30話 妹は兄の居ぬ間に成長する
ハンガーの船で航海を始めて数日が経ち、メレカさんの処刑まで残り一週間をきっていた。
俺達が水の都を出る頃にはリビィが攫われた話が都中に広がっていて、俺達が出港して直ぐに、王族の船も出港していた。
本人を直接見たわけでは無いが、恐らく女王は乗っていた筈だ。
本来であれば、生贄の儀式の日までは余裕があるので、王族の船と言っても光速で直ぐに進むと言う事は無いらしい。
だが、今回は別だった。
よほど焦っていたのだろう。
出港後、王族の船は直ぐに光に包まれて、一瞬で消えたのだ。
これには俺も不味いんじゃないかと思ったが、ここでみゆの音魔法が実に良い働きをしてくれた。
みゆは「真打ち登場~!」とドヤ顔で甲板に仁王立ちして、音魔法で船の速度を音速に変えたのだ。
まさかすぎる音魔法の使い方に驚いていた俺だったが、どうやらこれと同じ方法でシャーン海賊団から逃げたらしく、ベルは「凄いよね」と驚く事なく笑顔だった。
とまあ、そんな感じで音速で航海をしたわけだが、問題が起こって今に至る。
「オフィクレイドまで後何キロだっけ?」
「「五万二十一キロです」」
「聞きたくなかった……」
「「じゃあ聞かないで下さいよ」」
「お兄ちゃーん! お昼ご飯休憩だよー」
「おーう」
俺を呼びに来たみゆに返事して、俺は持っていた櫂を離す。
櫂と言うのは、人の力で船……ボートなどを漕ぐ為の、あの細長いやつだ。
そう、人の力で……。
と言うわけで、俺達の乗る船は、今や人力で動いている。
簡単に何でこんな事になったか説明すると、音速に耐えられなかった船が壊れたから。
それ以上でもそれ以下でも無い。
そんな虚しい理由だ。
まあ、元々音速で動く様に作った船じゃなかったわけだから、壊れて当然だった。
とりあえずこれ以上は船への負荷をかけさせれないので、みゆの音魔法は禁止になっている。
昼飯を食いに食堂まで来ると、先に来ているナオに手招きされて席に着く。
机には既に食事が置かれていて、今日のメニューはパン各種とサラダと、キノコとベーコンが入ったクリームパスタに、それからコーンポタージュだった。
「今日は私もみゆちゃんに教えて貰いながら、サラダを作ったよ」
「野菜を乗せてただけにゃ」
「そ、そうだけど、頑張ったもん」
「美味しそうに盛り付けるのだって工夫がいるから、べるお姉ちゃん偉い! 美味しそう!」
「そ、そうかな? えへへ」
なんとも微笑ましい会話である。
船旅が始まってから、みゆがベルに料理を教えていて、ナオも一緒になって教わっていた。
みゆ曰く「花嫁修業だよ、お兄ちゃん」らしい。
ベルは王女なんだから、料理なんて出来なくても良さそうなもんだが、まあ、俺がとやかく言う話でも無いから言わないでおいている。
「「因みにこの微妙に切れてないベーコンを切ったのは、どちら様ですかい?」」
「ニャーだにゃ。爪で斬ろうとしたらみゆみゆに怒られて、包丁で切ったにゃ」
ナオが少し不満気に話すと、みゆが眉根を上げてナオを見る。
「衛生的に駄目なのです!」
「にゃー。ちゃんと手を洗ったから、ちょっとくらいなら大丈夫にゃ。ヒイロへの愛でカバーするにゃ」
「ダメ! 確かに料理は愛情だよ。でも、自分勝手な愛情はノーセンキューだよ! 必要なのは、愛情の中にある思いやり! 自分が出されて食べれない料理は、愛情では無く一方通行な自己満足なのだ!」
最後にはフウラン姉妹顔負けの決めポーズを披露する行儀の悪い我が妹みゆ。
兄としては、愛情も良いが、食事のマナーは護ってほしい。
「「おお、流石はみゆ様。伊達にその道を何十年も極め続けただけはあるんだぜ」」
何十年どころか、みゆはまだ小五で誕生日前の十歳だ。
まあ、面倒なので放っておいて、俺はまずサラダを食う。
うん、美味いな。
「にゃー。ニャーは爪で斬ったベーコン食べれるにゃ。ヒイロも食べれるにゃ。この前ニャーが爪で斬った果物食べてたにゃ」
