第8頁 恐怖の表情というエッセンス
「ふむ、余計なことまで言ってしまったな。そろそろ次の実験に移るとしよう」
〈あ、はい。私は何をすれば良いのでしょうか。〉
アリアにとっても過去の国の話は然程楽しい話題ではないようだ。ここは彼女に追従して私の仕事を尋ねるとしよう。
「先ほどシュホンには天使や悪魔が居ると言っただろう? 彼らの中でも下位のモノであれば稀に天使なら悪魔に、悪魔なら天使に売られることもあってな。
つい2週間ほど前にわたしも初めて天使の購入に成功して、様々な実験や今後のための素材の回収に利用させて貰っていたのだがね。元から弱っていてもうあまり保ちそうにないし、君にあげようと思っているのだ」
……うん?
いまいちアリアの意図が読めない。いや、サラッと酷いことしていたことは分かるし、なんならヴィエラが聞いたら宗教上ブチ切れそうな案件である気もするが、重要なのはそこではない。
私にその天使とやらをプレゼントするとはどういうことだろうか。
「魔物というのはヒトを喰らって進化をする。だが魔物が魔物を喰らっても効率は悪いが進化をする。
では一応ヒトよりは上位とされる天使を喰らったらどうなるのか? それをわたしは知りたいのだ」
なるほど、つまりその天使を喰らえと。大いに結構だが、表面上は反対しておくとしよう。
〈あの……私、ついさっき食欲を失ったばかりなのですが。〉
「腹は減らずとも喰らうことは可能なはずだ。でなければ進化出来ぬからな。
わたしは君の進化機能まで封じた覚えはないぞ」
どうやらアリアは私にどうしても天使とやらを食べて欲しいようだ。本音を言うならば行きずりであっても人間(もしくはそれに近い者)を食せるというのは嬉しくもある。
無論愛し合った上で喰らうのがベストではあるが、人間の味に加えて悲鳴、恐怖の表情といったエッセンスだけであっても充分に美味しくはあるのだから。
〈……分かりました。貴方が望むのならそうしましょう。しかしこのことは〉
「ああ、分かっているとも。ヴィエラ君はもとより誰かに伝えるつもりはない。
だから君も広めたりしないでくれたまえよ?」
そう言ってあまり上手くないウインクを披露するアリア。
良かった。アリアは最低限世間体を守るくらいの常識は持ち合わせているようで何よりだ。それに私の態度も仕方なく従うという形に収めることが出来た。
〈勿論です、アリアさん。それにしてもなぜ私が他者への流出を怖れると思ったのですか?〉
元々人間であることを自覚している私にとっては人間社会に潜り込んで、また以前のように可愛らしい女性を手にして口にしたいという願望は当然のことである。後出来れば性別を男性にすることも、まあ目的ではある。
だがそれはアリアの視点からは知り得ない話だ。私の記憶は無いことになっているのだからな。
「君は食欲を失ってからもわたしを見る目はさして変わっていないことを自覚しているかね?
ヴィエラ君のような一般人であれば兎も角、わたしには君がわたしをまるで異性のように意識しているのがはっきりと伝わってきているよ」
〈え、いやそんなつもりは……。〉
確かにアリアは美人だとは思うし狙いたくもなる。だがしかしだ、そういった欲望を表面に出すのは紳士としてよろしくないのである。
だからこそ私は普段から適度な微笑を浮かべて欲望の色に染まるのは最期に食べる時だけ、ということにしてきたのだが。……まあ、この身体では笑えていないだろうなぁ、という自覚はあったけれど。
「なに、隠す必要はあるまい。同性への恋慕などさして問題はないし、世界広しと言えど口の利けない魔物の感情を理解出来る者なんてそうは居ないから他者にバレることもあるまい。
君がその感情を抑えようとしていることも理解出来ているから、きっと君はヒトの中に混じって女性と触れ合いたいのだろうと推測したワケだよ」
間違ってはいないが他人に言われるとむず痒い話である。というかアリアに感情が筒抜けって割と不味い気もします……ほら、悪巧みとかしにくそうだし。
〈も、もう分かりましたっ。もうこの話は恥ずかしいのでやめてくださいっ。〉
「くくく、つくづく君は人間らしい魔物だね。あ、でもわたしは恋愛事に勤しむ暇はないから別を当たってくれたまえよ」
愉快そうに笑ったのちに、ふと気が付いたようにわざとらしく付け加えるアリア。
〈だからやめてくださいってばっ。〉
野暮ったい研究員の格好をしているが、アリアはきちんと女性なのだと意識せざるを得ない。
ただからかわれるのは少々苦手なのでこの懇願は割と本気でもある。
「うむ、リュート君で遊ぶのはこのくらいにして天使の実食に入って貰おうか。ついて来たまえ」
……アリアは天使とやらを喰らう前の緊張を解こうとでもしてくれたのだろうか。確かに人間より格上と言われる存在を喰らうことに対して緊張感が一切なかったとは言い切れない。
まあそもそも実感が湧かなくもあるのだが。
〈ありがとうございます、アリアさん。〉
ということなのでさわやかな青年らしく(見た目は女性のゾンビだが)礼を記すのだった。
「何、被験体の健康状態には気を使うモノさ。それも対話が可能な相手とあらば尚更ね」
そんなさわやかなお礼が照れ臭かったのかそっぽを向いて俺を先導するアリア。青臭い青春の1ページのような雰囲気で悪くない……。
ただその背景たる屋敷には魔物の死体が無残に転がっているのだが、その点について気にするのはやめておこう。後屋敷全体に漂っているであろう若干の腐敗臭についても同様に。
読了ありがとうございます。
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