面会
衛兵所から連隊長の執務室のる連隊本部に向かう道中、強い風がオガタ達三人に襲いかかった。
表面的な冷たさの中にある春の風が通り過ぎると、「少し前ですと身を裂くような風が吹いていましたね」とタケナガが呟いた。
「天候も、明日から回復するとか聞いているな」
「それは良かった。しかし、早く春にならないものですかねぇ」
オガタの能天気な言葉にママモリは苦笑を浮かべた。
これから面会に対する気負いがなくなるのを感じた。
「そういえば、二十五連隊は南の森でも演習を行っているのか?」
「南、でありますか?」
ママモリは道中出会った士官学校の同期の顔を思い浮かべながらタケナガに問うた。
タケナガは「なんでまた、そんな事を?」と言いたげに首を横に振った。
「北の演習場にも森はあるので南で演習をした事はありません。自分が知らないだけかもしれませんが。
何か?」
「なんでもない。気にするな」
階級という軍隊における絶対の格差をもってタケナガの質問を拒絶するとママモリは口を真一文字に結んで歩を早めた。
その様子にタケナガがオガタにその事情を問うような視線を向けると、オガタも微妙な顔しながら「軍事機密でね」と呟く。
「憲兵のお仕事も大変そうですね……」
「なんて他人事……!」
抗議するオガタにタケナガはおかしそうに頬を緩める。
「あのまま部隊に残っていれば良かったものを。お前、あのままだったら伍長勤務上等兵だっただろう?」
「うるさい。過ぎた話だよ。それよりさっさと案内したまえ、タケナガ上等兵!」
はいはい、とタケナガが笑うと、ほどなくして木造二階建ての建物に案内された。
その前には気弱そうな二等兵の肩章をつけた兵士が立っており、オガタ達を見ると駆け足で近づいてくる。
彼はオガタ達の前で立ち止まると初々しい挙手敬礼をした。
「キグチ・サブロウ二等兵であります。連隊長閣下よりお二方のご案内を仰せつかっております!」
「ご苦労、キグチ二等。それではタケナガ上等兵。ここまでの案内に感謝する。
君は引き続き任務に戻ってくれ」
「ハッ! それでは失礼します!」
敬礼をしてタケナガと別れ、代わりにキグチの案内で連隊本部に入る。
オガタとしては掃除や書類の受理などで何度か出入りした思いでの場所だった。
ママモリに気づかれないように視線だけを動かすと自分がこの古巣を旅だってからなにも変わっていない事に安堵を覚える。
懐かしき場所が変わらずにある安心感とでも言えよう。
目隠しをして――とは言えないまでも勝手知ったる家である。
キグチの案内が無くても連隊長の執務室までいける気がした。
だが、自分達を案内するというキグチの任務もあるため、オガタはただ黙ってキグチやママモリの後を追う。
そして階段を登り、二階の隅にある『連隊長執務室』と書かれたプレートの下がる部屋まで案内された。
「こちらであります」
「任務ご苦労。帰りは大丈夫だからこのまま任務に戻ってくれて良い」
「はい! 了解しました!!」
まだ軍服に着られていると言って良いキグチはぎこちなくも敬礼をして去っていった。
「さて、行くぞ。蛇が出るか蛇がでるか……」
「……あの、どっちも蛇なんですけど」
それはどんな恐ろしい事がわかるかわかっているという事なのだろうか?
などとオガタは不安を喉の奥に留めておく事が難しくなってきている事にため息をついた。
だがママモリはそんな事、顧みることなく執務室の扉を叩いた。
「東部軍管区憲兵司隊第十二分屯所所属のママモリ・シュウスケ少尉並びにオガタ・ココロ上等兵であります。失礼してもよろしいでしょうか?」
「入れ」
鋭いその声にオガタは唾を喉に流し込み、「失礼します」の声と共に入室したママモリの後を追って執務室に入る。
頭にかぶっていた茶色い軍帽を小脇に抱え、入室と共に直立不動の姿勢を取った。
「第十二分屯所のママモリ・シュウスケであります」
「同じくオガタ・ココロであります!」
赤い絨毯に重厚な来客用のテーブル。
一級の職人が作ったような繊細装飾の施されたな机の向こうに細面の五十路も半ばの男性が鷹のように鋭い眼光を投げかけてきた。
その顔は軍人というより官僚といった印象を思い起こさせる。
「して、憲兵が何ようだ。私は忙しい」
二十五連隊の長であるアラキは名乗る事も挨拶することもなく、ただ机に向かって書類の決済をしながら冷徹に言い放つ。
鋭い眼光と併せてそれはどこかカミソリのように鋭くオガタ達に斬り込んできた。
「お忙しい所、申し訳ありません。
大佐は海軍機による不明機への攻撃に関しての報告は知っておいででしょうか?」
「フン。知っておる。だが憲兵と海軍の連中が出張って我が連隊はこの通り、この駐屯地で相変わらず屯しているだけだ。
十二分屯所には前任のヤマナカがいるな?
