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黒の兵科章  作者: べりや
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再会

 連隊長執務室から出てきたオガタは一振りの軍刀を携えており、禍々しい相貌でオガタとマモリを睨んだ。



「な、え、あ……」



 オガタの思考は決してまとまらず、呼吸をする事も忘れてただ、もう一人の自分を見つめた。



「お前が――」



 サーベル状の軍刀を構えたオガタが低く叫ぶ。



「お前が奪った『わたし』を返してもらう!!」



 軍刀を振りかぶり、鋭い踏み込みとともに切りかかる。

 だが、その刃がオガタに届く前にマモリが腰の軍刀を引き抜いてそれを受け止めた。



「邪魔をしないでください、少尉!!」

「落ち着け、お前は、『なんだ』?」



 マモリは力を込めてオガタを押し返すと、仕切直しとばかりに数歩後ずさった。



「少尉殿! ソイツは偽物――ミ=ゴとアラキ大佐が作った、最初のドッペルゲンガーです!! 離れてください!」



 その言葉はオガタの記憶の扉を開ける鍵となった。

 封印されていた扉が開かれ、記憶の奔流が彼女を襲う。そして思い出した。

 あの箱船の手術室のような部屋に横たわるもう一人の自分と、凱歌のようなアラキの笑い声を。

 あの夜、歩哨をしていたタケナガを襲った事を。

 あの狂喜を浮かべたアラキの考えに賛同できなかった自分を。

 そしてミ=ゴによってその記憶を消された事を。



「あ、あぁ……!」

「ミ=ゴの記憶操作が解かれたか……。

 でも、これでわかったでしょう。あなたはわたしの偽物。わたしから奪った人生を返してもらう!!」



 マモリに対峙するオガタが再び軍刀を振りかぶる。

 それに対してマモリは彼女の刃筋をいなしながら距離を詰め、鍔迫り合いに持ち込む。



「オガタ! しっかりしろ。とにかく逃げろ」

「オガタ・ココロはわたしであります、少尉!!」



 しかし、オガタは身動きする事無く、その場に立ち尽くしていた。

 そして思い出していた。彼女が憲兵を志した本当の理由。


 それは逃げだった。


 オガタには軍刀で斬りあう二人の姿など映らず、昔の――照和十二年の一月の出来事がありありと判然に浮かんでくる。

 目の前から二人の姿が掻き消え、ドッペルゲンガーとなったタケナガが寂しげな顔でオガタに問うてきた。



「噂で聞いたんだけど、お前、補助憲兵の推薦を取るつもりだって?」



 それは幻聴だったろう。だが、オガタはその幻聴に答えた。



「うん。そっちの方が給料良いし。それに憲兵学校は上等兵から入学出きるようになるから、ちょうど良いかなって」

「でも、お前、中隊長から伍長勤務上等兵に推薦されたろ。

 そうすりゃ、普通の上等兵より手当も増えるだろ? わざわざ連隊を離れる事なんて無いんじゃないか?」



 軍隊の階級は複数があるが、大きくわけると三つに分けられる。

 命令を下す士官。その士官の命令で兵を動かす下士官。その命令を受ける兵。

 その兵の階級も三つに別れ、オガタはちょうど兵の最高階級である上等兵に昇進したばかりだった。

 その上等兵の中でも勤務実績の優秀な者は伍長――下士官のもっとも下の位――に準じた扱いを受けられる。


 だが上等兵の身分にして下士官である伍長に準じた待遇を受けるということは勤務態度や人徳、様々な事が優れていなくてはならない。そのためその査定は厳しく、伍長勤務上等兵になれる者は決して多くはなかった。


