ナイアラ・ホテフ
「わからない、ですか?」
ナイアラは薄い笑いを浮かべたままオガタに聞き返した。対してオガタは迷子の如く困った顔で内心をポツポツと語る。
「確かにその物は――いえ、その者は偽物なのかもしれません。
ですが、寸分も違わないのでしょう?」
「そうです。体の姿形から頭の中まで同じです。完全に一致しますので、その容姿以外にも内面も同じと考えてください」
「だとしたら……。それを――その人を偽物と言えない、のではないでしょうか?」
外面も、内面も同じ。まったく一緒。同一。
同一のそれなら、それは偽物では無く、本物なのでは無いだろうか?
「案外、あっさり認めるのですね。なんやかんや、反論があると思っていたのですが」
「ですから、わからないのです。本物なのか、偽物なのか。ですから、反論されるほどの意見を持ち合わせていないというのが今のわたしです」
うんうん、と頷くナイアラは面白そうに手を組んだ。
「まったく同一の存在であればそれを偽物とは断定できない、という事ですね?」
「そう、なるんですかね。お恥ずかしい事ですが、わたしはあまり学がありません。高等小学校を出た後は、家業を手伝っていただけなので……」
「いえ、ですから、難しく考えなくて良いんです。これは大学の弁論大会や講義ではないんです。
思ったままの意見を聞きたいのですよ。それにわたくしも恥ずかしながらそこまで熱心に取り組んでいたわけではないのです」
ナイアラはおどけたように肩をすくめると「それで――」と切り出した。
「オガタさんはわたくしと哲学談義をしに来たのでは無いのでしょう? 夜も更けてきましたし、うら若き女性と宿屋で二人きりというのも感心できない事と思います」
「そ、そうですね……」
オガタとしては二十五連隊と複体について聞いてみたいと一瞬思ったが、それをどういう風に切り出すか、その糸口がまったく見つからなかった。
「あ、あの、二十五連隊についてなのですが、私にだけで良いので、ナイアラさんが手に入れた情報の情報源を教えていただけませんか?」
「ですから、それはダメですよ。それでご飯を食べているので情報提供者の事は喋れません」
「これは国家の一大事です。お国のためにどうか。それでもおっしゃって頂けないのなら――」
「わたくしを逮捕しますか?」
口を割らないのなら、割らせるまで。
憲兵として摘発者の拷問方法のノウハウもオガタは学んでいた。どのような方法が一番痛く、その苦痛を一番長く持続させられるかを知っていた。
だが、ナイアラと会った事を後悔しているオガタは拷問にかけてまで情報を引き出したいとは思っていなかったし、何よりあまり関わりたくないという気持ちが膨らんできている。
「必要があれば分屯所より令状を持ってきます。では、現時点では何も喋る気はない、という事でよろしいですね? その確認が取れただけでも、貴方とお会いした成果はありました。それでは」
「クスクスクス。脅しがお上手です。ところで話は変わるのですが、どうして『複体』の記事と二十五連隊が関連あると思われたのです?」
「それは――」
「実際にドッペルゲンガーに出会ったから、だったりします?」
「――――ッ」
確信に迫られたような、心臓を鷲掴みにされたかのような緊張がオガタの体を突き抜けた。
まだ冬の夜だというのに汗が止まらない。
だが、それは気のせいだ。気のせいに違いない。
確かにドッペルゲンガーの件と二十五連隊の事を口にはしたが、それが結びつくなんて誰が思うだろう? それこそ二十五連隊でドッペルゲンガーが作られている事を知っている者でなければ、想像もつかないはずだ。
「あはは。冗談ですよ。まさかこの世に同一の存在を作る、いや、創ってしまうモノがいるとお思いですか? いませんよね。まぁ、我々の既知の及ばない、それこそ外宇宙の存在なんかなら、それをやってのけるかもしれませんが」
「な、何を言って……」
「天と地の狭間には我々の哲学の及ばないモノが存在しているのかもしれない、と言うことですよ。
この世の果て、それこそ三千世界の果ての果てには人間の思考では到底たどり着けないような、名状しがたい者共が潜んでいる、かもしれません。
そういうモノ共が人里に紛れ込み、何かをしているのであれば、わたくしの妄言によって生み出されたドッペルゲンガーも存在するかもしれない、と言うことです」
「ナイアラさん。あなたは何を言っているのです……?」
「理解できない、と言う事ですか? まぁ、それならそれで結構です。
