無回帰
朝だ、四日目の朝。
ぐーんと背伸びをして今日の調子を整える。
今日はレモンスカッシュでも飲もうかな、って アレ?
「アレン君、アレがないぞアレが!」
「アレアレうるさいですよ…ああ、スカッシュでしたら昨日寝る前に飲んじゃいました」
何たることだ…
スカッシュはやや弱めな炭酸の喉越しが心地よく、爽やかな後味が朝の始まりにぴったりなのだ。
口に含むと
天使のトランペットが鳴り響く中、栄光の一滴一滴が五臓六腑に染み渡る。
まさに神に感謝してでも飲みたい、そんな炭酸飲料なのだ。
それが無い!?それを飲んだと!
おお、主よ。この食いしん坊の呑ん兵衛は私の朝の楽しみを自分の物としたのだ、
こいつは自らのマイナスを他者へ配分し、自らの私服を肥やさんとする卑劣なコミュニストに違いない!
自分の頭よりも紅く頬を染めて怒るミサゴに呆気に取られたのか
彼女の頭よりも赤い卑劣なコミュニストであるアレンは
「はいはい、買ってくればいいんでしょう買ってくれば!」と眠気を覚ましながら玄関を出た。
まったく、他人のものを勝手に飲むとは 行儀がなっとらん…
・
・
・
あ、あいつ何買うか覚えてるかな…。
…心配だ、付いて行こう。
のろのろと早朝の強制散歩に出向いたの彼女を
こそこそと早朝から尾行に興じる。
我ながら奇々怪々な状況である。
奇っ怪と呼べるのは異常な事が多く、異常と言うのは想像の範疇と事の外の境であることが多い。
精神疾患を抱えた患者の行動は
科学的に見てそれを病名に当てはめ、その症状からパターンを予測できる。
だがその行動の全てまでは想定できないのである。
上の二つ。これらをひとつの連なった事柄とするならば、
上記の「境」は正しいことになる。
だがいきなり最後のガラスをぶち破る事もあるのだ。
未だ人間の行動は科学では証明できない。
意思を科学で証明するならば自分と他者との共通点を結ばねばなるまいが、逐一全ての感情行動癖を観測していたら日が暮れるどころでは済まないため、それは不可能に近い。
故に異常は観測できない。
異常とは、異常たらしめている当人からしか理解できないものの事を言う。若しくは自身さえも理解できないものだ。
異常はマイノリティではなくこの世の中の根幹を担っている。
私がニヒリズムであったならもっと違う考え方も出来たのだろうか。
やがて二人はコンビニに着く。
一人は中に、一人は外で監視。
あ、朝ご飯もついでに買ってくれないかな。
数十分後、アレンが店から出てきた。
帰るまで待てないと言わんばかりにミサゴの方から帰り際の彼女へ声をかける。
「ちゃんと買えた?」
「ええ、買えましたよ。ほら、こんなに沢山!」
嬉々として袋を見せる彼女。
いやー、
どうやら改心したようだ。コミュニストは撤回せねば。
心の声を言うが早いか 袋の中身を覗く。そこには
―――お菓子が入っていた。いっぱい。
スカッシュじゃあねえじゃねえか!
