7話 目覚めた場所で
天井……天井が見える。
……ああ、そうか。
俺、気を失ったんだな。
「ヒロくん! 良かった。目が覚めたんだね」
声がして振り向くと、胸を撫で下ろしてホッとした表情のベルがいた。
俺は上半身だけ体を起こして、周囲を見回した。
八畳半くらいの広さの部屋の中で、タンスが一つに机と椅子も一つずつ。
いたってシンプルな部屋。
いや、部屋の中は確かにシンプルだが、形状が珍しい。
壁は丸く真ん中に柱があり、円柱の様な形だった。
イメージで言うと、コンビニとか行くと売ってる四分の一にカットされて売られているバームクーヘンって所だ。
そんな珍しい形の部屋のベッドで、俺は眠っていたようだ。
「ここは?」
「タンバリンだよ。ここはナオちゃ……暴獣の巣で倒れていた女の子いたでしょ? あの子から、一つ部屋を貸してもらって、メレカがヒロくんをここに運んだの」
「そうか……」
「体はもう大丈夫? 痛い所残ってない?」
ベルが心配そうに俺の顔を覗き込む。
目と鼻の先まで接近したベルの顔に、俺はドキッとして目を逸らした。
「おっおう。大丈夫だ。心配かけたな。ありがとう」
「それなら良かった。三日も目が覚めなかったから心配したんだよ」
ベルは俺から顔を離して、安心した様に胸を撫で下ろして優しく微笑んだ。
「三日……? はは。結構長い間寝てたんだな」
あまりにも不甲斐無い自分に失笑する。
この世界に来てからと言うもの、本当に足手纏いにしかなってない。
別に俺が望んで来たわけでは無いけど、情けない気持ちになってくる。
若干落ち込んでいると、トントンと扉を叩く音が聞こえた。
そして、誰も返事をしていないのに、いきなり扉が開かれた。
「入るにゃー!」
扉を開けて明るい声と一緒に部屋に入って来たのは、あの時の少女。
猫耳と猫尻尾を持つ、獣人の女の子だった。
「ベルっちご飯が出来た――にゃあああっ! ヒイロが目が覚めたのかにゃ!? 良かったにゃー!」
「うん」
猫耳の少女がにゃーにゃーにゃーにゃー騒ぎ出す。
そんな煩い少女に、ベルは嫌な顔せずに笑顔を向けていた。
そして、猫耳の少女は一通り騒ぐと、俺と向き合って口を開いた。
「ニャーの名前はナオ=キャトフリーだにゃ。よろしくね、ヒイロ」
「よ、よろしく。って、え? ヒイロ……?」
「うん。ヒイロだにゃ」
ナオは無い胸を張って、何故か得意げだ。
「……まあいいか」
どうやら俺が気を失っている間に、俺の自己紹介が終わっていたらしい。
俺の名前が聖英雄だから、“ひーろー”から“ひいろ”になったのだろう。
ヒーローと言われるよりは全然良いと思い、改めてナオに視線を向ける。
ナオは何となくだけど、雰囲気が俺の妹のみゆに似ていた。
これは後で聞いた話だが、歳は11歳でみゆの1つ上らしい。
そんなナオは前髪ぱっつんの綺麗な赤髪で、左右で束ねたおさげの髪を肩にかけていた。
瞳は緑みの鮮やかな黄色をしていて、形は何処か猫のようだ。
身長も低く小柄で、後に聞いた話によると135センチと小さい。
上から下まで全体的に見ても可愛らしい猫耳の美少女だ。
ただ、気になったのは服装だった。
胸にサラシを巻いただけで、下は短パンでは無く短めのスパッツを履いているだけ。
正直なところ倒れていた時と殆ど変わらない。
いや寧ろ、短パンから短めのスパッツになって、そのせいで前よりも体のラインが一目見て分かるようになっている。
何がとは言わないが、かなり危険な状態だった。
「えーと……。ナオはそれが正装なのか?」
恐る恐る聞いてみると、ナオは「にゃ?」と首を傾げて目を合わせて、そして頷いた。
「そうだにゃ。サラシとスパッツがニャーの美学だにゃ!」
「そ、そうか」
どんな美学だよ?
