第18話 坂井英和
中学くらいの頃から、ずっとこの窓から外を見ていた。
-窓が、好きだったー
ウチの家庭は多分ごく一般的な家庭だったと思う。
生活レベルも特に貧しくも裕福な訳でもなく、周りの同い年の家と比べても同じだった様な気がする。
親の僕への関心も、取り立てて高い方ではなかった。
僕に愛着が無い訳ではなく、単純に放任主義だった。
だから僕は、結構自由に育って行けたのだと思う。
そんな僕はずっと、自宅の二階の僕の部屋の窓から、外を眺めるのが好きだった。
横一・六メートル、縦一メートル程の良くある引き違いの窓。
僕の部屋の窓からは、北陸自動車道が見えた。
昼夜問わず交差して走り過ぎて行く車。
中学の頃は特に深夜、部屋の明かりを消して、カーテンを開け、ずっとそれを眺めていた。
六十メートル程離れた高速道路よりも高台にあった僕の家は、斜めに見下ろす様に行きかう車を見る事が出来た。
深夜二時。
月が出て、薄明るい紺色の闇の中をまばらにトラックが行きかう。
静かな時間に、車の通る轟音だけが、離れていても耳を澄ますと聞こえてくる。
僕はそれをただ、憧れの眼差しで眺めていた。
何処かから来て、一瞬で何処かへ行ってしまう車達。
(何処へ行くんだろう? 目的地に着くのは明け方だろうか? 車を運転しながら徐々に空の色が変わり、夜明けを迎えるのはどんな気分だろうか? 僕も…連れて行って貰いたい…)
生活に何の不満もない筈なのに、僕は窓の外の走り去って行く車達を見ながらいつもそんな事を考えていた。
何の問題もない暮らしでも、きっと人はないものねだりをするのだろう。
それから高校に入学すると今度は、西日が入る校舎一階隅の自分のクラスの窓も好きになった。
授業が終わり放課後、午後四時位だろうか。
教室全体がオレンジ色に変わる。黒板も机も椅子も、そして床も。
それはこの世のものとは思えない程の美しい光景で、更にそこには西日でオレンジ色に輝いた少女がいた。
彼女、平野さんは同じクラスの女子で、友達の彼女だった。
吹奏楽部だった僕は、良く理由をつけては部活を抜け出し、この教室のオレンジ色の光景を見に来ていた。
その日も部活を抜け出し、教室に戻り、引き戸を開けた。
その先の窓辺に、平野さんは佇んでいた。
オレンジ色の光を背負う彼女は神々しくて、美しかった。
「誰か待ってるの?」
目が合った僕は思わず彼女にそう尋ねた。
「……うん」
あまり言いたくなさそうに彼女は答えた。
それだけだった。
それだけで僕は、静かに引き戸を閉めた。
本当は誰を待っているのか、僕にはなんとなく判っていた。
それでも恋に落ちてしまいそうな、美しくも悲しい表情だった。
だから僕は、直ぐに戸を閉めたのだ。
それから数日後、クラスの女子の噂話で、僕は平野さんが彼氏と別れたという話を知った。
彼氏である僕の友達は、僕も含めて誰にもその事を話さなかった。
だから噂話で平野さんが泣いていたと言う話を聞いた時、僕は数日前のあの日の事を思い出した。
(あの日に別れ話があったのかも知れない…)
その後の僕は淡い恋心を抱きながらもいつも傍観者で、ただ眺めているだけだった。
代わり映えしない高校生活。
どうして名古屋に向かう列車の中でこんな事を思い出したのか。
窓際の席で、変わり行く景色を見ながら、ボーっとそんな事を思った。
大学に入って二年。
「高校の時は付き合っていた彼女いたよ」と友達には嘘を付いた。
それは大学に入り、それまでの何もない人生を知られたくなかったからだった。
しかし本当は、女性の目を見て話す事も出来ないただの臆病者だ。
変わりたかった。
自分の事を誰も知らない所で、少しずつ、人並みになりたかった。
中学の頃憧れていた高速道路を車でではないけれど、電車で知らない土地に行く。
会った事のない女性に会う。
いつも自信のない臆病な僕を、優しくツイッターで励ましてくれる人。
彼女はツイッターの感触だと優しい人だ。見せて貰った写真でも可愛い感じの大人の女性だ。
最低でも友達にはなってくれるんじゃないだろうか。
中学の頃の憧れと、高校の頃の後悔が、今の僕を突き動かしている。そんな気がした。
ただ会いたい。会って話がしたい。
彼女の写真を見てそう思った。
もし断られて、会えなくても、それはそれで良い。
それでもそういう事がしたかったのだから。
もうすぐ列車は米原に着く。
そうしたら新幹線に乗り換えて、もう直ぐ名古屋駅だ。
触れることの出来なかった、窓の向こうの世界へもう直ぐ……
つづく
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