思いっきりウェイトを乗せたガゼルパンチがアレンの脇腹を貫く。
「しかも自分が食いたい物だけじゃねえか!朝ご飯も買ってこいよ!なんでお菓子!?なんでグミ!?なんで百味ビーンズ珍味のみッ!?」
朝から変に汗をかいた。まったくといった様子で乱れた息をなだめる。
迸るパトスを一通り発散した後、
沈んだアレンと袋いっぱいのお菓子を抱え、
家路へと向かおうとした。
―――そこに銃声が響く。近い。
百メートル以内だ。
「何が起こったんです?」
「起きたか、降ろすぞ」
「ぶへぇっ もっと優しく降ろしてくださいよ!」
腰をなでながらアレンが呟く。
「…恐らく銀行ですよ。先程怪しい車に乗った怪しい奴がすぐそこを通ってましたので」
「気が付いていたか。黒のバン。火薬の匂い、防弾チョッキ。何から何まで怪しさ満載だ」
「どうします?行きますか?」
―――行こう。それしかあるまい
銀行へ行く前にそこ近くの家に事情を話す。
数分の末、アレンがとある物を担いでくる。
「はい、なんとか拝借出来ましたよ。軍のパスポート持っておいて良かったです」
彼女が借りてきたのは銃だった。
これは―――
マドセンm1918自動小銃。
「なしてこんな二次大戦期の骨董品を借りてくるのよー!」
「仕方ないじゃあ無いですか。これしかなかったんだから。
それとこれも」
クラシカル・スピリッツ社製
『ハンドロック』
傑作コルガ・ブローニング191a1をカスタムした
口径は9ミリ、4インチのコマンダーモデル。
これは中々ね。
「あと、無線を渡しておきます。
コードネームも決めておきましょう」
「了解よ、それと
貴女のは?あゝ、それね」
アレンは散弾銃のシェルをチューブに装填し、返答する。
「ええ、これに限ります」
―銀行―
「まだ終わらねえのか、早くせんとサツが来るぞ」
「そんな事言ったって兄貴。金が多すぎるんですよ」
「よーし、こちらはあらかた積み終えたぜ。行くぞ」
「急げルーカス」
「へい、こっちも今終わりやした」
強盗達が逃走しようとした。
その時だった。
一台のパトカーが到着し、銃を構える。
「警察だ!フリーズ!フリーズ!」
「クソッ サツだ!
逃げるぞ」
「兄貴、車が動きやせんぜ」
「何だと!?」
「ガソリンが抜かれてやす
歩いて逃げるしかありやせん」
「馬鹿野郎、ハイキングじゃあねぇんだ
次そんな間抜けなこと言ってみろ
あっという間に粗悪なパティの出来上がりだ」
「どうします兄貴」
「あのパトカーを奪って逃げる」
「いいか、決して殺すな 出来れば銃を狙え」
「銃をっすね、わかりやし」
どんと鈍い音が響いた。
その瞬間、部下達の脳髄が辺りに散らばり、そして消える。
「目がッ目がァッ」
目を撃たれた部下も瞬きに消えた。消えた?何処に行った!
叫び声だけが摩天楼の狭間で谺する。
ライフルで狙撃された 何処から!?
《こちら《query》、
部下は片付けた。
後は頭を押さえろ》
次弾を装填しながら無線で指示を送る。
《こちら《cution 》 了解。
引き続き援護射撃を継続されたし。以上》
焦りで速くなる鼓動を必死に抑え、血眼と周りを見る。
目の前にひとり、歩いてくるのは
ショットガンを手にした死神だった。
「ああ、ああああッ!!」
恐怖に駆られ、闇雲に拳銃を乱射するが当たらない。いや 当たってはいる。
が、弾丸は円に沿ったような不規則な軌道を滑り、その中央に居る死神には傷一つ付いていない。
電磁バリアが半径1.5メートルを包んでいる為である。
長身の女、アレンは優しく微笑む。
その笑みが、更なる恐怖心を増幅させる。
「これなら どうだ!!」
手榴弾のピンを抜き、死神へ届け出る。
そして爆発の直後、間髪入れずライフルを連射。
これには流石に無事では済まない筈だ、絶対、絶対!
こんなにも遅い数秒は初めてだ
祈るしかない、あの死神が去ることを祈るしか…
爆炎から身を現したのは変わらずの彼女。
残念ながらまさしく健在ですといったような体で歩み寄る。
「くそッくそッくそッ!」
ついに強盗の数十センチ前まで到達した。
ジーザス、くそったれの神よ!
こいつを誰か消してくれ!誰か
「デリバリーでもいかがですかぁ?」
けたたましく放たれた散弾が強盗の腕を吹き飛ばす。
「があぁあッ!腕!?ッ俺の腕が!」
「平和はお好きですかぁッ!?え!?お好き!ですが残念!
屑のための平和なんぞ有るわけ無いでしょう!!
