28話 生贄の意味
※今回もメレカ視点のお話です。
過去の事を思いだして物思いにふけると、不思議な気分になった。
母から誕生日の日に貰った魔銃アタランテ。
その思い出は意外とあっさりしていて、思いだすのは姫様との日々。
そして、慈愛に満ちた王妃様や国王様の事。
それなりに過酷な人生を送ってきたと自分でも思っているけれど、それでも、一番昔の事で思いだすのはあの時の日々だった。
だからと言って、母がどうでも良いとは思っていないし、バセットホルンの民も愛している。
それでも、魔銃アタランテが処分されると聞いて、意外とショックは小さかった。
これがもし幼い頃の私であれば、泣き叫んでいただろう。
だけど、今の私は驚きはするものの、仕方がないとさえ思えてしまう。
ただ、仕方がないとは言え、やっぱり思い出の詰まった物が無くなるのは悲しいものだ。
物思いにふけっているとオフィクレイドに到着した様で、船が停泊したのが分かった。
「ねえ? あんたはさ、魔族になりたいと思った事ある?」
「……魔族に? 何を言っているの?」
「へえ。魔族って言葉には反応するんだ? 巫女と行動を共にしていたってだけはあるのね?」
イザベラは体に巻いた布を剥がして、もたれかかっていた壁から背中を離して立ち上がった。
そして、私の目の前に移動して、ニヤリとした笑みを浮かべる。
「うふふ。お迎えが来たみたい」
「迎……え…………?」
私が言葉を繰り返した次の瞬間、私の背後に誰かが立った。
それは突然の出来事で、どうやってここに近づいて来たのか分からなかった。
そして、背中から感じる強大で邪悪な魔力に、私は咄嗟に振り向きながら距離をとった。
私の背後に立っていたのは、天使の羽を持つ長身で顔の整った男だった。
しかし、その羽は黒く染まっていて、禍々しさが感じられる。
「やあ、はじめまして。君がイザベラの姉のアマンダだね。僕はルシファー。そうだな……これでも魔軍三将の内の一人なんだ」
「ルシファー!?」
私はこの男の名前を知っていた。
魔人ルシファーと言うその名前を、ウルベ様の妹君であるチーワ様から聞いたからだ。
チーワ様の話では、この男は王都が魔族に支配されていた時に、ほんの少しだけ滞在していた。
そして、チーワ様が飲まされそうになった化け物になる何かを持って来たのは、ルシファーと言う名の男だったと言っていた。
私はそれを思いだし、先程のイザベラが話していた言葉を思いだした。
「イザベラ、貴女まさか!?」
「うふふ。気づきまして? そうよ。ルシファー様から魔族化する為の薬を頂くのよ」
「馬鹿な事はやめなさい! 取り返しがつかなくなるわよ!」
「問題無いわ。魔族化して、あたくしはルシファー様にお仕えするの。今から凄く楽しみだわ」
「困った子だね、イザベラ。僕ではなく邪神様に仕えろと言っているだろう? 君を使うのは僕だけど、あくまでも魔族は皆が邪神様の配下だよ」
「分かっております、ルシファー様。でも、あたくしの身も心もルシファー様のものです」
「イザベラ、貴女は――――っくぅ!?」
それは一瞬で私の身に起こる。
枷を付けられていた私の手足は黒い光に呑まれて、大の字の様に両手と両足を広げられた姿で、私の体が宙に浮かんだ。
「ところで、生贄が足りないね。イザベラ、君がなるのかな?」
「いいえ。その点については既に手は打ってあります。あたくしの父タンカーが期日までに届けてくれる予定です」
「ああ。そう言えば、まだ約束の日では無かったね。安心したよ。生贄は必ず必要だからね」
イザベラとルシファーの会話に、私は違和感を感じ、嫌な予感がした。
「ルシファーと言ったわね? 何故貴方が聖獣様の生贄の心配をしているの? 貴方達魔族には関係のない事でしょう?」
睨みながら問うと、イザベラが私を睨みながら近づき、私の頬を叩いた。
「ルシファー様の名前を気安く呼ぶんじゃないよ! だいたいねえ、あんたの様なクズはルシファー様と会話出来るだけでもありがたいってのに、呼び捨てとかなめた事してんじゃないよ!」
イザベラが怒り狂う様に何度も私の頬を叩き始め、数分それが続いた後に、漸くそれが治まった。
長い間に何度も繰り返し頬を叩かれ続けた私は口の中を切り、口から血が流れ落ちる。
それを見てイザベラは鼻で笑い、私から離れてルシファーの許に戻って行った。
そして頬を染め、トロンとした表情をルシファーに向ける。
「ルシファー様、クズが申し訳ございません」
「なに、気にしないさ。それに、彼女が疑問に思うのも無理ないだろうね。だから、君の口から教えてあげるといい」
「はい。仰せのままに」
イザベラはルシファーから私に視線を向けると、さっきまでの表情とは比べ物にならない程の冷たい視線を私に向けた。
「聖獣リヴァイアサンは既に魔族化して魔従になってる。それが答えよ」
「――――っ!? そんな……」
「後それから一応教えてあげるけど、生贄が二人必要なのは、リヴァイアサンに捧げる為じゃないわ。と言うか、あんたは変だと思わなかった? 生贄が二人もいるのが」