あいつが点数稼ぎのために二十五連隊の捜索への協力を拒んだんだ。
今更兵を出せと言っても出さんぞ」
あからさまに敵愾心を噴出させるアラキにオガタはビクビクしながらママモリに視線を送る。
ママモリもその怒気に面食らいながらも「捜索への増援要請ではありません」と若干、小声になりつつ訂正した。
アラキはその訂正に眉をあげて初めて疑問の顔を浮かべた。
「実は不明機捜索中に近隣の集落から森の中で兵士を見たという証言があました」
「兵士?」
「兵士が発見された森は二十五連隊からの演習場から離れた地であり、目撃情報から察するに海軍ではなく陸軍の兵士である疑いが高いです」
「――二十五連隊で脱走兵が出たと言いたいのか?」
アラキは蛇が獲物を睨みつけるようにシゲシゲと二人の憲兵を観察した。
「……確証はありません。見間違いの可能性もありますが、この付近で兵士が目撃されたとなると二十五連隊に所属している兵士の可能性が高いと思われます」
「どこの森でその兵士は目撃された?」
「ここから南――不明機捜索の現場の近くと報告を受けております」
アラキはようやく書きかけの書類を机の端にどかすと手にしていたペンのキャップをしめた。
そしてしばし、瞑想するように腕を組んで目を閉じる。
その様子にオガタは「どうします? まったく相手にされていないようですが」と言った意味の視線をママモリに送ると、ママモリも「そうだなぁ」と困ったような視線を返してきた。
だが、その瞑想の時間もすぐに終わりを告げた。
カッと見開かれた鷹の目に射すくめられたオガタは自然と背筋をのばしてしまった。
「思い出した。あれは私が特別任務を与えた兵士だと思われる」
「特別任務?」
「そうだ。軍事機密に差し障るため貴様達に詳細を言うことはできない。
不明機の捜索も大概にしろと帰ってヤマナカに伝えるんだな」
話は終わったと言わんばかりにアラキはペンを手に取った。
その様子にママモリはさらに何か、問いかけようと口を開こうとしたが、機先を制するようにアラキが先に口を開く。
「もし、件の兵士を憲兵隊が捕まえた場合は即座に連隊に連絡をしてくれ。
我らが回収に行く。その際にくれぐれも私の兵に尋問など行わないように。
もし、何かされたようであれば私は参謀本部に事の次第を報告せねばならん。
出世のための点数稼ぎとして私の可愛い部下に濡れ衣をきせた、とな。
特にヤマナカの奴にはきつく行っておいてくれ」
以上だ、と告げるとアラキはペンを先ほどどけた書類達に向けた。
「……失礼しました」
アラキの発する重圧に負けたようにママモリは小さくそう言うと、クルリと背後の扉に手をかけた。
オガタもその様子に一例をして退室する。
まるで二人を拒むように扉がガチャリと閉まった。
二人は互いに無言で連隊本部を後にして軍用車を止めた衛兵所に足を向ける。
「すごい人でしたね……。なんと言いますか、殺意の籠もった感じ……」
「そうだな。だが、特別任務? 何か怪しいな」
「もしかして――」
オガタが言葉を続けようとしてママモリはそれを手で制した。
ここは二十五連隊の営庭だ。
右も左も二十五連隊の兵士がいる。
その中で反逆の疑いがあるなど言えば誰が聞いているかわからない。
「しかし、軍の用地でもない場所で特別任務に当たっている、と言うことの方が妙だな」
「脱走を隠蔽している、という事ですか?」
考えられるならそれだろう、と言わんばかりにママモリは頷いた。
「こりゃ、仕事が増えるかもな」
「…………」
「イヤな顔をするな。だが、連隊内で隠蔽工作が行われているとなると、どうやってそれを立証するか、だな。
それにまだ脱走と決まったわけじゃない」
「……あ」
「どうした?」
「朝の点呼ですよ! あれなら毎朝、行っていますし、誰か欠けているなら何か、書類が残るのでは?」
誉めても良いのよ、と言うようにドヤ顔をするオガタだが、ママモリはそんなオガタの軍帽ごと頭を叩いた。
「バカ。連隊で隠蔽しているのならそんな記録はそもそも作られないだろ」
「そ、それもそうですね……」
記録が残らなければその事象事態が存在しえない。
誰かが居ないという報告ももみつぶされればその誰かは居なかった事にならない。
「……そうだ。お前の同期がいたろう」
「タケナガですか?」
「記録は無くても人の口に戸は立てられない。