と、心の中でツッコミを入れながら、目覚めたばかりなのにドッと疲れが押し寄せた。
随分と心もとない薄い正装。
どうやら襲われたのが原因で、あんな格好になって倒れていたわけではないらしい。
と言うか、スパッツのせいで分かってしまうのだが、このナオと言う猫耳少女はパンツすらも穿いて無いかもしれない。
パンツのラインが全く見えないのだ。
いくらまだ幼いとは言え、同じ歳くらいの妹がいる兄の立場上、大丈夫なのかと心配で気になって仕方が無い。
だが、そんな心配する俺の心境をよそに、ベルがいつもの様に無理して作る笑みで俺に尋ねる。
「起きたばかりだけど、ご飯どうする?」
「……食べようかな」
「じゃあ、持って来るから少し待っててね?」
「いや、いいよ。一緒に行く」
ベッドから降りて背伸びして、俺は部屋を出た。
そして、外に出た直後に素晴らしい景色が俺の目に映りこんだ。
「何だここ!? すげえ……」
驚きで声をあげ、ドアを出た直ぐそこにあった階段を駆け下りる。
それは、まさに【タンバリン】と言う名に相応しい景色だった。
幾つもある大きな木が切株になっていて、それぞれの切り株は中が空洞になっている物といない物がある。
その大きな切り株には、楽器のタンバリンで言うシンバルの部分の様な所があり、そこに家が建てられていた。
全ての家の出入り口には小さな階段があって、家の下には木造で作られた道があり、階段からその道に出られる様になっている。
木造で出来た道からは下に続く階段があり、その下にも同じような構造の家が並んでいたり、立地の関係でそのまま地面に続いていたり様々だ。
今俺がいる場所は中でも比較的高い位置にある場所で、それ等が眺められたのだ。
そして、だからこそ分かる。
その特殊な構造が、まさに楽器のタンバリンだった。
森を抜けた所にタンバリンがあると聞いていたけど、この村の周囲は背の高い巨大な木々に囲まれていた。
そして、巨大な木々の枝葉から差し込む光が、この村全体を綺麗に、そして幻想的に仕上げている。
木々の隙間から吹く風も頬を撫で、その風も気持ちいい。
「あっ。そうだ」
俺はズボンのポケットからスマホを取り出して、電源を入れて写真を一枚撮った。
「また写真を撮ったの?」
そう言って、ベルが横からスマホの画面を覗き込む。
「ああ。記念に残しておきたくなってね」
って、近い近い。
少しだけドキドキしながら、スマホの電源を落としてポケットにしまった。
すると、そのタイミングでナオが手を振って俺達を呼ぶ。
「おーい! 二人とも早くするにゃー!」
「わるいわるい!」
「ごめーん!」
少し駆け足してナオに追いつき、その後も景色を眺めながら下に降りた。
そして、俺はまた感動する。
「中はこうなってたのか」
上から見た時の切り株の空洞部分。
そこには食堂や市場、中には露天風呂なんかもあった。
獣人の国にある村と言うのもあって、すれ違う人が皆ナオと同じ獣人なのも驚きをくれる。
だけど、色んな場所に目移りしながら歩いていた俺も、途中で妙な違和感を覚えた。
「なあ、この村って大人がいなくないか?」
そう。
すれ違う人全てが子供なのだ。
本当に何処を見ても大人がいない。
「その事については、食事の後で話すから……」
深刻な面持ちでベルにそう告げられ、俺は察した。
どうやら、子供しかいないこの状況は、やはりと言うべきか悪い状況の様だ。
だけど、どうにもそれも疑ってしまう。
何故なら、見かける子供達は皆「あはは」だの「うふふ」だのと楽しそうで、深刻そうには見えないからだ。
どう見たって、深刻な面持ちで告げたベルとは正反対だった。
そうして、子供達の様子に違和感を感じながら食堂に辿り着く。
するとそこには、メレカさんと村で見る初めての大人、軽鎧を身に着けた獣人の女性が立っていた。
「ヒロ様、目が覚めたのですね」
「はい。三日も寝てたそうで……申し訳ない」
「いえ。お目覚めになられて安心しました。ヒロ様の食事も直ぐご用意しますので、少々お待ち下さい」
「ありがとうございます」
俺とメレカさんが言葉を交わすと、そこで軽鎧の獣人の女性がこっちに来た。
「英雄殿、お初にお目にかかり光栄ですの。わたくしは、ベードラ国の王都フロアタム第五十三王子ウルベ=アーフ様直属の騎士、ミーナ=イーナと申しますわ。以後、お見知りおきを」
ミーナ=イーナと名乗った女性はナオと同じで猫の耳と尻尾があった。
髪は緑色でショートヘアー。
目は少しつり目で瞳は黄緑色をしていて、無表情という言葉がしっくりくる顔をしている。
同じ猫の獣人でもナオと若干違いがあり、頬からは猫髭らしきものが生えていて、ナオより猫っぽく獣人という見た目だ。
そして、背丈と同じ長さはある槍を持っていた。
「初めまして。聖英雄です。ヒロって呼んでください」
「いえ。わたくしはメレカの様に不躾な愚者でもありませんので、巫女姫様の様に位の高いお方にその様な口はきけません。是非、英雄殿とお呼びさせて頂きますわ」
「は、はあ……」
いつもの俺であれば「そう言わずに」としつこく迫るのだが、ミーナさんの着ている軽鎧と持っている槍、それから全身から出るオーラ、そして何より雰囲気で何も言えなくなった。
と言うか、ミーナさんが何気にメレカさんに喧嘩を売っているせいで、メレカさんからの圧が俺にまで飛んできてヤバい。
とても俺の名前がどうのとかを言えるような状況じゃない。
「不躾な愚者? 相変わらず失礼な雌猫ね、ミーナ。貴女は固すぎではないかしら? 何より、ヒロ様の申し出を断る方が、よっぽど愚か者の行為だわ。貴女を見ていると、ウルベ様の苦労がうかがえるわね」
貴女も俺の要望に応えず“様”付け止めませんでしたよね? なんて言えるわけも無く、俺はこっちに飛び火がこない様に祈るだけ。
と言うか、いつの間に用意したのか、メレカさんは近くの机に食事を置いた。
勿論、その後直ぐにミーナさんと睨み合いだした。
と言うか、二人は火花がバチバチと音を立て散る様な形相で睨み合い続け、今にも取っ組み合いの喧嘩が始まりそうだ。
なんか滅茶苦茶怖いんだけど?
