第19話 早苗と英和
名古屋駅。金の時計前。
午後五時三十分過ぎ。
カフェで時間を潰し、わざと遅れて来た鈴鳴早苗は、坂井英和の前に立っていた。
「あ、あの」
写真で見知った顔に、英和は思わず声を漏らした。
明らかに動揺しているのが早苗にも分った。
「ド・ビンゴさん? ツイッターの」
なので、早苗は微笑みながらそう言った。
見るからに気の弱そうな小心者だと早苗は感じ、危害を加える様なタイプではないだろうと判断したからだ。微笑んで話した方が余裕があり、優位に立場を作れると判断した。自分には娘もいる。何処か変な人だったら困る。そういう気持ちが心を占めていた。それでも会いに来たのは、心の何処かに興味とスリルを求める部分があったからだ。だから、冷静に慎重にと、先程のカフェで一人色々作戦を練って来ていた。
「そうです。ステキスイッチさん? 写真と同じだ」
早苗の笑顔に安心した英和がこちらも微笑んで口を開いた。
「ド・ビンゴさんも。あー、何て呼べば良いかしら。ハンドルネームのままじゃ変だし。偽名でも構わないんだけど」
早苗の言葉に少し顔を横に背けて考えてから英和は口を開いた。
「坂井です。サカイって呼んで下さい。えっと、それで僕は?」
「早苗。サナエって呼んで下さい」
早苗は最初から下手な偽名を使うよりも本名の名前を名乗ろうと決めていた。しかし姓は絶対に教えないつもりだった。
英和は新しい世界に臆する事のない様にと、本名を単純に伝えた。聞かれれば名前も教えても良いと思っていた。
「じゃあ早苗さん。いつも励ましてくれて有難うございます」
英和はそう言ってその場で、深く一礼をして見せた。
なかなか上げない頭に周りを歩く通行人も不思議そうに早苗達の方を見て行く。
「あの」
目立つのは困るので早苗は英和に声をかけた。
その声に反応して頭を上げる。
英和の顔が見える様になる頃には早苗は、それまでの困惑した顔から笑顔に戻した。
「何か?」っと言う顔で、英和は早苗の顔を見た。
「お礼言っちゃったから終わり? これでバイバイですか?」
笑顔のままそう言う早苗。
「あっ、いや」
英和は顔を真っ赤にして否定したいのだが上手く言えず、困った様にそう言った。
福井から二時間以上かけてここまで来て、それは本意ではなかった。
「フフ、意地悪。ちょっとしたくなっちゃったの。いいわ、何処か話の出来る所行きましょう。あんまり知ってる人には会いたくないから。少し離れた所で」
「あ、はい。そうですね。僕なんかといる所、知り合いに見られたら早苗さん、困りますよね」
歩き出そうとした早苗はその言葉に足を止めて、英和の方を振り向いた。
「またそういう言い方をする。ツイッターと同じね。フフ、坂井さんを見られて困るんじゃないの。こんなおばさんが若い男の人と歩いているのを見られるのが、私が辛いのよ」
「そんな、全然おばさんじゃないです。……綺麗だし」
早苗の言葉に英和は慌てながら、普段言わない言葉なので躊躇しながら言った。
「ありがとう。とにかく、何処か行きましょう」
英和の言葉に優しく微笑みながらも、早苗は軽くそう答え、英和に背を向けると付いて来る様にと、ゆっくりと歩き出した。
早苗のその微笑に英和は少し顔を赤くしながら、その後ろ姿を見て、彼も横に並ぶ様に少し早足で歩き出した。
地下鉄東山線に乗り込むと、早苗は殆ど口を開かなかった。
日曜午後六時頃の地下鉄は、意外と混んでいた。
二人は並んでつり革に掴まり、早苗は黙って真っ暗な車窓を眺めていた。英和は落ち着かないのか、上を見上げ、週刊誌とかの中吊り広告を眺め、時にはその書かれている文章を読んだりしていた。
十分程して列車が今池と言う駅に止まると、早苗は英和の手首を握り、引っ張るようにして開いたドアの方に向かった。
「あ…」
急な事に思わず英和は声を漏らした。
英和の手首を掴んだ早苗の手はとても冷たく、ヒヤリとした。
「混んでたから。ここで降りるの」