 それなのに上等兵に昇進したばかりのオガタにその推薦がついたのだ。

 それだ周囲がオガタに期待をよせている証である。

 それなのにオガタはその推薦を蹴るというのだ。



「推薦してくれた中隊長殿には申し訳ないんだけどね。入営して三年経つし、そろそろ外に行きたいかな、って。

 それに憲兵になると任務の都合上、髪を伸ばせるから、傷を隠せられるかもしれないって思惑もあるんだ」

「ふーん。ま、新天地を切り開くって発想は中々出来ないよ。お前らしい発想と言えばお前らしいし。ま、なんにせよ頑張れや。オレ達、応援しているからさ」



 オガタは嘘を言った。何故だか分からないが、嘘を言った。


 オガタは逃げたかったのだ。


 閉ざされた連隊の中から出る方法は少ない。

 もっとも簡単な方法は軍を辞める事だが、オガタには家族が居る。

 マタギをしながら生計を建てる実家は決して裕福な部類ではない。むしろ逆だ。

 そのため軍に入ったのだから軍は辞められない。

 そんな中、軍を辞めずに連隊を出るもっとも簡単な方法は憲兵になる事だった。

 憲兵学校に行けばもちろん連隊を出れる。

 それに憲兵となれなくても連隊長の推薦があれば補助憲兵として憲兵分屯所で実地訓練や憲兵学校への勉強のために連隊から出向という形が取れた。

 推薦がとれるかは賭であったが、それでもオガタは推薦を取り、分屯所に着任したのだ。

 全てはドッペルゲンガーという存在から離れるために――。



「オガタ!!」



 その声に我に返ったオガタは軍刀を手放したマモリが悲痛な顔で自分を見ている事に気がついた。

 周囲にはタケナガの姿は無く、軍刀を上段に構えた自分が肩で息をつきながら自分を睨んでいる。

 自分の足下にはマモリが投げ出したと思わしき軍刀が転がっていた。

 もう、逃げられない。

 自身がタケナガを襲ったという罪悪感や己が偽物である事から逃げられない。

 オガタは反射的にマモリの軍刀を拾い上げると、それでもう一人のオガタの一撃を受け止めた。



「しつこい!! 『わたし』を返して!!」

「い、イヤだ!! 『わたし』は、わたしなんだから!!」



 例え自分がミ=ゴによる複製だとしても、今の自分はどうしようもなくオガタ・ココロそれ自身なのだ。偽物だと揶揄されようともその席から離れる事など出来ない。

 ならその席を守る方法は? 逃げることなく守れる方法は?

 それは、もう一人のオガタ・ココロを殺すしかない。殺さねば、自分の席が奪われてしまう。

 オガタは力を込めていた刃先から一気に力を抜く。それにもう一人のオガタがたたらを踏み、倒れてくる。

 オガタはそれに半身をよじってかわすと、無防備な背後に軍刀の塚頭をたたきつけた。

 鈍い悲鳴が上がり、オガタが崩れ落ちる。

 それにオガタは軍刀を振りかぶると躊躇い無く振りおろした。



「オガタ・ココロは、わたしなの!!」



 オガタは躊躇わない。今躊躇えば自分という存在を否定する事になる。

 オガタはもう一人の彼女の首を狙って軍刀を振り下ろすが、倒れたオガタは首筋を守るために右腕を持ち上げ、そこに軍刀が吸い込まれた。



「ぃだあああぁぁあぁあああああ――ッ!!」



 腕で受け止めた事で即死を免れたオガタは死にものぐるいで軍刀を振るう。

 その一刃が外套の上からオガタの胴を捉え、鮮血が滴った。



「ぃだあああぁぁあぁあああああ――ッ!!」



 まったく同じ悲鳴が上がり、二人は傷を庇うようにしながら距離をとった。

 斬られた外套が襟元の兵科色のように朱に染まる者、突き刺された傷口から燃えるような赤色が流れる者。

 二人は傷を確認する事もなく、ただただ互いの瞳をぶつけ合う。



「オガタ!!」

「来ないでください!」



 どちらのオガタが叫んだのか、二人は二人を、いや、一人を凝視しながらそう叫んだ。

 獣の決闘のようにジリジリと焦がれるような殺気を放ってにらみ合う。

 その時、連隊長執務室から高笑いが響いた。

 そして扉からアラキが姿を見せる。



「クハハ。最高の一幕だ。そう思わないか?」

「アラキ大佐! 何故――」

「ん? 君はあの少尉だな。戻っていたのか」

「――、アラキ大佐。降伏してください。参謀総長より貴方を拘束するよう命令が出ています。

 この連隊もすでに大半を制圧しました。軍法の下で裁きを受けてください」

「裁き? なにを言う。こんな素晴らしい事、咎められるゆえんなど無い。

 それに、管理派軍人の参謀総長閣下もこのドッペルゲンガーを見れば考えも変わるだろう!! そう、全てはお国のためなのだ!!」



 狂気をたたえたアラキの言動にマモリは口を閉じた。

 いや、もう言葉を用いても意味が無い事を悟ったのだ。



「一等兵の階級章をつけている方が本物だったか? なんだ。そろそろ勝敗がつくものと思ったが、負けそうではないか」

「アラキ連隊長、約束は、約束は守っていただけるのでありますね?」

「もちろんだ。貴様がミ=ゴの作りし贋作を討ち果たせば正真正銘、貴様がオガタ・ココロだ。

 故に復職と地位の復帰に全力を尽くそう」

「そんな言葉でオガタの――を釣ったのか!?」

「なんだ、少尉。オガタの、なんと言ったのかね? オガタの何を釣ったと言うのかね?

 もしかして君は認められないのか?