「あー、あったなあ……って、言われてみればそうだな。なんか気にせず食ったけど……」
そう、あれは王都フロアタムに滞在していた時の話。
珍しい果物が手に入ったとナオがそれを持ってやって来て、目の前で爪で斬って食べた。
なんかその場のノリで気にせず食べたが、今にして思えば気にしろよって思う。
なんて事を思いだして考えていると、みゆが俺にジト目を向けてから、ナオに視線を戻した。
ちょっとだけ不機嫌気味に……。
「ふ~ん。じゃあ、ナオちゃんはサルガタナスって人が爪で刺したベーコンを、美味しく食べれちゃうの?」
「にゃー? 何でそこであのピエロが出てくるにゃ?」
「なおちゃんも会った事ある人で、嫌がりそうな人を考えたら頭の中に浮かんだの。うるべくんの国で会った事あるって聞いたよ。ね? お兄ちゃん」
「ん? ああ」
いきなり話をふられたので、口に運びかけていたパスタを巻いたフォークを一先ず置いて、みゆではなくナオに視線を向ける。
「港町トライアングルでサルガタナスに会ったんだよ。それでみゆも知ってるんだ」
「にゃー……。そう言えば、そんな事聞いたにゃ」
「それで、なおちゃんは食べれるの? 食べれないの?」
「絶対ごめんだにゃ! あんな奴の爪が刺さった物なんて、口に入れるのだって嫌にゃ!」
「ほら。嫌でしょ? それが答えなのです! だから、ちゃんと包丁を使いましょう!」
「にゃ~。分かったにゃ……」
ナオが尻尾を垂れさせて、耳まで垂れる。
みゆは「分かれば良いのだ」と頷いて、漸く「いただきます」をした。
「あ、そうだ。ヒロくん、ハンガーがヒロくんに話があるって言ってたよ」
「俺に? なんだろ?」
「「もっと速く漕げと言う最速では?」」
「それだとフウとランもだろ。っつうか、船漕ぎの配分おかしいよな?」
「「結構妥当かと~」」
「ヒロくんの言いたい事も分かるけど、仕方が無いと思う」
「にゃー。分かったにゃ。ヒイロは、フウフウとランランが夜間に回れば丁度良いと思ってるにゃ」
「おお、お兄ちゃん言うね~」
「言ってねえよ」
ため息が出そうになった。
と言うのも、何がおかしいのかと言うと、船を漕ぐ担当の時間帯の割り振りの話だ。
人力で船を動かす事になって誰がどの時間に漕ぐかを決めたのだが、その結果、俺とフウラン姉妹が朝から夕方にかけての八時間で休憩込になった。
そして、残りの十六時間の夕方から深夜と深夜から早朝にかけては、ハンガーが一緒に連れて来た船の乗組員だ。
尚、乗組員は全部で三十名ほどいて、十五名と十五名で分かれている。
つまり、朝から夕方の時間は三名しかいないのに、他の時間はその五倍も人がいるのだ。
「さてはお兄ちゃん、わたしが側にいなくて寂しいんでしょー? 仕方が無いなあ」
「ねえよ」
「そう言う事なら、ニャーが一緒にいてあげるにゃ」
「なんでそうなる? っつうか、ナオはもしもの時の為に備えて、待機して体力の温存だろ」
「実は暇にゃ」
「羨ましい文句だな……」
「うーん……あっ。お兄ちゃん、チャンスだよ! フラグを立てちゃえ!」
「は? チャンス……? フラグって何のだよ?」
突然みゆがおかしな事を言うので、ジト目を向けて聞き返してやった。
すると、みゆはニコニコと笑みを浮かべて「わたし天才かも」なんて馬鹿な事を言っている。
ベルとナオとフウラン姉妹は首を傾げて、頭にクエスチョンマークを浮かべていた。
そんな中、みゆは再び行儀悪くポーズをとり、ドヤ顔で口を開く。
「海賊船に襲われちゃえばいんだよ!」
「いや、マジで意味わかんねえよ」
「う、うん。みゆちゃん、どう言う事?」
「えっとね、しゃーく海賊団? の船が、光の速さで移動出来るんでしょ? だから、襲われて、逆に奪っちゃうんだよ」
「シャーン海賊団な。それに、そんな事起きるわけないだろ。あの連中が何処にいるのかだって分からないんだぞ? あり得ないっての」