列車から降りて駅のホームに立つと、早苗は掴んでいた手を離し、少し恥ずかしそうに微笑んでそう言った。
女性馴れしていない英和にはそれは、その時の早苗の表情は、とても可愛く思えた。
改札を抜けて外へ出る。
外はもう夕闇も過ぎ、夜になっていた。
ゆっくりと流れる雲が見える月明かりに照らされた夜。
早苗は今地下鉄で来た道を戻る様に錦通りを歩いた。
横に並び歩く英和は土地勘がないので、周りをキョロキョロ見渡しながら歩く。
錦通りは片側三車線の大きな通りで、周りには大小様々な建物が立ち並んでいた。
「大丈夫。帰りは名古屋駅まで送るから」
そんな英和の様子を見て早苗が言った。
「はい…」
とは言え、やはり知らない土地に英和は不安と緊張を感じていた。
人通りもまばらになり始め、少しずつ早苗は話し始めた。
「もう少し行くとラブホがあるの。そこなら落ち着いて話も出来る」
「え?」
早苗の口から出たラブホの言葉に驚き、英和は思わず声を漏らし、立ち止まった。
「どうしたの? わざわざ来たのって、そういう事なんでしょ?」
早苗は歩くのを止め、突然立ち止まった英和の方を向き、キョトンとした顔でそう言った。
「いや…そういう事じゃなくて」
自分の気持ちを上手く表せないもどかしさを感じながら、英和は何とかそれだけ返した。
「格好つけてるの? 坂井さん、童貞でしょ? ツイッターの話の内容とか、その顔見たら何となく分る。だから私みたいなおばさんに興味持ったんでしょ?」
「それは違う。僕はただ、いつも優しい早苗さんが好きになって、会ってみたくて、友達になりたくて。だから……」
「まだ格好つけてる。男女に友達関係なんてないわ。どっかで相手を欲しがってる。会って、話すだけで本当に満足したなんて気持ちは嘘よ」
早苗は純朴そうに見える英和を、とても苛めたい気持ちになっていた。からかって、悪戯したい様な気持ちになっていた。最初名古屋駅で会った時から、その顔を見た時から、もしかしたらそんな気持ちが湧いていたのかも知れなかった。
「でも僕は、本当に会って話したかっただけで」
「ツイッターでは言ってなかったけど、私子供がいるの。不倫相手の子」
「!」
英和の細くて小さな目が一瞬大きく見開かれた。
「そうですか……」
何と言えば分からない様な、少し残念な様な声で英和は言った。
「三十四歳だから。いてもおかしくないでしょ」
静かに諭す様に言う。
「でも、そんな風に見えないです。もっと若く見えます! 二十代くらいの綺麗な」
「ありがとう。そう言われると嬉しいわ。私も若い人好きよ。だから、行きましょ」
「……」
そう言われて、また英和は言葉が出なかった。
それを見て、早苗はもっと意地悪をしたくなった。
「大学には若い女の子も一杯いるんでしょ? なのに私に会いに来た。そっちじゃ相手にされないから? ツイッターでもいつも言ってたけど、もっと前向きになって、そういう人達とも溶け込まないと。そしたらこんな所にもきっと来なかった。フフ、童貞捨てたら前向きになれるかもよ。気にしなくていいわ。本当は今日の昼間、不倫相手の彼と会って、一度してるの」
「そんな……早苗さんが、自分を堕とす様な話……聞きたくないです。僕はただ…」
下を向き、英和はそう言いながら泣き始めた。
「なんか、坂井さん見てると意地悪言いたくなっちゃう…あっ!」
微笑んでそう言いながら、早苗は下を向く英和の顔から水滴がアスファルトの地面に落ちていくのに途中で気付いた。
思わず駆け寄り、肩に手を掛け、下を向いた顔を覗き込む。
「どうしたの? なんで泣いてるの? なんで泣くの?」
困った様に問いただす早苗。
自分でも気持ちが良く分らないまま泣き続ける英和。
二人の横を片側三車線の道路を何台もの車がライトの尾を引きながら通り過ぎて行った。
つづく
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