メレカさんの睨みはマジで迫力あってヤバいし、ミーナさんも無表情なのに逆にそれが迫力になっててヤバい。
額に汗を浮かべて青ざめる俺の隣で、ナオが「いっただっきまーす」と元気にご飯を食べ始める。
俺はそんなナオの様子を見て、流石は猫の獣人、自由だ。なんて事を思った。
しかし、ナオは食べる姿まで妹に似ていて、その姿が可愛くて若干癒される。
もう喧嘩している二人を放っておいて、俺も食事をとろうかな? なんて思えてきた。
するとそんな時だ。
「二人とも、そこまでだよ!」
ベルが二人の間に割って入る。
その顔は真剣で、メレカさんもミーナさんも相手がベルだからか、たじろいだ。
「そんな事より、今はちゃんとご飯食べないとだよ!」
「え? そこ?」
ベルの斜め上の説教に、思わず俺の声が漏れた。
「姫様の仰る通りですね。私とした事が、無能に馬鹿にされ我を忘れていました。申し訳ございません」
「巫女姫様、大変お見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ございませんでした。わたくしも、雑で育ちの悪く躾けのなってない魚に惑わされてしまいましたわ」
反省している様に見せて、無能だの雑魚だのと言う全然反省していない二人。
どんだけ仲が悪いんだと言いたくなる。
だけど、ベルが止めに入ったおかげで、二人とも大人しくなった。
「そうそう。姉様もミナミナも、ケンカしてないでご飯を食べるにゃ」
姉様……?
ミナミナ……?
メレカさんとミーナさんの呼び方の差に違和感を感じたが、つっこまないでおこうと心に決める。
そして俺は、全てを投げ捨てて、メレカさんがさっき持って来てくれた料理を食べようと思った。
よし、食うか。
そうして食べた料理は、今まで食べた中で一番美味かった。
多分だけど、調味料の差ではあると思う。
今までは調味料がほぼ塩のみの状況の料理を食っていたし、出された料理は多分メレカさんが作ったもの。
肉の焼き加減とか、何度か食べたのと同じだったから間違いはないだろう。
だからこそ調味料の差でここまで味が変わるのだ。
と言っても、出された料理の中にあった肉は、今まで食べた事ない肉の味がした。
こればっかりは、調味料とかは関係ないだろう。
「この肉美味いな」
ステーキを頬張って感想を言うと、いつの間にか隣に座っていたベルがいつもの笑顔で答える。
「リスの肉だよ。ほら、ヒロくんも暴獣の巣で見たでしょう? ここら辺ではリスが多く生息してるから、リスの肉を使った料理が多いの」
「へえ、リスかぁ……。リス!?」
あんなのを狩って料理にしてるって凄すぎる。
そしてその時、俺の視界にとある食材が目についた。
「――納豆がある!?」
「あれ? ヒロくん、納豆を知ってるの?」
「いやいやいや。寧ろ俺がそれ言いたいよ! この世界にもあったんだな? 何かすげえ嬉しい。俺納豆好きなんだよなあ」
異世界でまさかの納豆。
納豆は癖がありすぎて、俺の世界でも日本人くらいしか食べない食材だし、その日本人だって嫌いって奴はいっぱいいる。
それなのに、まさか異世界で出会えるとは思わなかった。
しかも名前まで一緒だなんて……いや、それより味はどうだろうか?
俺は期待で胸を膨らませて、納豆を取ってかき混ぜ、一口食べる。
「うめえ! マジで納豆だ!」
何で納豆があるのかとか、名前や味まで一緒だとか、謎は多いが美味いからどうでもいい。
欲を言うならお米がほしいなと思ったが、贅沢は言えないと心の奥底にしまっておこうとして、メレカさんが食べている物が視界に入った。
「メレカさん、それは?」
「これですか? お米ですが――」
「お米!?」
「――っ!?」
うおおおおっ!
マジか!
米もあるのか!?
これはテンションが上がる!
早速メレカさんに米を貰って、納豆と一緒に食べる。
マジで美味い!
嬉々として納豆ご飯を食べる俺を、不思議そうにベル達が見つめていた。