ですが、そうですね。もし、仮に、今までの話を総合した上で、わたくしが妄想するところによりますと、二十五連隊と、その外宇宙の生命体が接触し、ドッペルゲンガーを作っているのではないか、それをわたくしが知っているのではないか、とオガタさんは疑っているわけですね?」
オガタとしては疑っているも何も、この男は絶対に何かを――いや、真実を知っているに違いないと思った。
「おもしろい発想ですね。軍隊と外宇宙の生命体によってもたらされた秘技。これだけで空想小説が書ける気がします」
「ナイアラさん。わたしはあなたを拘束する必要性を感じてきました。どうか抵抗せずに――」
「まぁまぁ。わたくしは逃げも隠れもしませんよ。この事件が解決するまでは、ね。
だって、あの方なら事の顛末を見守った方が面白いと思うはずですから」
その言葉にオガタは『あの方』とは誰だと疑問を浮かべるが、ナイアラは相変わらず薄く笑ったままだ。
その温度差にオガタは自分の怒りが急に冷めてしまうような、どこかシラケたような気になった。
「ひょっとして、オガタさんはこの妄言――ドッペルゲンガーの事について問題視されているのでしょうか」
「……はい?」
オガタにとってナイアラの煙に巻くような言動を理解できたかと言えば、甚だ疑問だったが、この問いに関しては理性をもってしても理解できなかった。
「妄想の続きですよ。例え、二十五連隊がドッペルゲンガーを創っていても、それは些細な事であり、問題にならないのでは? どちらにしろ、事の本質はアラキ連隊長の叛乱疑惑こそ問題ではありませんか?」
「いや、アラキ大佐の事も問題ですが、それだけじゃ――はッ!?」
勢いとはいえ、オガタはナイアラにドッペルゲンガーの存在を肯定してしまった。
だがすでにオガタが自身の口に手を当てても遅いのだ。オガタの口から漏れた真実にナイアラは相変わらずクツクツと煮え切らない笑顔のままだが、オガタはこの状況をどうしたものかと思考をフル回転させる。
「おや? もしかして、もしかするのですか?」
「いえ、失礼しました。わたしとした事が、ついムキになってしまったようです。
ですが、ナイアラさんの仮説に基づいて考えても、人が入れ替わっているんです。これは由々しき問題だと――」
「待ってください」
ナイアラがオガタの言葉を手で制すると、そこに奇妙な静寂が生まれた。
「オガタさん。貴女は先ほど、複体の問いに関して『わからない』と答えたはずですよ。つまり貴女は複体という存在が問題になるとはお答えに成らなかった。
考えを改められるのですか?」
「いや、その……」
オガタは内心で舌打ちをした。会話の主導権を奪われたからだ。
これで会話を操作してナイアラからボロを出させるという手が潰えてしまった、とオガタは思った。
「オガタさん。貴女との会話から推察する所によりますと、本物か、偽物かを判断するのは中身――内面と言う事になりますよね?
しかしドッペルゲンガーという妄言はこの内面も含めてまったく同一という仮定で出来ています。
つまり外見も、人格も寸分の狂いもなく模写された存在です。
この場合、ドッペルゲンガーは偽物たるのでしょうか? いや、そもそもそれを偽物と呼べるでしょうか?」
「……本物と同じなら、偽物でも本物になる。だからドッペルゲンガーと入れ替わっても問題無い?」
「そう捉えても良いでしょう。うふふ。思い悩む女性を見ているのは良いものです」
オガタに悪寒が走った。これからは鉄扉面に徹しようと彼女は決めたが、ナイアラはどこ吹く風と言ったように笑ったままだ。
「ですが、成り代わられた方には問題があるのでは? 本来なら、その人の人生だった物を奪われるのでしょう?」
「なるほど。主観の問題ですか。確かに己の心の作用は一つだけ。例えドッペルゲンガーが実在しても心の中までも忠実に再現出来るかと言えば、その立場によって心の作用が変わってくるのですから、まったく同一とも言えない。
なるほど。なるほど。
しかし、ドッペルゲンガー当人にして見ればどうでしょう? ドッペルゲンガー自身は己を本人だと思いこんでいるのですよ。それなのに外野になった自分――オリジナルとでも言いましょうか――が文句を言う。
それこそ今まで信じてきた物を崩されるのでは? 自分が複製品であったと知ったドッペルゲンガーはどう思うのでしょう?」
オガタはナイアラの言葉に口が塞がった。
歩哨をしていたタケナガは自信がドッペルゲンガーだと知っているのだろうか?
