沈む町
少年の眼下に広がるのは水だった。
水の中にはいくつもの建物があり、全てが水に呑まれている。
「もう少しでここも駄目になるなぁ」
少年の口調はあまりに軽く絶望感が感じられなかった。
もうすぐ死ぬというのにだ。
少年は壊れてしまったのだろうか?
人間の精神はどこまでも脆く、壊れやすい。
追い詰めれた心は容易く壊れてしまう。
その原因を作ったのは私なのだが。
少年の年の頃は12歳ぐらいだろう。
彼の容姿から推察したものだ。
私は喋ることはできないので聞くことができない。
その幼い身の上で精神を壊すほどの出来事があった。
その出来事とは彼の両親は自殺したことだ。
それだけではなく、多くの人間が毒ガスで自殺していた。
私もその場にいたので間違いない。
すでに水没している下の階には少年の両親を含む無数の死体がある。
少年も同じように死ぬはずだったのだが、幸か不幸か彼は生き残ってしまった。
両親の死体を目撃したことが彼の精神をボロボロにしたのだろう。
二人の男女の死体に縋りつき号泣していた。
私も毒ガスを吸ったのだがあの程度の毒ガスなど効かないので問題はない。
私は人間ではないのだから。
私はこの町を襲った生体兵器の内の一体、型式番号DD-001A。
イルカを素体として作られたDDシリーズの一体だ。
生体兵器に有効な毒ガスなどをこんな密閉空間である街中に保存などできない。
万が一漏れてしまったら、大惨事だ。
逃げ場がないのだから。
なぜ彼の両親たちが自殺したのかと言うと、この町が滅ぶからだ。
もはや生き残るすべもなく、死を待つよりはと思い、自ら死を選んだのだろう。
滅びの原因はこの町は水没しかけている。
今、私がいるのはこの町で一番高い建物の屋上だが、一つ下の階は水が浸水し始めているのだ。
この惨状を作り出したのは生体兵器だ。
この町は私を含む生体兵器の襲撃に遭い、町を維持する機能に不具合が生じている。
だが、この町を襲撃した生体兵器は自分で言うのもなんだが雑魚だ。
ちゃんと対応すれば、ここまで酷いことにはならなかっただろう。
私たちは計二回、襲撃をしたのだが、一回目の時に町の防衛兵器が出てきた。
強くはなかったのだが、弱くもなく、生体兵器と互角に戦えていたが、問題は二回目だ。
私たちが接近しても出てこなかったのだ。
さらに無防備状態だったので町を守るシールドに私が体当たりをしたら、割れて入れてしまった。
あのシールドは海水の侵入や外敵から身を守るためにあるもので、かなり強固に造られており易々と破ることはできない。
とてもじゃないが私の体当たりごときで破れる代物ではない。
破ることができた理由は少年のおかげで判明した。
誰も居なくなったことで少年は私に話しかけるようになったのだ。
孤独を紛らわせるためなのだろう。
外部への音声出力ユニットはないので応えることが出来ないのが、心苦しい。
遥か昔に戦いに必要がないので外されてしまったのだ。
少年の話でなぜ防衛兵器が出てこず、シールドが容易く割れたのかが理解できた。
その原因はこの町の上位の人間だ。
彼らが一度目の襲撃の後、町を維持するために必要な物を持って、外に逃げてしまったそうだ。
この町にはちょうど外との交流のために造られた船があり、それに乗って逃げたらしい。
防衛兵器も自分たちの安全のために持っていったそうだ。
これは最悪の選択だ。
多少の被害は出るだろうが、生体兵器を殲滅した方が生存率は高いだろう。
それほど外は危険なのだ。
特に私が共に行動していた一団は捨て駒のような存在だったので弱い。
おそらくこちらが全滅していた可能性が高かった。
彼らが持っていってしまった町の維持のために必要な物、それはワタツミという。
ワタツミとはまだ陸地があった旧時代に開発されたエネルギーを生成できる結晶のことで、海水をエネルギーに変えることができる物だ。
私にも小粒だが一個搭載しており、動力源になっている。
一度に生成させることが出来るエネルギーはワタツミの大きさと純度によって異なり、より大きくより純度が高い物ほど生成できるエネルギーは大きい。
この町の維持に使われた物はかなり巨大なものだったはずだ。
じゃないと海中都市は作れない。
話によると今この町にあるのは生成中だった中途半端な大きさの物しか残っておらず、それは本来あった物とはレベルが違う劣等品だそうだ。
それも仕方ないことだろう。
ワタツミの生成には時間が掛かるのだから。
この町を支えるには最低でも100年物が必要だ。
今ある物もそれなりの大きさの物らしいが、町一つを維持するにはとても足りないのが、私に備わってある観測機器からの情報でわかる。
ワダツミには特有の反応があり、その反応が弱いのだ。
町一つを支えることが出来るワタツミならもっと大きな反応があるはずだ。
シールドの維持には莫大なエネルギーが必要だ
私は生体兵器の中でも攻撃能力が弱い分類。
本来ならシールドを破って侵入などできるはずがない。
だが、侵入できてしまった。
エネルギーが不足している証拠だ。
私が空けた穴はすぐに再生された。
入ったはいいのだが、水がないので動けなくなってしまった
私の中に記録されている古いことわざのように俎板の鯉。
鯉とは魚の一種らしい。
今はもう絶滅しているが、それを元にした生体兵器のデータはあるので知っている。
後続がいないのは、大半のエネルギーをシールドに回して強化しているからだろう。
何度か攻撃を受けて、揺れたが侵入者はいない。
だが、そのせいで色んな部分に不具合が出ているようだ。
特に問題なのは排水機能がダウンしていることだろう。
目に見えないレベルの穴から水が浸入しているらしく、私の見る限り、一日に数センチのペースで水かさが上がってきている。
こんな事態を引き起こした私が破壊されていないのは、慈悲の心などではない。
壊すことが出来なかっただけだ。
この町の防衛兵器は逃げた人間が全て持っていってしまったらしい。
鉄パイプや包丁などでは傷つけることはできても、私を破壊しつくすことは不可能だ。
生体兵器の装甲は再生能力を持っているのだから。
私のモデルは装甲も薄く再生能力も高くないが、人力で破壊できるほど弱くはない。
少年は毎日、少しずつ私の体を水の中に向かって押してくれている。
エレベーター結ユニットに大人たちが私を運んでいたので上にあげるのは少年にもできたのだが、私の重量は数百キロを超えているので、少年の力ではほとんど動かない。
彼は床を水で濡らして、摩擦抵抗を弱め、全力で押す。
それでも一日で動くのは数センチ単位だ。
私を水に帰せばどうなるか、その果が分からないほど彼は愚鈍ではないと思う。
だが、少年は私を動かし続けるのだった。