。わたーしは戦闘があまり好きではありませーん。それでも見られてしまった以上は、お嬢さん方を殺さなければなりませーん。実に残念であーる」
瞬間――先程までに感じていた強烈な殺気を遥かに超える凄まじい殺気が、ベルとメレカを包み込む。
その殺気の凄まじさにベルは気を動転させ、それを見たイポスがベルを狙い接近して小剣を振るう。
しかし、メレカが直ぐにベルの前に立ち、小杖から魔法陣を展開させる。
「ブレイドウォーター!」
メレカの小杖が水の刃を纏い、イポスの小剣とぶつかり合う。
洞窟内に刃と刃がぶつかり合う甲高い音が鳴り響き、小剣を止められたイポスが、後ろに跳躍し距離をとった。
「ほー。今ので仕留められなかったとは、わたーしも腕がだいぶ鈍っているようであーる。封印されし時の時の流れは残酷であーるな」
メレカは小杖を持った手が痺れるのを感じ、小杖を強く握りしめ直した。
「ネビロスの時と違って動きにはついていけそうですが、やはり魔人ですね。油断したら間違いなくこちらが殺られます」
「メレカ、ありがとう」
「いえ。それより姫様は援護をお願いします。私は接近して奴を攻撃します」
「うん!」
メレカがイポスに向かって走りだし、ベルは魔石を取り出して、杖を構えて魔法の詠唱を始める。
「はあっ!」
メレカが声を上げてイポスに斬りかかり、イポスがそれを小剣で受け止める。
二人の刃が何度も交わり、洞窟内に剣戟の音が幾度も響き渡った。
「しかーし、こんな事になるーのならー、ネビロス様の仰った通ーり、暴獣を何匹か連れて来ればよかったのであーる」
「――っ! ネビロス!? それに暴獣だと!?」
イポスの言葉にメレカは動揺して隙を見せる。
そしてイポスはそれを見逃さない。
イポスの小剣がメレカの顔を串刺しにしようと刺突され、メレカはそれを寸でで避けた。
だが、無傷とはいかない。
頬が切られ、斬られた頬からは血が流れた。
体勢を立て直す為にも、メレカは一旦距離をとろうとするが、イポスの追撃してメレカを追った。
そしてその次の瞬間、洞窟内が激しい光に包まれる。
「ライトニードル!」
瞬間――ベルが構えた杖の先にある魔法陣から、光の針が飛び出して、それはイポス目掛けて光速で飛翔した。
「――っごふ」
メレカを追う事に集中し、突然の光に判断が遅れたイポスは、光の針の直撃を横腹に受ける。
しかし、判断が遅れて直撃を受けたとは言え、流石は魔人と言った所。
傷は想像以上に浅く、イポスは直ぐに体制を整えた。
「ほー。光属性の魔法ではないかー。わたーしは非常に運が良い! こんーな所で、封印の巫女と出会えたのであーる。封印の巫女の首を持ち帰れば、ネビロス様の罪も少しは拭えまーす」
「姫様の首を持ち帰る? させるわけないでしょう!」
ネビロスの罪と言う言葉も気になるが、それよりもベルの首を持ち帰ると言う言葉が聞き捨てならないメレカは、再びイポスとの距離を縮めて攻撃を仕掛けた。
メレカの水の剣とイポスの小剣がぶつかり合い、洞窟内に音が何度も鳴り響く。
「タンバリンで大人達が消えている事件。知っている事があれば説明しなさい!」
「ほー。アレを知っていましたかー」
イポスが後ろへ跳躍し距離をとり、小剣の剣先をメレカに向けた。
「スティレット――」
イポスの持つ小剣の剣先を中心に、無数の魔法陣が浮かび上がる。
「メレカ下がって!」
「――っ!」
「――ダークネス!」
ベルがメレカに向かって叫んだと同時にイポスが呪文を唱え終わり、その瞬間に、無数にある魔法陣から黒く禍々しい光を放つ小剣が放たれた。
メレカは直ぐにベルの側まで下がり、ベルとメレカ目掛けて飛翔する黒い小剣に向かってベルが小杖を構えて魔法陣を浮かび上がらせる。
「ウォールライト!」
瞬間――魔法陣から光の壁が出現し、間一髪で大量に襲いくる黒い小剣を光の壁で防いだ。
ベルの魔法が全てを受けきると、メレカはすぐに小杖をイポスに向けて構えて魔法陣が浮かび上がる。
「バレットウォーター」
水の銃弾が放たれ、イポス目掛けて飛んでいく。
しかし、イポスはそれを軽々と避け、直ぐにベルとの距離を縮めて、小剣で斬りかかる。
「ブレイドウォーター!」
メレカが小杖に水の剣をかけなおして、イポスの小剣を止めた。
「答えなさい! どうやって暴獣を操っている!? お前達魔族は、ここで何をしている!?」
「答えるわけなかろー?」
イポスがニヤリと笑みを浮かべ、イポスの膝がメレカの腹部を殴打する。
「ぐぁ……っ!」
