前文 曖昧なる復讐劇
「確か貴方はこの間やけに私に食ってかかって来た刑事さんでしたね。正義の名の下に法を執行するご職業にも関わらず、夜分遅くに不法侵入をするのはいかがなものかと思うのですが」
安い、古いビジネスホテルの一部屋。その階層は15階。
シャワーを浴び終えたばかりの黒い長髪の美形の男が胡乱な視線を、異質な侵入者に向けた。その個室の窓は開け放たれており、片面には円形の穴が出来ていた。
外部から開けて、そこに手を通して窓の鍵を開けたのであろう。
長髪の男はまだこの後外に出向く用事でもあったのか黒いスーツ姿がよく似合っており、ビジネスホテルに泊まっていても何ら不思議ではない様相ではあった。
「うるせぇ、俺はアンタを殺す気で来てんだよ」
侵入者である茶髪の青年はギラついた目で長髪の男を睨みつける。その目には確固たる憎しみが見て取れた。
「おやおや、これまた物騒な話ですね」
「動くな、動けばすぐに撃つ!」
長髪の男が歩み寄ろうとした途端に侵入者は拳銃をチャックの開いた肩がけのカバンから取り出して長髪の男に向ける。
「……はいはい、降参ですよ。すぐに殺さないということなら何か目的でもあるのでしょう? 話してみてはいかがですか?」
長髪の男は両手を挙げて、落ち着いた語調で尋ねる。彼は感情的なこの侵入者にマトモに銃が撃てるとは思っていないのかもしれない。
「アンタは小野優斗って名前だよな?」
「……なるほど。貴方のお名前を聞かせてもらっても構いませんか?」
長髪の男はやや沈黙した後、何かを思い出したかのように質問で返した。
「今質問しているのは俺だ」
「はぁ、その名前は10年ほど前に借りていましたよ。今の私は上代悠理と名乗っています、それは知っていますよね。
そういう貴方は黒田……あーなんと言いましたっけ、お聞かせ願えませんか?」
長髪の男はにこやかに答えると、再び侵入者に名前を尋ねた。
「…っ、隼人だ。知ってるだろ」
「そうでしたそうでした、懐かしいですね。瑠李さんが秘密だと言ったのに唯一恋人の話をしてしまった、弟さん黒田隼人くんでした、大きくなったものです。
多少面影はありましたが、まさか貴方が警察になっているとは夢にも思いませんでーー」
「良い人ぶってんじゃねえ! 人1人を攫っといてよっ」
侵入者は拳銃を構えたまま大声を出した。長髪の男に昔馴染みのように語られたことが我慢ならなかったらしい。
「貴方なんて人1人を殺しに来たのでしょう? それとあんまり大きな声を出すと、ホテルの従業員さんが来てしまいますよ」
「……否定はしねぇんだな」
侵入者は強く男を睨みつけて言う。
「仮に私が反論したところで貴方は信じないでしょう。昔も一生懸命私が瑠李さんは殺されたのだと訴えてましたしねぇ、全く取り合って貰えてませんでしたが。
ですが彼女の事件が失踪事件であることをようやく理解したようで、成長が見えますねぇ。まあ、とっくに彼女は死亡扱いとなってしまいましたが」
当時のことを思い出しているのか、長髪の男は愉快そうに語る。命の危険が迫っているにも関わらず、その様子は傍目には古い友人との思わぬ再会を喜んでいるようにしか見えなかった。
「俺がいくら言っても姉さんがアンタと失踪したその日に会っていたって信じて貰えなかった。アンタにはアリバイがあるからって」
「ええ、私は瑠李さんが居なくなったその日、普通に働いていましたからねぇ。瑠李さんが行方不明と聞いて、大層驚いたのを覚えていますよ」
悔しそうに話す侵入者に微笑んで語りかける長髪の男。両者のその件についての入れ込み方の違いが大きく表れているようだった。
「……よく言うぜ。俺は今となっちゃアンタが殺したに違いないなんて思ってはいねぇ、でも音信不通になるような真似をしたのは確かだ。
アンタはいったい姉さんに何をしたんだ? それを聞いてから俺はアンタを殺す」
「そう言われると話したくなくなるのですが……というか私が何なのか知っていてここに来たわけではないのですか」