「「ですなあ。流石にこの広い海……基海底で出会うなんてありえませんね。それに我々は二度と会いたくないです。前の二の舞はごめんなんだぜえ」」
「あ、みんな伏せた方がいいかも」
「は……?」
次の瞬間、大きな音と共に、船が突然大きく揺れた。
「――っな、なんだ!?」
「お兄ちゃんとふうお姉ちゃんとらんお姉ちゃんナイスだよ! フラグ回収成功だね!」
「言ってる場合か!? って、フラグ回収!?」
船は傾き、アラートが鳴る。
そして、乗組員達の叫び声と共に、まさかの「シャーン海賊団だ!」と言う声まで聞こえてきた。
「音の魔法で海賊の船が近くにいたのが分かったから、もしかしたらって思ったんだよ。だから、フラグ回収って言ったの」
「はあ!? だったらそう言えって、冗談を言ってる場合じゃないだろ!」
「もう、お兄ちゃん落ち着いてよ。かっこ悪いなあ」
「みゆ、分かってるのか? これは遊びじゃなくて現実なんだぞ? 下手すると誰かが死ぬんだ」
「うん、そうだよ。遊びじゃないよ。わたしだって真剣だもん。だから、わたしはお兄ちゃんと離れ離れになってから、ずっと頑張ったんだもん」
「……みゆ?」
「見ててね? お兄ちゃん。わたしだって戦えるんだよ」
みゆの顔は真剣で、決して冗談を言っている顔では無かった。
そして、みゆは魔力を全身に集中して、周囲に楽器を召喚していく。
その中には、いつの間に手に入れていたのか、水の都フルートに封印されていたであろう楽器魔法“フルート”もあった。
「いっくよー!」
みゆが大声を上げた次の瞬間、トライアングルが鳴り響き、カスタネットが何度もタンタンと音を鳴らす。
そして、みゆはフルートを手に取って、それで演奏を開始した。
瞬間――何処からともなく叫び声が大量に聞こえて、船の揺れが治まった。
そして、ナオが新しく水の都で手に入れた魔爪を装着して、猫の様な体勢で駆け出した。
「突撃にゃー!」
「あ、ナオ!」
ナオの名を呼ぶも、既にナオは食堂を出て行ってしまった。
「お兄ちゃん、甲板に十八人と船内に六人。それから、操舵室に二人いるよ。はんがーおじさんは操舵室でその二人と戦ってる。他の船員さん達は海賊から逃げてるから、タンバリンで足止め中だよ」
「――っな。みゆ、そんな事まで分かるのか!?」
「うん。音の反響で分かるよ」
「マジか……」
どうやら、俺はみゆを見くびっていた様だ。
海賊に襲われて離れて再会してから、一応それとなくベルからみゆの事は聞いていた。
毎日強くなるんだって必死に頑張っていると。
その成果がこんなに凄い事なんだから、妹の成長に兄としては大いに喜びたいってもんだ。
ただ、喜ぶのは後だ。
「みゆ、来い!」
「うん!」
俺は屈んでみゆに背を向けて、みゆは俺の背中……では無く、俺の頭に向かって飛び込んできた。
飛び込んできたみゆの足をしっかりと掴み、そして立ち上がる。
肩車の完成だ。
「「ヒロ様、それじゃあ両手が塞がって逆に動きにくいのではないですかい?」」
「フウラン姉妹ともあろう者が、そこい等の兄妹基準で判断しないでもらいたいな」
「わたしとお兄ちゃんの肩車歴は百年だもんねー!」
「なんでそこでサバ読んでんだよ。ま、とにかくだ。プライドの欠片もねえカス共にみゆを誘拐された時に、何度もこれでぶっ潰してきたから問題無い。こっちの方が逆に安全なんだよ」
「ヒロくんとみゆちゃんって本当に仲良しだね」
「うん! よーし、いけー! お兄ちゃんゴー!」
「はいよ!」
みゆの合図で俺は走り始めて、ベルとフウラン姉妹が俺の後を続いて走る。
進む方向はみゆの指さした方向だ。
そしてその直ぐ後に、甲板の方から重みのある低い音が聞こえてきた。
「お兄ちゃん! 甲板! 甲板に急いで! デカいのが来た! このままじゃ船が潰されちゃう! わたしの魔法じゃ押さえられないよー!」
「はあ? 船が潰される!? おいおい、どんなのが来たんだよ!?」