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黒の兵科章  作者: べりや
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森にて

「で、同期からの収穫はゼロ、か」

「しかし、例の脱走兵の話は妙です。任務にしろ脱走にしろ、点呼の際に人数があっているという事は、誰も連隊から出ていないという事ですよね?」



 オガタが軍用車のエンジンを回すと一際大きな音を出してエンジンが鼓動を始める。

 その車内でオガタはルームミラーをいじりながらマモリの反応を伺った。



「そうだな。もしくはタケナガという人物が嘘を言っているか、だ」

「……タケナガはそういう奴ではありません」



 怒気を孕んだオガタの声にマモリは先ほどの発言を誤魔化すように頭を掻く。



「とにかく、脱走兵の方も事実確認をしなくちゃいけないな。

 ついでに近くの集落を回ってから帰ろう」

「良いんですか? わたしが言うのもなんですけど、二十五連隊が叛乱を企てているかどうかも分からずに帰える事になりますが……」

「なに、ヤマナカ大佐も一日やそこらで叛乱の証拠を掴めるとは思っていないはずだ。

 それに相手は元、参謀本部のエリート将校だ。本当に叛乱を企てているとしてそう易々と尻尾を出すか。今日、俺達が来たことが牽制になれば奴さんも迂闊に動かなくなるだろう」



 それもそうかと、思いながらオガタはクラッチを入れてゆっくりと車を動かす。

 衛兵所に詰めていた兵士に頭をさげ、門に進むとタケナガがわざとらしいほどキッカリとした姿勢で敬礼をしてくれた。

 オガタは車を止めて少しだけ窓を開けると「今度、非番の時に飲みに行こう」と声をかけた。



「そうだな。その時には俺の女房も誘っていいか?」

「幸せそうで何よりだよ。チクショー」

「ははは。あいつにお前の話をしたら嬉しがると思う。憲兵は何かと大変だと思うけど、身体に気をつけろよ。それじゃ、また」



 窓を閉め、軍用車は徐々にスピードを上げていく。

 かつての古巣は瞬く間に後方に流れ去り、森の中を縫うような道に突入する。



「良いやつそうだな」

「はい?」

「お前の同期だよ。まぁ、さっき言った事は訂正しよう」



 謝らないんですね、とオガタが皮肉混じりに言うが、マモリはしれっとそれを聞き流した。

 部下に命令を与える士官が早々と頭を下げてはいけない事をオガタは知っていたが、知っていたが故にそう言ったのだ。

 本来であれば上官への不敬に当たり、鉄拳制裁ものだがこのマモリという男はどこか下の階級の者に対してそれが寛容的という珍しい軍人だった。



「それで、行先は近隣の集落で良いんでしょうか?」

「あぁ。二十五連隊では土産の一つも手に入らなかったからな」

「マモリ少尉はアラキ大佐の事をどう見ます?」



 その質問にマモリは少し黙っていたが、「お前こそどうなんだ?」と聞き返した。



「どう、と言われても……。ただ、すごく高圧的な方でしたね。さすが陸軍中枢に居ただけはあるんじゃないですか?

 なんと言いますか、地方の憲兵なんて歯牙にもかけていないような……」

「そうだな。やはりエリート意識というがあるんだろうな。それに、ヤマナカ大佐にだいぶ恨みがあるようだ。

 エリート街道を突き落された理由がヤマナカ大佐にあるような物言いだったし、あれはまだ出世をあきらめていないって殺気にも似た気配をビンビンに飛ばしていたのには驚いた。

 きっと、太くて強い芯のような物があるのかもしれない。もし、大逆事件が起きなければ、国のために日々働く、良い将軍になったのかもしれないな」



 オガタもあの肉食獣のようにしていアラキの事を思い出すとマモリの意見に同意した。

 それに殺気にも似た雰囲気を維持するのは難しい。それをするには自分なりの指針があり、そのために日々を邁進するが故にその指針に縛られ、そのルールから逸脱しないように殺気立つのかもしれないと思った。



「ヤマナカ大佐は皇権派に恨まれるような事を大逆事件でやったのか?」

「大逆事件の時は一等兵に昇進したばかりだったので上の方はなんとも。

 ただ、逆賊鎮圧にあたって部隊の士気を上げるために『勅令下る軍旗に手向かう逆賊を討て』とか演説をされていましたよ。

 それに、マモリ少尉もご存じだと思いますが、反乱軍の立てこもる首相官邸の奪還命令を受けて作戦を立案、指揮されたのは当時二十五連隊長のヤマナカ大佐です。

 その結果、大逆事件において直接矛を交えた高級将校はヤマナカ大佐だけという見方も出来ます」



 帝都の政治中枢――陸軍省や内務省、首相官邸等を奇襲的に占領した反乱軍は皇帝を担いで政治革命を断行するつもりだったのだが、皇帝自身がその反乱をお認めにならなかったためにこのクーデターは失敗したのだ。

 そのためクーデターに参加した皇権派青年将校の多くは降伏か割腹自殺をしたのだが、首相官邸を占領した一部隊は徹底抗戦の構えをとったためにヤマナカの指揮する二十五連隊と戦闘となり、玉砕した。