あいつがお前の情報通り、信用のおける奴なら内情を吐いてくれるだろ」
なるほど、とオガタは感心した。だが、それは同期を試すようで気が引ける。
しかし、この脱走兵に関する問題を足がかりにしてかつての古巣の内情を知り、そこからあのナイアラという記者の言っていた反乱についての真偽もわかるかもしれない。
「そうですね。それとなく誘い出せないか聞いてみます」
突破口を見つけたような気持になったオガタは足取り軽く衛兵所を目指す。
「でも、わざわざ拳銃を携帯する必要は無かったような気も……」
「それは結果論だろ」
そんな軽口をたたきながら衛兵所に戻ると門の前で歩哨を続けていたタケナガを見つけることが出来た。
「オガタ。お前、ちょっと行って来い。俺は少し衛兵所内で駄弁ってくる」
「わかりました」
二人はごく自然に分かれるとオガタは片手を上げながらタケナガに声をかけた。
「よー」
「なんだ。もう帰るのか? あれ? あの少尉殿は?」
「ちょっとタバコらしい」
オガタは一度、門の付近にタケナガ以外の兵士が居ないのを確認してから「あのさぁ」と切り出した。
「タケナガの事を見込んでの事なんだけど――」
「あ、告白とかダメだぞ。俺はこう見えてもう出来てるんだ」
「いや、ちが――」
タケナガはオガタの否定を聞く事無く胸ポケットから何か、ヨレヨレになった写真を取り出した。
「そう言えばお前には伝えていなかったな」
「……は!? なんでクニキダとお前が!?」
そこに写っているのはオガタやタケナガと同時期に入隊した女性だった。
男性隊員がこぞって告白を申し出ていたはずだとオガタが記憶の糸を手繰り寄せると、自然とため息が出て来た。
その写真の女性と自分は確か同い年だったような気がしたが、自分にはそんな話はトンとなく、代わりに憲兵学校に入学するための試験勉強に追われる自分を見るとどこかやるせない気持ちがわいてくる。
「どうだ。良いだろう」
「わたしが男だったら羨んだかもね。って事は何? 彼女、除隊したの?」
「まあな。俺の実家にいる」
ふーん、とオガタはタケナガののろけ話に付き合おうかと思ったが、さすがにただその話を聞いていると頭にくるだけだったので本題を話す事を決めた。
「ところで、朝の点呼なんだけど、変わった事無かった?」
「点呼? いやいつも通りだぜ」
オガタはタケナガの顔色から彼が嘘をついていない事を知る。つまり本当に何も無いのだろう。
そのため彼女は少し逡巡したが、意を決してハスタ達の話をタケナガに伝えると、タケナガの顔も先ほどまであった喜色が消えていった。
「つまり、脱走兵ってことか?」
「そうとは断言出来ないけどね。アラキ大佐に確認したら特別任務を受けた兵が活動中だって言ってたけど」
「そんな話、聞いたこと無いぞ。毎朝の点呼でも欠員なんていないし、呼ばれない部隊もない」
本当に? とオガタが聞き返すとタケナガは真剣に頷いた。
「間違いない。だが、おかしいな」
「おかしいって?」
「特別任務なんかで外に出ている部隊は無い。
だが、それと同じで欠員が居ないんだ。脱走しているならそいつは欠員になるだろ?」
その言葉にオガタは押し黙ってしまった。
確かに欠員事態が無いのであれば脱走した兵士は居ないということだ。
「……どこかからか、連隊を抜け出している? もしくは替え玉? うーん」
「それにしても情報が少ないだろう。南の森たって広いんだし、どこの集落で、いつその兵士を見たんだ?」
オガタとしては連隊に入り込むための口実というだけの情報を詳しく知っているはずもなく、またそこまでハスタから聞き及んでいない。
タケナガはその様子に溜息をついた。
「まったく、それだからいつまで経っても補助憲兵なんだよ」
タケナガはオガタの襟に縫いつけられた赤い兵科章を指していった。
鮮血の緋色――歩兵科の襟章をオガタは情けないようにその細い指でふれる。
「はあ……。早く何色にも染まらず法規を執行する黒い憲兵の襟章を取り付けたい……」
ただの歩兵科のタケナガにことごとく言い負かされたオガタは帰って勉強しようと決意を新たにしつつ、これからの予定を組み始めた。
「これから本格的な調査に向かうかな」
「そいじゃ、がんばってくれよ。憲兵殿」
オガタは「はいはい」と言わんばかりに手を振ってタケナガに背を向けた。