確かに変ではあった。
何故なら、生贄は本来一人で良い。
でも、カルクの娘である私と、タンカーの娘であるイザベラを殺す為だと私は思っていた。
お母様はいずれカルクの娘である私を殺すだろうとも思っていたし、それは境遇が似ているイザベラも同じ。
だから、人数なんて疑問にも思わなかった。
「それは、私と貴女を同時に生贄に――」
「違うわよ。あんたって思っていたよりも馬鹿なのね。うふふ。あ~可笑しい。本当の理由はね、オフィクレイドに隠されている【宝鐘】の封印を解いて手に入れる為よ」
「――なんですって!? 宝鐘の封印を解く……? でも、貴女が……貴女達がそんな事出来るはずがないわ。宝鐘の封印の解除は姫様……封印の巫女にしか出来ないのよ? 生贄を使うなんて聞いた事が無いわ」
「簡単よ。神殿に隠れていた宝鐘の守り人を殺す前に、その原理をルシファー様が聞き出したのよ。それで巫女無しでも解ける方法を見つけ出したの」
「――なんて事を! イザベラ! 今直ぐルシファーと手を組むのを辞めなさい! 魔族に宝鐘を渡しては駄目よ! あれは姫様、封印の巫女が邪神を封印する為に必要な物なのよ!」
「あははははっ。どうしたのよ? さっきから思ってたんだけどさあ。本当に急に饒舌になったじゃない? 面白い女ねえ。だけどね、あたくしは言ったわよね? あんたの様なクズが、ルシファー様を気安く呼ぶなってさあ」
イザベラが私を睨み、私に向かって駆けだそうとして、ルシファーに肩を掴まれて制止する。
「駄目だよ、イザベラ。彼女は大事な生贄だ。死んでしまっては魔力が抜けてしまうよ」
「ルシファー様。でも、あの女が」
ルシファーがイザベラの顎に触れ、己の顔をイザベラの顔に近づけながら顎を上げる。
「たかが僕の名を呼んだだけじゃないか。君が可愛い顔を歪めて怒る様な事ではないさ」
イザベラは紅潮して、うっとりとした表情でルシファーを見つめた。
ルシファーはそのまま視線だけを私に移し、口角を上げて話しだす。
「メレカ、君の内から秘めた光の魔力が見える。それはつまり、君が上位の魔法を身に着けたら、それは光の影響を受けた魔法を使うと言う事になる」
ルシファーはイザベラの顎を離して、私に向かってゆっくりと歩き出す。
「神殿の西搭と東塔の最上階にある、本来では神を祀る為の祭壇。そこで君ともう一人、光の属性を内に秘めた子の命が必要なんだ。君はそれに選ばれたと言う事さ。封印の巫女がいれば、生贄無しでも封印は解く事が出来るようだけど、英雄に邪魔されるのも癪だからね」
「この事はお母様……女王様は知っているの!?」
近づいて来るルシファーを見ず、その背後で私を睨むイザベラに視線を向けて叫ぶと、イザベラはニヤリと笑みを浮かべた。
「あの馬鹿で傲慢な女が知るわけないでしょう? そもそも、私が魔族と手を組んで、クラライトと戦争しようって提案したのよ? それを名案だとでも言いたそうに、全部私の言う事をうのみにした結果が今よ。宝鐘の封印を解いて魔族を縛るものが無くなれば、バセットホルンに利用価値が無くなって、最初に滅ぼされる国になるなんて考えもしないでしょうね」
「なんて事を……っ。貴女、自分が何をしたか分かっているの!?」
「うふふ。可笑しな女ね。自分の娘を生贄にする様な女が支配する醜い国よ? こんな国、滅んで当然でしょう?」
「確かにお母様は自分の子にも残酷かもしれない。でも、それは過去に深い傷を心に負ったから――」
「煩っいわね!」
イザベラが私の言葉を遮って怒鳴り、私の許に来て胸ぐらを掴んだ。
「そんなもの理由になんてならないわよ! どこまで甘ちゃんなの!? そんなんだから、あんたはいつまでたってもクズなんだよ! あたくしはあんたとは違う! あの女への今までの恨みは忘れない!」
「恨み……?」
「あたくしはね、あんたの様な出来の良さも無かったし、リビィの様にあの女に全てが似た容姿でも無かった! たったそれだけの事で、あの女に“無能”と言われ続けて来たのよ! だから、本当に無能なあの女に復讐してやるのよ!」
イザベラが再び私を叩こうとして、それをルシファーがイザベラの腕を掴んで止める。
「ああ。なんて可哀想な子だろう、イザベラ。さあ、これを飲んで、君を苦しめていたその醜い女王に復讐をしようじゃないか」
「……ルシファー様。はい」
ルシファーが黒い液体の入った瓶をイザベラに差し出し、イザベラは再び紅潮して、トロンとした表情をルシファーに向ける。
「イザベラ! その男の言う事を聞いては駄目よ! 貴女がそんなに苦しんでいたのに、それに気がついてあげられなかった私を恨んでくれても良い! だからお願いよ! その男の――」
黒い光が私の口を覆い、私の言葉が遮断される。
そして、私の目の前でイザベラが黒い液体の入った瓶を受け取った。
「これで、漸くあたくしもルシファー様と同じになれるのですね」
イザベラはそう言って、瓶を口に当てて傾けて、黒い液体を口の中へと注いでしまった。




