第5話 啓人と芽衣 その①
涙で薄ぼんやりと見える啓人の視界に、和樹の後ろに立つおかっぱ頭が見えた。
「なにやってんだよ、お前」
振り向き芽衣を見た和樹は、先程までの楽しそうな顔から一変、鋭い眼差しで、唇の隅を少し上げて言った。
芽衣はただ黙って、和樹から奪ったスマホを胸の所で両手に持ち、震えながら立っていた。
芽衣自身、何故そんな事をしたのか分らなかった。
「お前もさ~、何で自分が虐められてるか分ってないよな~」
能代がヘラヘラ笑いながら、芽衣に向かって話し出した。
「お前自分が鮫肌だから虐められたと思ってる?それも大きいけど。最初にお前が生意気だって女子が言い出したのは、その性格なんだよ。真面目くさって余計な事をする。規則とか糞真面目に守って、先生にチクったりするだろう。鮫肌じゃなくてもお前は嫌われてんだよ。皆お前見てるとイライラしてムカつくんだってよ。その上鮫肌だし。はは、なんだよそのザラザラした手首」
能代の言葉に芽衣は今にも泣きそうな顔で俯いて、制服の袖から出た色白の細い手首を、スマホを持たない方の手で掴んで隠した。
「いいよ能代。言ったってこいつら馬鹿だから分んないもん。いーからスマホ返せよ。女だから手が出せないとか思うなよ。嫌われ者のお前なんか誰も見なかった振りするんだから。どーだって出来るんだぞ」
そう言いながら和樹は芽衣の側に近付くと、急に後ろに廻り、背中を膝で蹴った。
反動で芽衣は前のめりになり、思わずスマホを持たない方の手を前に出す。
その手首を能代は掴み、後ろ手に回し、更に後ろから芽衣の首に腕を回した。
完全に押さえられた芽衣の手から、和樹は無理矢理スマホを抜き出そうとする。
「よし!」
強く力を込めて握っていたとは言え、芽衣と和樹では握力も違いすぎる。一瞬にして抜き取った和樹の声を受けて、能代が芽衣を押さえる力を緩めようとした時だった。
「能代待て!」
突然和樹が叫んだ。
「また面白い事思いついちゃった」
本当に楽しそうに笑いながら和樹が言った。
「谷川さー、水上助けようとするなんて。お前ら虐められっ子同士で、裏で付き合ってんじゃねーの?実は」
「「 !! 」」
事実無根のその言葉に芽衣も啓人もハッとした。
間違いなくまた何かさせられる。
芽衣は彼らに付け入る隙を与えた事に気付き、啓人は余計な事をして更に虐められる要因を作った芽衣に苛立った。
「好きあってんだろ? くっ付けてやるよ。ここで、みんなの見てる前でキスして見せろよ」
嬉しそうに、楽しそうに、ゲラゲラ笑いながら和樹は言った。
羽交い絞めにされた啓人は、吉田に押されながら芽衣の方へと前に押し出された。
片手を後ろ手に回され、首に腕を回された芽衣も、能代に押され、啓人の方へと前に出された。
体が触れる程近付けられた二人。
二つの向き合った横顔の正面で、和樹は興奮した顔でニヤニヤしながら、
「ちゅーう! ちゅーう!」
掛け声を始めた。
その言葉を聞き、吉田と能代も合わせて言い出す。
「「ちーう! ちーう!」」
言いながら能代は芽衣の首に回していた腕を解き、今度は芽衣の後頭部をボールを握るように押さえ、啓人の顔に向けて、押した。
吉田も啓人の体を押して、芽衣の体に密着させようとする。
能代と吉田に挟まれた啓人と芽衣はサンドイッチの具材の様に体をくっ付き合わせ、二つの唇も強く押し付けられた。
「ん~!」
啓人はその瞬間目を閉じ、唇を口の内側に丸め隠す様にしながら、声にならない声をあげた。
逃げようと顔を横に動かすも僅かしか動かず、能代が頭を押さえている芽衣の顔は、力強く啓人の顔に押し付けられているので、二つの繋がりは、どう足掻いても離れる事はなかった。
