第2話 水上 啓人
一週間前。
宮城県名○市。
中学二年の水上啓人は虐められていた。
きっかけは些細な事だったのだろう。
虐めが始まって三ヶ月も経つと、啓人自身それを忘れていた。
ただ毎日が憂鬱な日々の連続だった。学校の休み時間が怖かった。
「おい! シュートって言ったらちゃんとゴミ箱に入れよ!」
田中和樹が啓人の方を睨みながら叫ぶ。
啓人はおずおずと、教室の足元の床だけを見ながら、ゆっくりと片足を上げ、ゴミ箱に足を入れた。
教室の後ろ、窓側隅の光景。
三時限目と四時限目の間の十分休憩。
教室には殆どの生徒が残っていて、仲の良い者同士が話しをしたり、遊んだりしていた。
まるで啓人が虐められているのが見えないかの様に。
「ちゃんともう片方の足も入れて、屈めよ」
ゴミ箱の隣に立つ吉田剛が、啓人の制服の肩の所を掴み、持ち上げる素振りをして言った。
しかたなく啓人は両足をゴミ箱に入れて屈む。
「よっし! 決まった~!」
田中和樹がゴミ箱から三メートル程離れた所で、ガッツポーズを決めて叫ぶ。
「ちっ、しょうがねーな。水上。お前バスケットボールなんだからちゃんとやれよ。ほら立て! 次はこっちの攻撃なんだから」
そう言って近づいて来た能代亮輔が屈んでいた啓人の首周り、制服の襟カラーの部分を掴んで強引に立たせようとする。
啓人は仕様がなく立ち上がり、ゴミ箱から出た。
「屈め!」
能代の言葉で嫌々ながらこれもまた仕様がなく屈んで、体を丸くする。
啓人はバスケットボールに見立てられているので、なるべく丸まって、ボールらしく見せなくてはいけない。
トン トン
トン トン
能代が啓人の頭を掌で叩く。
「弾め!」
そう言われ、ドリブルのボールの様に啓人は、うさぎ跳びの要領で、弾む真似をした。
啓人はこうしてほぼ毎日、学校の休憩時間に虐められていた。
誰も助けてはくれなかった。
担任の先生も、いつの間にか休憩中・昼休み中は教室に来ない様になっていた。
だから啓人は、ひたすら我慢した。
いつか終るだろうと。自分でも本当は分っている儚い希望を信じて、毎日我慢していた。
啓人を虐めていたのは、田中和樹・吉田剛・能代亮輔の三人だった。
三人共所謂不良で、特に田中は、親がやくざだと言う噂が校内に流れていたので、関ろうとする者は誰もいなかった。
啓人は三ヶ月前より以前が懐かしかった。
クラスの皆と普通に話し、友人もいた。
また、皆と一緒にクラス一の嫌われ者の女子、谷川芽衣を無視し、酷い事を一杯言ったりもしていた。
(人生は残酷だ)
中二にして、啓人は世間を知った様な気がしていた。
それでも今生きているのは、スマホのツイッターに仲の良い人達がいるからだった。
その人達と、昼間はこっそり、夜は長時間、ツイッターで話をする事だけが唯一の楽しみだった。
(今の自分の現状を知らない人が、普通に自分に接してくれる)
ネットの中では、啓人はまるで市民権を得た様な気持ちだった。
(だから今日も、早く終わってくれ)
そう願わずにはいられなかった。
キーン コーン
カーン コーン
四時限目開始の始業ベルが鳴った。
「ちっ、時間だ。また遊んでやるからよ」
田中和樹がボールの様に丸まっている啓人の頭を小突きながら言った。
それをニヤニヤした顔で、吉田と能代が見ていた。
啓人は三人が席に向かうまで、じっと丸まって、目を閉じていた。
既に涙が枯れるまで泣き尽くして、もう出ないと思っていた悔し涙が、今日も溢れて来た。
「大丈夫?」
その時だった。
蚊の鳴く様なか細い、僅かに聞き取れる様な女子の声がした。
(こんな姿の自分に誰かが声をかけて来るなんて)
そう思うと啓人は惨めで、恥ずかしさで一杯になりながら目を開け、正面を向いた。
そこにいたのは、しゃがんで啓人と同じ目線に顔がある、クラス一の嫌われ者。谷川芽衣だった。
校則通り肩にかからない、おかっぱに近い髪型。顔立ちはそんなに悪くはない。多分並みの上クラスだ。目の下には僅かにそばかすがあった、そして紺色のセーラー服の肩には、フケがまばらに落ちているのが色違いではっきり分った。こういう事も芽衣が虐められる要因なのだが、本人は気付いていないようだった。
芽衣は心配そうに唇を少し震わせながら、手に持った薄いピンク地にサンリオのキャラクターらしき模様の描かれた四つ折りのハンカチを、啓人の前に差し出していた。
「やめろよバイ菌。鮫肌がうつる」
それが啓人の口から咄嗟に出た言葉だった。
途端に芽衣の目は、きつく睨み付ける様な目になった。明らかに芽衣の表情は怒っている様だった。
差し出していた手を引っ込め、スクッと芽衣は立ち上がった。
そして後ろを振り向くと、スタスタと自分の席へと歩き出した。
それは授業開始のベルから一分と経たないうちの出来事だった。
谷川芽衣は鮫肌だった。
誰かが最初にふざけて、「鮫肌」と呼び出した。
それから「触ると鮫肌がうつる」と言われ始め、「バイ菌がうつる」と言われ始めた。
そうしていつの間にかクラスの除け者になっていた。
先生が来る前に啓人は立ち上がり、汚れた制服を手で叩いてほこりを軽く落とし、ゴミ箱を掃除用具ロッカーの側の定位置に戻し、誰の顔も見ない様に下向き加減で自分の机へと歩いた。
席に着き、先生が来るまで机に俯した。
芽衣にかける優しい言葉なんて思いつかなかった。
寧ろ二人でいる所なんて気付かれたら、更に格好の的にされると思った。
啓人は自分の事で精一杯だった。
つづく
読んで頂いて、有難うございます。
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