メレカは腹部に受けた衝撃で後方へ吹っ飛び、壁に激突してしまった。
「――メレカ!」
ベルはメレカの所まで駆け寄ろうとしたが、イポスに首を掴まれてしまう。
そして、イポスに首を掴まれたまま、持ち上げられてしまった。
「くっ……ぅっ…………!」
「あなーた達の実力を見る為にー、手加減をしていまーしたが、飽きてしまいまーした」
イポスはそう言いながら、ベルの首を絞め始める。
ベルはそれを振り解こうともがくけど、ベルの力では力不足でそれが出来ない。
「あ……ぁっ……」
ベルの意識は徐々に朦朧としていき、もがく力も弱まっていく。
「バレットウォーター!」
メレカが放った水の銃弾がイポスの腕を襲い、イポスがベルを離す。
そして、ベルは地面に落ちて、その場で首を手で触れて「けほっけほっ」と咳き込んだ。
「良かった。間に合った」
メレカはベルの様子を見て、無事である事を安堵する。
そして、立ち上がろうとして、足の裏に若干の痛みを感じた。
それは足に傷を負ったからと言うものでは無く、硬い何かを踏んでと言うもの。
確認すると、魔石が幾つも転がっていて、その中の一つを気づかずに踏んでいたからだった。
「これは……」
何かに気づき呟くと、メレカはイポスに向かって走り出した。
そして、直ぐに二人の距離は縮まり、メレカが水の剣でイポスに斬りかかる。
「仕方ないのであーる。そこまで先に殺されたいのなーら、貴女から先に殺してさしーあげましょー」
イポスはメレカの斬撃を小剣で受け流し、そのまま流れる様に小剣で斬りかかる。
メレカはそれをギリギリの所で避け、小杖をイポスに向けて魔法陣を浮かび上がらせる。
「バレットウォーター」
「スティレットダークネス」
魔法と魔法が衝突し、メレカの放った魔法が相殺された。
そして、イポスが小剣をメレカに突き付け、メレカはそれを斬り払って、そのまま再び魔法を放つ。
「バレットウォーター」
イポスはメレカが放った水の銃弾を小剣で切り払い、そこから斬撃をメレカに向ける。
メレカは斬撃を水の刃で受け止め、更に小杖に先に魔法陣を浮かび上がらせる。
「マインウォーター! セット――」
イポスはメレカの魔法に警戒するが何も起きない。
魔法が発動されたのか、魔法陣は既に消えている。
イポスが警戒していると、そこへメレカは斬りかかる。
メレカの斬撃をイポスが小剣で受け、反撃の斬撃を繰り出した。
しかし、メレカもそれを水の刃で受け止める。
そして……。
「――バレットウォーター! シュートディスターバンス!」
瞬間――魔力を帯びた水の銃弾が周囲に出現し、それが全方位からイポスを乱れ撃つ。
「――なにい!?」
流石のイポスもこれには驚き、目を見開く。
この魔法の正体は、これまでメレカが使用した宙に四散した水だ。
イポスに命中する事なく四散したバレットウォーターの水が宙を漂い、それをメレカが利用したのだ。
だが、やはりと言うべきか、魔人イポスを倒すには今一歩足りない。
何発か攻撃を与える事は出来たが、瞬時にその場から移動され、イポスは直撃を免れていた。
だけど、絶好の好機には違いなく、メレカもイポスを逃そうとはしない。
直ぐに追いつき、逃げたイポスの腹部に、ピタリと小杖をつけて魔法陣を浮かび上がらせる。
「くらいなさい! ショットウォーター!」
次の瞬間、魔力を帯びた水の散弾が、零距離でイポスの腹に直撃した。
「――ぐおおおおおおおっっっ!」
メレカは更に魔力を小杖に集中させる。
「ブレイドウォーター! ジャギド!」
小杖を魔法陣が通り抜け、水の刃がギザギザの刃となって、メレカはイポスの顔に斬りかかる。
しかしその時だ。
イポスがライオンともダチョウとも見える姿に変形して、寸での所で避けられてしまった。
そして、イポスはそのままもの凄い速度で走り、メレカから距離をとってしまった。
「まったくもって不愉快極まりないですねー。まさか宙に四散した魔法の残骸を、他の魔法に切り替える為に残していたーだなんてー。流石に気がつかなかったのであーる。しかーも、それすら囮で次の一手を入れて来るとーはー、わたーしの嫌いなこの姿、魔従化をしなければ殺られていたのであーる」
「魔従……化? 魔人ではなかっ――がっぁ……っ」
それは一瞬だった。
恐ろしい程までの速さで、メレカにイポスが接近し、メレカの脇腹を小剣で斬り裂いたのだ。
「――メレカ!」
状況は一変する。
メレカが大量に血を流し、その場で倒れてしまった。




