第1話 瀬戸 加奈子
加奈子は、コンビニのレジに立ちながら、ガラス張りの向こうの世界を眺めていた。
数人の女子高生が笑顔で話しながら、店の前を横切って行く。
本当なら、自分もあの様な輪の中にいたのかも知れない。
そう思うと眺める目つきは自然と険しいものになった。
白地のスクールシャツの首元に可愛い黄色いリボンを付けた紺色のブレザーを着た少女達。
この時期特有の強い風が偶に吹き付ける中、膝上の短い緑を基調としたチェック柄のスカートをなびかせて、はしゃぎながら遠ざかって行く。
二月末の今の時期、制服で帰る姿は、高校一年か、二年であろうか?
だとしたら、自分と同じ歳かも知れない。
何故私は、此処に居るのだろう。
加奈子はもう見えなくなった女子高生の群れの方から目線を戻し、店内を見回しながらそう思った。
決してそれは悲壮感というものではなく。
店内には立ち読みをしている若い男性が二人。
籠を持ち、商品を入れている主婦らしき五十代程の女性が一人。
午後三時二十分。
客足の少ないコンビニのレジで、加奈子はアルバイトをしていた。
そもそも加奈子の家族は、埼玉県大宮市に住んでいた。
四年前、加奈子が中学二年の時、父親が職場の女性と恋仲になり、親は離婚。父親はその時住んでいたアパートを去って行った。
残された母親と加奈子は暫くそのままアパートに住んでいたが、元々加奈子を産んでから病弱な母親は、仕事というものを全くせず。二年と経たないうちに過ぎた家賃滞納で、アパートを出る羽目になった。
「知ってる人のいない所に行きたい」
母親のその言葉で、二人は東京池袋の方に出て来て、とりあえずネットカフェで暮らし、生活を立て直そうと計った。アパートを借りる為の敷金礼金に至るまでの手持ちがなかったからだ。
当然、以前引っ越す、転校すると言って去って行った学校以降、加奈子は別の場所で、中学に通う事も出来なかった。そして所謂、消えた子供達の一人に、自分がなっている事に当時加奈子は気付いていなかった。
ネットカフェは、一・五畳の部屋で一日一部屋二千七百円。母親と二人分。毎日、五千四百円は必要だった。
アパートを借りられない二人にとって、この金額は大きかった。
加奈子は母親に言われ、すぐさまアルバイトを探したが、中学中退の様な状態の彼女を使ってくれる所は何処にもなかった。履歴書も中卒に誤魔化し、年齢も偽り、やっとの事で近くのコンビニで働ける様になった。しかしそれも所謂ブラック、訳ありで、店の都合で出勤時間・シフトの変更に常に対応する事が条件となっていた。店長は加奈子に何かしらの事情があると、足元を見たのだ。
それでも加奈子は苦情一つ言わず、それを了承し、働き始めた。
全ては生活の為、お金の為、生きていく為だった。
その頃母親は、偶にフラフラと何処かへ出かけ、三時間程すると戻って来る日々が続いていた。
そもそもネットカフェの部屋は個室で、普段母親が部屋で何をしているかは加奈子には分らなかったし、それこそ自分がバイトに行っている間何しているのかも分らなかった。
それでも、何か効率の良い稼ぎ方をしているのは分った。
母親はいつも綺麗な服装をしており、殆ど部屋にいる筈なのに、以前より生活状態が良いようだったからだ。
そしてネットカフェで暮らし始めて半年が過ぎた頃だろうか。
ある時突然、母親が消えた。
その頃には薄々加奈子も分っていた。
母親が何か如何わしい方法でお金を稼ぎ、そのうち知り合った男性の中の一人と仲良くなり、自分を捨てて出て行ったのだという事を。
それは結局加奈子にとって、父親と何ら変わらない行為だった。
母親が姿を消して三日経った日の深夜。
加奈子は始めて自分が独りぼっちなのだという事を実感し始め、最初の頃に買った万年床の毛布に包まり、泣いた。声を殺し、隣に聞こえない様に。静かに。
それからの一年以上、加奈子は一人で生きて来た。
バイトも根城のネットカフェも変えず、池袋で暮らしていた。
二月末。
先程いた五十代位の女性の会計も終わり、時刻は午後三時三十分を過ぎた所だった。
「よお」
同じコンビニのバイトの大学生が、正面入り口から加奈子の方に手を振って入って来た。
「こんにちは」
レジに向かうお客さんがいない事を確認しながら、加奈子は返事をした。
アルバイトの大学生・松野隆はレジのあるカウンター内に入り、バックヤードの方に向う為、加奈子の側に行き話しかけた。
「この前店長言ってたぜ。瀬戸さん臭いって。髪洗ってる?」
「え、洗ってますよ。そんな、何言ってんですか」
その話に驚きながら、急ぎ答えつつ、加奈子にはそう言われる理由は直ぐに分っていた。
シャワー室が毎回は使えず。三日程シャワーを浴びれない日があったからだ。
「うん。別に臭くないよな。ははは、あの店長タバコとかの匂いにも敏感だし、細かいんだよな。俺着替えて来たら休憩入っていいよ」
加奈子の隣に立ち匂いを嗅ぐ真似をして、そう言うと、松野はドアを開けバックヤードの方に入って行った。
「やべ」
加奈子は思わずそう呟き、小さく舌を出した。
午後四時少し前。
松野の計らいで少しだけ早く、カウンター裏にあるバックヤードの休憩室で、加奈子は休憩を取る事が出来た。
休憩中はスマホでツイッターを見まくる。
ツイッター上では加奈子も普通の人間だった。
その生い立ちや現状など関係なく、気のあった者同士がフォローしあい繋がって行く。
好きな芸能人・音楽や、アニメの話。
ネットカフェでも見て、情報を得られるものの話が主で、学校に行かなくとも、加奈子はそこに友達を作る事が出来た。
音のない沈黙の時間。
このままでいい。何も望まない代わりに守りたい世界。
それこそが加奈子の唯一の至福の時間だった。
「ん?」
ツイッターのホーム画面に流れるツイートを眺めている時、加奈子は一つのツイートに目が留まった。
-もう嫌だ!死にたい……-
思わず加奈子の指が返信を押す。
「死ねばいいじゃん」
書きながらつい、口に出して言ってしまう。
そして軽くツイートボタンに触れる。
誰かに慰めて貰いたいの?
馬鹿じゃないの?
死にたい奴にそう言う権利が私にはある。
死にたい奴は死ねばいい。
加奈子はそう思い、直ぐにどんどん流れてくる違うツイートに目を向けた。
つづく
加奈子の返信にはその後、幾つものファボが付いた。
読んで頂いて、有難うございます。
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