我ら一般市民の平穏のために
安心して朽ちろ
『ダーティ・ホリック』!!!!」
続けざまに鉄球をありったけ撃ち込むと
悲痛な呻き声はやがて途切れ、
人であった物は見た通り、肉の塊へと成り果てていた。
凄惨な現場にも関わらず、
彼女は、アレンは恍惚の表情を浮かべている。
「あぁ…スッとしましたよぉ…
これで悪の塵がひとつ減りました…
ヘェヘヘヘヘヘ、ヒヘヘヘ…」
―天界―
「何処? 此処は…」
「アレン・プルースト。
汝は神を信じますか?」
「…誰ですか?もしや誘拐犯?」銃を構えようとしたが、
持っていた筈のトレンチガンが無い。どこかへ落としたか。
あたしは辺りを見回す。
すると在ることに気がつく。
此処は空の上だ。足の下には雲が重なり、更にその先にはあたしが元居たハーキンス州が見える。千里眼で見たのだ。間違いない。
「誘拐とは心外ですね。貴女は今 神聖なる我が領域に居るのです」
「…なんにせよいきなり質問とは感心しませんな
名を名乗ってくれますか? そうすれば私も答えましょう」
「良いでしょう。私はマリア。マリア・イーブンス。
神の娘です」
驚いた、敬虔なクリスチャンも真っ青な信徒が現れるとは。これはヤクでもやってますねぇ。
「私は申し上げました。さぁ、貴女は神を信じますか?」
「答えましょう、ミス・マリア?
あたしは神なんぞこれっぽっちも信じてませんよぅ」
「何故?」
「さぁ、もしこの世に神が居るとするならば、何故あたし達人間を平等に御作りにならなかったんでしょうねぇ。
「答えは簡単だ。神も我々と同じく不完全だからですよぉ
我々なんぞの上に立ってるから不安定なんです。
完全でないのなら神じゃありません。
絶対であるのなら主たりえないのですよぉ、
分かりますか?―解るでしょう?」
「貴女が神を信じていない事はよくわかりました。
ならば救ってあげましょう」
「何をする気です?」
「良いですか?これから伝えることは
主のお導きです。心して聞きなさい」
駄目だ。耳に届いてない。
貴女を救うため。
神の名の元に。貴女へ今世紀一番の歓びを与えます。
主を享受せよ、
主の御導きを信ぜよ。
信ずれば そこには愛があり、さらに愛があり、
そして愛がある。
今を愛せ、さすれば救われん。
その最上の天命を
神のもとへ、安寧の贄となりて―――
その瞬間、彼女は全てを受け入れた。
受け入れる他無かったのだ。
彼女、マリアはアレンにとある術式を施した。
それは呪いともとれる代物だった。
神の素晴らしさを無意識に無為に唱える魔法。
生命のプロパガンダ。
憐れにも信心を生命が擦り切れるまで、
吹き込まれたものを吹き込み続ける。
…ジーザス くそったれの神よ!!
ああ―――
―――ああ、清々しい。
こんなにも清らしいのは初めて。
主よ。我らに復権の道標を与えたまえ。
主よ―
「―――cution!cution!」
「…!、はい 何でしょう」
「しっかりしろ、犯人はどうなった。お前で様子が見えんぞ」
「ああ、それなら…神の身許へ旅立たれました」
「何?」
「送ってやったんですよぉ、彼奴らの為にもそれが最善かと」
「生かして捕縛せしと伝えた筈だが」
「あぁ…申し訳ありません、以後は気を付けます」
「そうか…」
何かがおかしい。
そう、犯人を消した所からだ。
彼女の姿が一瞬消えたと思ったら
何かを呟きながら『戻ってきた』
端的に言い表すならば、まるで天上に送られたかのような…
いや、まさかな 気のせいだ。
だが、あの光は―――
まるで神の使いが舞い降りた様な―――。
―――どれだけ焙煎前のカカオや珈琲豆が余っていようと
誰もその豆で節分を乗りきろうとはしない。
ミサゴ・シトロネーチャー―――