「戦闘は熾烈でした。わたしも負傷しましたし」



 オガタは自然と頬をなでながらため息をついた。

 あれは確か、首相官邸に突入した時、反乱軍が投げた手榴弾が近くで爆発して負傷したのだ。



「負傷って……。大丈夫、だったんだな。ここに居るって事は」

「運が良かったです。こう、首筋の所に鉄片がザックリって。

 いや、焦りました。呼吸が止まるような痛みと血がドクドク流れるんでもうダメかと思いましたが、すぐに後送されたおかげで助かりました。

 軍医殿曰く、あと一、二センチほど傷がずれていたら動脈をスッパリ斬られて死んでいたと」



 今思い出しても冷や汗がでる。

 その傷を隠すように軍の規定ギリギリまで髪を伸ばしているのは誰にも言っていない。

 だが、憲兵であればその性質上、潜入任務等があるため髪型が自由という点もあり、オガタ自信も忘れ始めた秘密になっていた。



「タケナガもその際に負傷して頬を切っていたはずです」

「……俺の記憶によればそんな傷は無かったぞ」

「そうなんですよね。治ったとか言っていましたけど」



 オガタはハンドルを回して道を曲がっていく。

 目的地である近隣の集落が見えてきた。

 と、言っても海軍機が遭遇した不明機を見失った森の付近には三つほど小さな集落が点在している。

 ここはそのうちの一つだった。


 軍用車が集落に入ってくるとそこの人々は厄介事に巻き込まれたくないと言ったように家々に戻っていく。

 集落の中心ほどの地点で車を止めると、とある家から農民という感じの男が出てきた。

 それを見ると二人は車から降りた。



「あ、あの、軍人さんが何ようでしょうか? 今朝ほども多くの軍人さんが来たんですけど……」

「軍機により答えられません。なに、そう時間もとらせません。

 今朝方来た軍人に女の少尉は居ませんでしたか? こう、何かとうるさい奴です」



 外見的特徴を言わないとわからないだろ、とオガタは思ったが黙っている事にした。

 上官の間違いを指摘するほど反抗的ではない。



「あー。あのうるさい少尉さんかい」



 わかるんか! と、オガタは喉まで出かかった言葉を無理矢理飲み込む。



「あー。もしかして森の中で兵隊さんを見たって事ですか?」

「そうです。詳しくお話をお聞かせください」



 その人が言うには昨日――海軍機と不明機が接触した日の夜ほどに兵隊を見たという。



「時間は?」

「夜ですよ。夜中に厠に行こうとして、ふと家の裏の森を見たら貴方方が着ているような外套を着きている兵隊さんを見たんです」

「夜中に? 夜中の森じゃ、暗くて何も見えないだろ」

「あの夜は雲のない満月でよう見えました。それに森の際に居られたので。

 声をかけようとしたらすぐに森の中に入っていったんで、驚きましたよ。

 あすこは演習場じゃない、ただの森なんで。

 さっきまで本当に兵隊さんだったのか、それとも物の怪の類かと……。

 でも、あなた方を見ていて確信しました。あの兵隊さんの着ていた服があなた方と同じですから」



 納得したというように頷く彼にマモリは「その森というのは?」と聞くとすぐに教えてくれた。

 その案内を元に森の際にいくと、微かに足跡が残っていたが、その足跡はすぐに積もった落ち葉などで書き消えていてそれ以上、追うのは困難そうだった。

 二人は農民に礼を言い、しばらく森の中を探索する旨を伝える。



「ここいらは熊は出ませんが、イノシシなんかは出るようなんで気をつけてください。ですが、妙ですな。今日は森が静かすぎる気がします」

「静か?」



 農民は首をかしげるが、マモリは特に気にした風でもなく彼と別れた。



「で、足跡が途切れているが、どうしたものか……」

「憲兵学校や士官学校では追跡のやり方とか習わなかったのですか?」



 マモリはそんな事やるかと内心で悪態をつくが、オガタが周囲の木々や落ち葉の状態を細やかに観察している様に悪態の事などすぐに忘れてしまった。



「何をしているんだ?」

「森の中を生き物が通ったのなら痕跡が残ります。それを探しているんで――。

 あった。マモリ少尉。ここの枝。折れてます」

「折れているからなんだ?」

「この方向に向かって誰かが通っていったから折れたんですよ。おそらくこっちです」



 そう言うや、森の中に分け行っていくオガタに引きずられるようにマモリもついていく。



「お前、軍に入る前は何をしていたんだ?」

「農家ですよ。姉弟が多くて、時々、親について森の中に入って狩りとか色々やっていたので、こういうのは慣れているんです」



 なるほど、とマモリは納得すると共にその家族を食わす為に軍に入っている事を悟った。



「見てください。この下草。誰かが踏んだ後があります」

「本当に慣れているな。軍人やらずにマタギになろうと思わなかったのか?」

「マタギだけじゃやっていけないので。

 おかげで軍隊に入る前から鉄砲を使っていたので、射撃は上手い方です」

「憲兵じゃそれを生かせないだろうな」



 憲兵の仕事は戦闘ではなく、軍紀の取り締まりが本文だ。

 だが、森の中に慣れているオガタがいなければこの追跡は不可能だったのもまた、事実だ。



「でも、なんでこんな森の中に居たんですかね?」

「それよりもソイツが本当に兵士なのか事態、俺は疑問に思って居るがな」



 そもそもこの森の中に兵士がいる理由がわからない。

 点呼の際にも欠員は無く、脱走でも特別任務でも無いのに森の中を――それも夜に森を歩く目的とは一体なんなのだろうか?