 そこに居るのがミ=ゴの作ったオガタ一等兵の偽物であると――」



 偽物という言葉に腹を押さえていた彼女は軍刀でもう一人の自分に斬りかかった。



「消えろ、わたしの偽物!!」

「違う! わたしこそが本物の『わたし』だ!!」



 二人が動くそばから鮮血が漏れ出す。連隊長執務室の前には赤々とした血が振りまかれ、二人の振り回す軍刀が壁に裂傷を刻んでいく。

 そして二人の――一人の目にはすでに正気の色は失われていた。


 ドッペルゲンガーとの遭遇。


 ドッペルゲンガーという存在がどうしようもなく互いに本物であるという本質。

 不気味な黒々とした存在であるナイアラとの会話。

 ユゴスの地より飛来した異形の存在――ミ=ゴとの邂逅。


 そして己自身との再会。


 オガタの中に残っていた正気の糸がその重さに耐えきれずに引きちぎれたのだ。

 しかしただ一つ、己を脅かす、この世にあってはならない存在――もう一人の『わたし』を殺さなくてはならないと言うことだけが彼女を支配した。



「わたしは、わたし一人で十分なんだ!」

「ミ=ゴに作られた偽物が、何を言っているの!?」



 もう一人のオガタの心も大きく疲弊していた。

 それは彼女の正常な判断をさせないほどに。



「貴方、本当にわたしを殺せば復職できるなんて思っているの!? 貴方を実験体にしたのは、そこのアラキじゃない!」

「うるさい!! わたしの居場所を奪った偽物が何を言うの!? わたしが居たところに何も知らない顔で居座って、わたしの人生を奪った貴方が何を言うの!?

 わたしは戦う。タケナガと、クニキダが居たあの場所に帰れるのなら、なんだってする!!

 わたしはただ、あの場所に帰りたいだけなの! 邪魔を、しないでッ!!」



 激しく打ちつけられる刃から火花が散る。

 二人とも体力の限界か、大きく肩で息を吸いながら鍔迫り合いを決めた。

 冬の終わりとはいえ、二人は玉のような汗をかき、荒々しい声で互いに呪詛のような言葉を吐く。



「や、やめろ! やめるんだ!!」

「――邪魔をしないでください!!」



 二人は再び互いに距離を取りながらそう言った。

 二人の頭を支配するのはオガタ・ココロという存在がこの世に二つあってはならない。二つあったとしても、その席は一つだけなのだという事だけだった。

 この世に二人のオガタ・ココロが居るという矛盾を解決しなければならない。

 そして二人は間合いを見合うように軍刀を構えた。



「く、オガタ。持ちこたえろ。応援を呼んで――」

「待ちたまえ少尉。これは良い見物だ」

「アラキ大佐! 貴方は――。貴方はなんて事を――」

「間違っているというか? ふん。そんな考えを持っている者が士官になろうとは、この国も末だな」

 アラキはマモリの怒気に鼻をならすだけだ。

「これは良い研究になる。本物とドッペルゲンガーがこうして邂逅するというのは初めてのケースだ。今まではミ=ゴによる精神操作のせいでどちらが片方しか目を覚まさないようにしていたからな。

 しかしドッペルゲンガーのみを戦場に連れ出しても、その敵愾心を敵兵ではなく、自己と同じ存在に向けるのであれば、戦争の役にたたん。これは良いデータが取れた」

「貴方は、何を言って……」



 マモリの目が驚愕で見開かれる。

 この五に及んでアラキはドッペルゲンガーの今年か眼中に無いのか。



「さぁ、一等兵。やるんだ。オガタという席は一つしか無いのだからな。オガタの代参物に取って代わられるなよ」

「はあああ!!」



 アラキの叱咤と共にオガタが突撃した。

 もう一人のオガタは腹の傷のせいか、それに対する反応が少し遅れ、軍刀を受けるだけで精一杯だった。



「この、調子に乗るな!!」



 腹部を押さえたオガタが力任せに距離をつめ、もう一人のオガタの懐に飛び込む。

 それに驚いた彼女の顔に頭突きをお見舞いする。



「ぎゃああ」

「これでも、喰らえ!」



 頭突きでよろめいたもう一人のオガタに対し、オガタは軍刀を放して殴りかかる。

 鋭い拳がもう一人のオガタの鳩尾を捉え、彼女は大きくよろめいた。

 そこにすかさずオガタは右ストレートで顔面を殴打する。



「これで、終わり!!」



 もう一人のオガタの頬に拳が突き刺さる。

 オガタは荒い呼吸を繰り返しながら手放した軍刀を拾うために屈み込んだ。



「『わたし』という存在はもう、誰にも、誰にも渡さな――」

「オガタ! 避けろ!!」

「え……?」



 マモリの声にオガタが顔をあげると、そこには自分の予想よりも早く立ち直ったもう一人の自分が居た。

 その手に握られた軍刀が鋭い弧を描きながらオガタの首筋に食い込む。



「オガタ!!」



 オガタの首がゴロリと床に落ちた。

 彼女の体から鮮血が溢れ出し出し、マモリの顔をゆっくり濡らす。



「そんな、オガタ……」



 呆然と膝から崩れ落ちたマモリにもう一人のオガタが微笑んだ。



「オガタ・ココロはわたしであります。少尉」



 血を浴びた彼女はとても嬉しげにそう、呟いた。


物語も佳境です。


それではご意見、ご感想をお待ちしております。

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