安心半分落胆半分という複雑な表情で呆れてみせる長髪の男。少々侵入者の男が期待外れだったらしい。
「何の話だよ」
「私がなぜこのホテルに居ると貴方は知っているのですか?」
「なぜか上からの指示で行動を追って記録しておけって……理由は俺が聞く限りみんな知らなかったけど」
「それですよそれ。私はちょっとヘマをやらかしまして警察の方に目を付けられてしまいましてね、この街では疑念を晴らしてあげるべく、わざわざ行動を観察させてあげていたのですよ。
だと言うのに貴方のような鈍い方に直接命まで狙われるとは、ここのところ私には運が向いていませんねぇ」
困った困ったと煽るようなリアクションを取る長髪の男。
「ど、どういうことだっ」
「まさか下っ端には伝達もしていないとは思いもよりませんでしたよ。私の答え合わせは済みましたので、逃げさせていただきますよ」
長髪の男が穏やかに言ったその言葉を理解出来ずに狼狽える侵入者の腕に向かって、長髪の男はいつのまにか握っていた小さなナイフを鋭く投擲していた。
「うぐっ、待て!」
侵入者は拳銃を落としてしまい、その隙に長髪の男は部屋のドアを乱暴に開けて逃げ出す。
「チッ、本当についてないですねぇ……」
だが長髪の男の不運は続いていたようで、出てすぐのエレベーターは2つとも1階を示しており、ここは15階である。しかも階段は長髪の男の泊っていた部屋からずっと離れた位置にあった。
「待ちやがれ!」
一方で侵入者の男は落とした銃など気にせず、長髪の男を全力で追いかけ始めていた。どうも腕力には自信があるらしい。
しかしそれでも追いつかれる前に長髪の男は屋外の階段を降り始めることに成功していた。それは錆びた部分の目立つ金属製の階段で、上からは階段の内側に、螺旋階段のように美しくはないものの1階まで続く深い穴が覗いている、古い階段であった。
「…ったあ!」
侵入者の男はこのままでは追いつけないと考えたのか、階段の手すりを乗り越えて1階まで続く狭い穴に飛び込み、急いで降りていた長髪の男に飛びかかって階段の外側の手すりへと押さえつけることに成功した。
有り体に言うなら新しい方の意味での壁ドン状態である、壁ではなく錆の入った金属製の手すりであったが。
「なっ、馬鹿者が!」
長髪の男が今日初めて大声を上げたかと思えば錆びて脆くなっていた手すりが壊れ、侵入者の男が押し出すような形で2人ともホテルの約13階という高さから落下していった。
彼らの肉体はあっという間に速度を増して、声を上げる時間もなく地面へと激突したのだった。
「あ……ぐ…」
だが長髪の男が意図せずクッションとなっており、侵入者の男にはまだ息があった。ただしそのクッションに守られることのなかった片腕と片脚は衝撃によって、胴体から離脱してしまっていたが。
「う…あ…」
激しい痛みと身体への衝撃が彼に大声をあげることを許さず、男はそれから15分ほど後に勤務を終えて帰宅するホテルの従業員によって発見されたが、病院に辿り着く前に死亡したのだった。
そんなあまりにもくだらない、成功したかもあやふやな復讐劇を遠く、とても遠くから見ていた存在が居た。
その存在は死んだ長髪の方の男、神崎龍斗の素性を閲覧してから、あの刑事の方は結局神崎が姉を物理的に喰い殺したことを知ることが出来なかったんだな、と心の中で独りごちる。
「ここんとこやってなかったし、まあまあ面白いし……もうこの二人ともでいっか」
声に出したその独り言は地球には届かない。その存在はこの地球のありし世界を生み出した存在にして、他世界への転生者を見繕う存在なのであった。
画して、神と呼ぶべき存在の気紛れによってお粗末な殺し合いを演じた二人の男は異世界へと転生させられることになったのだった。
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