 その疑問を考えているとオガタが腰を低くして止まった。



「マモリ少尉。誰か居ます」



 オガタの緊張した声にマモリも腰を低くしてオガタの視線の先を伺う。

 冬でも青い葉をたたえたクマザサが動いている。

 その動きは風ではなく、生き物のそれが潜んでいるように動いている。



「九四式を撃てるようにしろ」



 オガタは腰に吊った革のホルスターから九四式拳銃とそのマガジンを抜き、装填する。

 スライドを引いて弾丸を込める音が静かに響く。



「お、マモリ少尉。どうします?」

「安全装置はまだかけておけ。だが、いつでも撃てるように。射撃は得意なんだろ?」



 そんな事を言われても、とオガタは抗議の声をあげたかったが、緊張のあまり声にならなかった。

 オガタにとってこれは大逆事件以来の『実戦』だ。

 そう緊張しているとマモリがおもむろに大声をクマザサに向かって放った。



誰何たれか!! 俺は憲兵分屯所のマモリ少尉だ。

 そこに隠れている者! 両手をあげてゆっくり出てこい! 抵抗するようなら射殺する!」



 その声にしばし、クマザサの動きが止まるが、急に茶色い外套を着た人物がきびすを返して走り出すのが見えた。



「追え!!」

「はいッ――!!」



 脱兎の如く走る背中にオガタは弾丸のように走り出した。

 森での活動に慣れているだけあってオガタは巧みに木を避け、根を飛び越えていく。



「止まれ! 止まらないと撃つぞ!!」



 オガタの声に外套の人物は一瞬、振り返るようなそぶりをするが、木々を縫うようにかけていく。



「撃つぞ!! く、警告しても無駄か!」



 オガタは急制動をかけ、滑りながら拳銃を構える。

 じっくり狙おうとするが、標的は木々の間を左右に動くために照準が定まらない。



「止まれ! 射撃する!!」



 最後の警告を入れても目標の人物が止まらないのを見て、オガタは引鉄を――引けなかった。



「あ、安全装置かけてるんだった!」



 拳銃を装備した時に確認したら安全装置が磨耗してその仕事を全うできそうにないと思っていたが、どうやら最低限の仕事をしてくれたらしい。

 オガタは緊張の中、安全装置を解除すると再び狙いを定め、引鉄を引いた。

 乾いた破裂音が森に響くと目標の人物が倒れる。

 だが、それはオガタの射撃に関してただ伏せただけであり、すぐに立ち上がって駆けだした。



「あ、待て!!」



 オガタもう一撃、加えるか迷ったがが、外套のそれは森の中をどんどん駆けていく。

 このままだと見失うだろう。



「えぇい!」



 オガタは射撃する事をあきらめて駆け出した。

 その人物との距離はさきほどのトラブルのせいで大きく離れていたが、相手は森の中を走るにあたっても木の枝に苦戦し、木の根に躓いているせいか、森に慣れているオガタの方が徐々に距離を縮めていく。



「止まれ!! 脱走は罪だぞ! 父母兄弟はみんな泣いているぞ!!」



 オガタの叫び声はむなしくも森の中に響いていく。

 だが外套の人物は止まることなく走り続ける。

 それにオガタは舌打ちをしてさらにスピードをあげた。

 射撃は得意だが、それは小銃に限った話で拳銃はそれほどでもないという自覚があるせいか、無駄に銃弾を消費するより走った方が良いと判断したのだ。


 その判断は正しかった。

 外套の人物はついに木の根に躓いて転んでしまったのだ。

 その人物が立ち上がろうとした時、オガタはその人物の背後に立ち、拳銃をその人物の頭に突きつけた。



「抵抗する、な。抵抗すれば、射殺する」



 互いに息も絶え絶えに言い放つと外套の人はゆっくり両手をあげて抵抗の意志が無い事を示した。

 オガタはその人物から距離を取り、「両膝を地面につけろ。両手を頭の後ろで組むんだ」と言いながらその人の顔を見るために正面にまわる。


 外套は森の中を走り回ったせいか、それとも森をさまよっていたせいか枯れ葉や小さな枝などがついており、栄えあるタカマガハラ軍人とは言いにくかった。

 オガタは油断する事なくその彼――背後からでも男とわかった――の正面に立ち、「顔をあげろ」と言うと、彼は素直に従った。


 坊主頭に頬に一文字に引かれた古傷(・・)がオガタの視界に飛び込むと、彼女は拳銃を構える事も忘れてその人物の名前をつぶやいた。



「た、タケナガ」



 そこに居たのはつい、先ほどまで会っていたオガタの同期だった。


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