そこに森をさまよっていたタケナガをつき会わせたら?
彼は彼で、結婚もして、幸せそうに暮らしているというのに、それを壊すような事をして良いのか?
偽物だから壊しても良いのだろうか?
だが、あれは偽物では無い。二人のタケナガは二人ともが本物なのだ。
「顔色がすぐれませんね? では、もしです。
貴女がドッペルゲンガーだった場合、どう思います?」
「え?」
「貴女はなんの疑問も無く日常を過ごしていますね? 明日になればいつも通り起床して、着替えて出勤なさるのでしょう?
しかし、目を閉じたその瞬間に貴女とドッペルゲンガーが入れ替わっていたとしたら?
いや、すでに貴女がドッペルゲンガーであったら?」
「何を……バカな事を……」
ナイアラは「仮定の話ですよ」と笑顔のままだが、オガタの顔色は最悪に近かった。
ドッペルゲンガーという存在が実在する事を知っているオガタはこの問いを冗談と受け取れなかったのだ。
そしてもし、自分がドッペルゲンガーだったらという問いにオガタは自分も入れ替わられている可能性がある事に気づいた。
オガタは二十五連隊を出たとは言え、それはアラキの着任以後であり、タケナガが成り変わられた後だ。
オガタという存在が成り変わられている可能性は、捨てきれない。
「そ、そんな事、あるわけ無いじゃないですか」
「あはは。ですから、一種の冗談みたいな物ですよ。クスクスクス。
それで、もし自分が複体だったら、どう思います?」
愉快そうに笑う声が非常に不愉快だ、とオガタは感じ、なによりこれ以上この男と関わってはいけない気がした。
故にこの問いに答える事無く去ろうとすると、「あぁ、そうそう」とナイアラが呟いた。
「そういえばわたくしを付けていた中尉。中々良い腕をしていましたが、少々鬱陶しかったのでお話をさせて頂きました」
「……中尉?」
カンバラの尾行がばれていた? そんなバカな。普通、自分が尾行されるなんて思うか? そうオガタが思っているとナイアラは口角を吊りあげた笑顔のまま言った。
「えぇ。少し、哲学談義を。彼、知恵熱でも出したんでしょうか? 具合が良くないようでした」
「き、貴様! 中尉に何をした!?」
「この世の真理について談義しただけです」と答えるナイアラの顔は未だに薄く笑っており、オガタの胸中に言いようのない不気味さと不安感が這いだしてきた。
この場にいてはいけない。ナイアラを拘束して分屯所に引っ張る――ナイアラとこれ以上関わるのはまずい。
そう本能が警報をならす。
「首を洗って待っていろ」
捨てぜりふを残して宿を出ると、宿周辺の路地という路地を確認していく。
時折、浮浪者がそこにいるだけでオガタの求める人物は居なかった。
ナイアラの言葉ははったりだったのかもしれない、そう思い始めたとき、とある路地に黒いロングコートを着込んだ男が立っているのをオガタは見つける。
路地に差すかすかな外灯の光を受け、その人物の顔が見えた。カンバラだ。
「カンバラ中尉!!」
尾行という任務についていたカンバラは民間人と違いない私服に身を固め、路地の中の闇をただ一心に見つめ、そして小さな声で――その声は心の底から嫌悪感のある、原初の恐怖を思い起こさせる言葉が紡がれていた。
「クトゥルフ・フタグン。ニャルラトテップ・ツガー。シャメッシュ。シャメッシュ 。ニャルラトテップ・ツガー。クトゥルフ・フタグン――
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クトゥルフ・フタグン。ニャルラトテップ・ツガー。シャメッシュ。シャメッシュ 。ニャルラトテップ・ツガー。クトゥルフ・フタグン――。
そうしてオガタの意識は闇に落ちて行った。
ナイアラ・ホテフ……一体何ラトテップなんだ!?