「わー! まじキスしてるよ、こいつら! どうだ水上、谷川の唇は。やっぱり鮫肌か? ザラザラしてるか? あはははは!」
二人のキスを正面から間近に見ながら、和樹は楽しそうに笑って、そう言った。
「やだ! マジしてる」
「うわー」
「しっ、聞こえるよ」
クラスの女子があちこちでざわめき出した。
男子も女子も、その場にいた者が皆、そのキスの光景を見て見ぬ振りする様にしながら、凝視し始めた。
クスクス笑う声や、コソコソなにやら話す声が、啓人の耳にも微かに聞こえて来て、啓人は恥ずかしさと悔しさで咽せ返る様な気持ちになり、段々気持ちが悪くなって来た。
ただ、不思議と涙はもはや枯れ果てたのか、流れていなかった。
静かに啓人は一瞬だけ目を開けた。
目の前に、凄く近くに、大きく、芽衣の顔があった。
見えたのは芽衣のやはり閉じられた瞼と、鼻筋の周りだけだった。
芽衣のその閉じられた瞼の下の睫毛はびしょびしょに濡れているのが見てとれた。
声をあげずに芽衣は泣いていたのだ。
先程和樹が言っていた様なザラザラ感は、芽衣の口の感触からは感じなかった。
カシャ!
カシャ!
不意にシャッター音が聞こえた。
「記念写真。撮ってやったからよ」
相変わらず楽しそうに笑いながら、スマホを片手に和樹が言った。
「クラス中がお前らのチュー。見てるぜ。ははは」
顔を近づけそう言われ、恥ずかしさにか芽衣は更に強く瞼を閉じた。
「こんなに体くっ付けて。水上、まさかお前谷川で勃起してんじゃねえのか? 気持ち悪ぃ~! ははは」
啓人を押さえながら吉田も言い出した。
「谷川の事妊娠させんなよ~!」
能代も乗って言い出す。
三人の笑い声が啓人の頭の中でこだました。吐き気が込み上げて来た。
三分以上そんな状態が続いて、やっと二人は解き放たれた。
昼休み終了の五分前だった。
能代と吉田は、二人の体を押さえていた腕を緩め、放した。
「ほらよ。面白いの見せてくれたから、今回はこれで許してやるよ。あの女子高生には送信しちゃったけどな。へへへ。ネットのお友達ももう終わりだな。水上ブロックされるぜ。ははは、あー楽しかった」
和樹は啓人のスマホを床に投げ出して、そう言った。
開放された啓人と芽衣は、その場に崩れる様に腰を下ろした。
「ゴホッ、ゴホッ。うっ、ゲー!」
啓人は咳き込み咽った。
「水上! 谷川に悪いだろ。キスしたら吐きそうになるなんて! ははは」
「水上君、勃起したくせに酷い!」
「谷川責任取って貰え~!」
和樹の言葉に能代と吉田も口々に言い、三人は笑いながら機嫌良く自分達の席に戻って行った。
芽衣は手で顔を覆い、相変わらず声を出さずに泣いていた。それは一所懸命堪えようとしている様だった。
啓人はそんな芽衣を暫く黙って見ていて、それから床に落ちている自分のスマホを拾った。
そして急に何かに気付き、急いでスマホのツイッターを開き、自分のアカウント画面にし、和樹のしたツイートのその他の項目をタップした。更に現れた項目の一番下、ツイートの削除をタップする。
高校だって昼休みの時間の筈だ。早川悠那がまだ見ていなければ、これで問題なしになる。大丈夫かも知れない。啓人は少し安堵した。
そして、まだ床に腰を落とし泣いている芽衣をもう一度見て、そろそろと這って近付いた。
「ありがとう……ごめん」
誰にも聞こえない様に小さな声で、啓人は芽衣にそれだけ言うと立ち上がり、制服を手でパタパタ叩き埃を落として、直ぐ側の自分の席に座り、いつもの様に机に俯した。
つづく
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